「湘南らへんの高校かなぁ…」
プロフィールから察するに多分そう、でも断定できないからね。
「原因は自分にある。」のメンバーとして活動し、俳優としても出演作を増やしている大倉空人。
明るく親しみやすい雰囲気から、どんな学生時代を過ごしていたのか気になる人も多いようです。
特に検索されているのが、高校や中学の学校名。
結論からいうと、大倉空人の出身中学と高校は公表されていません。
ただ、本人がインタビューや過去のブログで語った内容からは、湘南らしい中学時代や、ごく普通の高校生として過ごした日々が見えてきます。
芸能活動と学校生活を両立するなかで味わった悔しさ。
そして、高校時代に訪れた大きな転機。
では、大倉空人はどんな学生生活を送っていたのでしょうか。
学校名だけでは分からない、その学生時代をたどっていきましょう。
大倉空人の高校や中学は非公表
まず確認しておきたいのは、学校名が公表されているかどうかです。
大倉空人の出身中学と高校について、具体的な学校名は本人や所属事務所から発表されていません。
公式プロフィールなどで確認できるのは、神奈川県の湘南エリアで育ったという情報です。
一部では湘南エリア内の学校ではないかと推測する声もありますが、本人が校名を明かした事実はありません。
そのため、特定の中学や高校に通っていたと断定することはできない状況です。
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本人は地元での思い出をたびたび語る一方、学校を特定できる情報については慎重に伏せてきました。
学生時代から芸能活動をしていたことを考えれば、学校名を公表しないのは不思議ではありません。
在学中の本人だけでなく、同級生や学校生活を守る意味もあったのでしょう。
高校については、友人と過ごした時間や体育祭、放課後のファミレスでの思い出などが語られています。
こうした話から、通学しながら学校生活を送っていた可能性も考えられます。
ただし、学校の種類について本人が明言したわけではありません。
分かっているのは、芸能活動だけに囲まれた特別な高校生活ではなく、友人と笑ったり、テスト勉強に苦戦したりする普通の学生生活を送っていたということです。
校名は見えなくても、そこで過ごした日々は意外なほど身近に感じられるんですよね。
中学時代は江の島が身近な場所だった
中学時代の暮らしを象徴する場所といえば、やはり江の島。
大倉空人は神奈川県湘南で育ち、江の島を身近に感じながら中学時代を過ごしていました。
学校が終わると、自転車で江の島まで出かけることもあったそうです。
休日には父親と朝から海沿いを走り、江の島までランニングしたことも語っています。
引用元:TOWN NAVI – R-STORE
観光地として訪れる人にとって、江の島は少し特別な場所です。
しかし、大倉空人にとっては、放課後にふらっと行ける日常の延長だったのでしょう。
本人も湘南や江の島について、安心感のある場所だと話しています。
忙しい芸能活動が始まったあとも、海や地元の風景は気持ちを戻せる場所だったのかもしれません。
幼い頃は水泳に打ち込み、小学6年生まで続けていました。
中学に入ったら水泳をやめ、バスケットボール部に入ろうと考えていたそうです。
ところが、小学校卒業を目前にした時期、地元のお祭りで芸能事務所の関係者からスカウトされます。
突然、知らない女性から声をかけられたため、最初は怖かったのだとか。
母親から芸能事務所の人だと説明され、「とりあえず行ってみよう」という流れでスターダストプロモーションに所属しました。
最初から強く芸能界を目指していたわけではありません。
海の近くで部活や学校生活を楽しむはずだった少年の日常に、突然、芸能活動が入り込んできた形です。
中学1年生ごろには、EBiDAN関連のブログで期末テストや体育祭について書いていました。
芸能活動を始めていても、生活の中心には学校行事やテストがあったのでしょう。
江の島へ自転車で向かう湘南の中学生と、ステージを目指す研究生。
大倉空人の中学時代には、その二つの顔が同時に存在していたわけですね。
歌割りが減って初めて味わった悔しさ
中学時代の大きな変化は、初めて「悔しい」と感じたこと。
中学2年生から3年生ごろ、大倉空人はEBiDANの研究生として活動していました。
当時は楽曲の歌割りを決めるオーディションがあり、選ばれると自分のパートを任される仕組みだったそうです。
大倉空人はオーディションに選ばれ、多くの楽曲で歌割りをもらっていました。
芸能界に強い興味がないところから始まったものの、少しずつ結果が出るようになっていた時期です。
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ところが、新しいメンバーが加入すると、自分の歌割りが減っていきました。
