「数量管理上の整合性が取れている」。

2026年9月15日、池袋の映画館がこんな調査結果を公表しました。

映画ちいかわの入場者特典が横流しされたのではないか、という疑いへの回答です。

 

ところが、この一行を読んで、すっきりした人ばかりではありませんでした。

数が合っているのは分かった。

では、何の数を数えたのでしょうか。

 

今回は、この調査で何が分かって、何は分からないままなのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。

総納品数から在庫を引いた数

まずは、何をどう調べたのかを見ていきましょう。

グランドシネマサンシャイン池袋が9月15日に公式Xで出したのは、「社内調査の途中経過報告」という文書でした。

そこに書かれていた調べ方が、これです。

「総納品数から在庫数を差し引いた数と、動員数(配布数)との間に差異は確認されておらず、数量管理上の整合性が取れていることが確認されました」

 

かみくだくと、引き算になります。

仕入れた数から、まだ残っている数を引く。

そうやって出てきた「出ていったはずの数」が、来たお客さんの数と合っているかどうか。

この三つを突き合わせて、ずれは見つからなかったとのこと。

動員数というのは、その映画を実際に観に入った人の数のことです。

特典は入場した人に1つずつ配るものなので、観た人の数と配った数は、本来そろうはず。

そこがそろっていた、というのが今回の報告。

まとめて棚から消えていれば、当然ここに穴が空きます

その穴は無かった。

ここまでは、はっきりしていることとして受け取ってよさそうです。

 

そして映画館は、その結果を受けてこう続けています。

「当社が管理する入場者特典が不正に流出したことを裏付ける事実は確認されておりません」

文書の署名は、劇場の名前ではなく佐々木興業株式会社。

運営している会社の名義で出された文書、というわけです。

ちなみに、この紙のタイトルは「途中経過報告」。

調査が終わりましたとは、まだどこにも書かれていません

選んで渡しても数は合ってしまう

ネットで目についたのは、この引き算そのものへの疑問でした。

 

「数量管理に関しては数の整合は取れていただけであって、例えば関係者が事前に袋を触って中身を予測し選別していたとかは確認してないんでしょ?」

「これ袋の上から中身を確かめて抜いて、友達が来た時に渡してたというやり方じゃなかった? なら数が合うに決まってるじゃないか」

 

これ、言いがかりではありません。

引き算で見えるのは、出ていった特典の総数だけだからです。

数えてみると、すぐに分かります。

仮に100個仕入れて、100人のお客さんに1つずつ渡したとしましょう。

このとき、渡した相手が誰であっても、数はきちんと100で合う。

知り合いに先に声をかけていても、袋の上から触って中身を選んでいても、1人に1つなら引き算の答えは動かないまま

そもそもこの映画の特典は、選べない形で配られています。

公式サイトによると、9月5日から18日まで配られている第4弾は、チャームミニフィギュアの全4種類から1つランダム。

8月22日から配られた第3弾のプルバックカーも全3種類からランダムで、いちばん最初の第1弾にいたっては全8種類のうちの1つでした。

つまり、もらう側は種類を選べません

そこが、この騒動のいちばん熱いところでもあって。

疑われていたのは「棚から持ち出した」だけではなく、「選べないはずのものを選んで渡した人がいたのではないか」のほうだったわけです。

 

そして、選んで渡しても、渡した個数は変わりません。

原則を守ったまま、中身だけ寄せることはできてしまう

レジの数字には、その1つが誰の手に渡ったかまでは残らないからです。

 

この調べ方が見ているのは〈何個出ていったか〉であって、〈どう配られたか〉ではないということ。

映画館が嘘をついているという話ではなくて、引き算では配り方が最初から見えないんです。

出品されている分は数の外にある

見えていないのは、配り方だけではなくて。

もらえなかった人が実際に目にしているのは、劇場の在庫表ではありません。

 

フリマアプリで「映画ちいかわ 入場者特典」と打ってみると、出品がそのまま並びます。

第2弾のシールも、第3弾のごきげんセイレーンも、いま配っている第4弾のチャームも、絞り込みのタグごと出てくる状態でして。

値段は1,000円台から4,000円台まで。

ただ、ここには落とし穴があります。

出品が並んでいること自体は、映画館の不正の証拠になりません

何度も劇場へ足を運んだ人が出しているぶんが、必ず混ざるからです。

1回の入場で1つもらえるのですから、10回観れば10個になる。

それを売るかどうかは、少なくとも劇場の棚の外で起きている話です。

 

しかも第4弾は、まだ配布期間の途中でして。

公式に書かれている最終日は9月18日なので、これから増える出品もあるはずです。

 

もらえなかった人からすれば、棚の中がどうだったかよりも、目の前に並んでいる出品のほうが現実。

しかも、その1つがどこから出てきたものかは、外からは分かりません。

数は合っていますと言われたところで、フリマの出品は1ミリも減らないわけでして。

ここが、この件のいちばんややこしいところだと思います。

映画館が数えたのは、劇場の棚から出ていった数。

もらえなかった人が見ているのは、