そこで初めて、はっきりと「悔しい」と感じたと振り返っています。
それまでは、与えられた活動に真面目に取り組んでいても、誰かと競っている実感はそれほど強くなかったのかもしれません。
自分が歌っていた場所を、別の人に任される。
目に見える形で役割が減ると、努力だけでは埋められない焦りが生まれます。
しかも、研究生の世界では、同じ仲間がそのままライバルになります。
仲良くしている相手が評価されれば、うれしい気持ちもある。
一方で、自分の出番が減れば悔しい。
単純に誰かを嫌えば済む話ではありません。
大倉空人が初めて感じた悔しさは、芸能活動を仕事として意識し始めた瞬間でもあったのでしょう。
「選ばれたい」という気持ちが、自分の中にあると気づいた。
ここから、芸能界に興味がなかった少年の姿勢が少しずつ変わっていきます。
後にグループメンバーへ選ばれた喜びが大きかったのも、この時期に思うような結果が出なかった経験があったからです。
順調に見える経歴の裏では、出番を失う悔しさを何度も飲み込んでいたのかもしれません。
高校時代にBATTLE STREETへ選抜
高校時代に訪れた最大の転機が、BATTLE STREETへの選抜です。
高校1年生のころ、大倉空人はダンスボーカルユニット「BATTLE STREET」のメンバーに選ばれました。
BATTLE STREETは、現在の「原因は自分にある。」につながるグループです。
本人にとって、この選抜は芸能活動を続けるかどうかを左右するほど大きな出来事でした。
当時、大倉空人は研究生内のランキングで下のほうにいることが多く、なかなか結果を出せずにいたそうです。
そのため、この企画で選ばれなければEBiDANを辞めようと考えていました。
スカウトをきっかけに始めた芸能活動。
中学時代には歌割りが減り、自分より後から入ったメンバーが前へ出ていく姿も見てきました。
続けていても、選ばれる保証はありません。
高校生にとっては、かなり重い決断だったはずです。
そんななかで、BATTLE STREETのメンバーに選出されました。
大倉空人はこの瞬間を、初めて「頑張ってよかった」と思えた出来事として振り返っています。
これは、単にグループに入れた喜びだけではなかったのでしょう。
中学時代から積み重ねてきた時間や、歌割りを失った悔しさが、ようやく一つの結果になった瞬間です。
辞めるつもりで挑んだ場所で、続ける理由を手に入れた。
少し出来すぎた物語にも見えますが、その直前まで本人は本気で区切りを考えていました。
だからこそ、この選抜は現在の活動へつながる大きな転機になっているんです。
BATTLE STREETはその後、「原因は自分にある。」へとつながっていきました。
大倉空人はメンバーカラー黄色、ラップ担当として活動を続けています。
俳優としても2019年にドラマデビューし、映画やドラマへの出演を重ねてきました。
現在の華やかな活動の始まりには、高校1年生のときに手にした一度の選抜があったわけですね。
友人と過ごした普通の高校生活
芸能活動が本格化する一方で、学校ではごく普通の高校生活を送っていました。
大倉空人は高校時代について、「ものすごく楽しかった」と振り返っています。
本人が語った思い出は、驚くほど普通の高校生らしいものばかりです。
友人とファミリーレストランへ行き、勉強するつもりが、結局は夜遅くまで無駄話をしてしまう。
体育祭ではクラスTシャツを作り、友人たちから寄せ書きをもらう。
授業は真面目に受けながら、学校行事もしっかり楽しむ。
本人の言葉を借りれば、「ザ・高校生」のような時間を過ごしていました。
アイドルとして活動していると聞くと、放課後は毎日レッスンで、友人と遊ぶ余裕もなかったように想像してしまいます。
実際には、芸能活動の合間に高校生らしい日常も守っていたようです。
ファミレスで勉強が進まず、話だけが盛り上がる。
これは芸能人でなくても、覚えのある光景ですよね。
テスト前なのに雑談が止まらず、帰宅してから少し後悔する。
そんな時間も、卒業して振り返れば大切な思い出になります。
大倉空人の学生時代が魅力的なのは、特別な芸能活動と普通の学校生活がきれいに分かれていないところです。
学校では友人と笑い、放課後や休日にはステージを目指す。
悔しい結果に落ち込みながら、翌日には教室で授業を受ける。
その行き来があったからこそ、現在の親しみやすい雰囲気につながっているように思います。
大倉空人の中学や高校の名前は、今も公表されていません。
しかし、江の島まで自転車を走らせたこと。
歌割りを失って初めて悔しさを知ったこと。
高校でグループメンバーに選ばれ、友人とファミレスで笑ったこと。
学校名以上に、その人らしさが見える学生時代です。
大倉空人を作ったのは、特別なステージだけではありません。
湘南の海と、教室で過ごしたごく普通の時間。
その両方が、現在の彼を支えているのでしょう。

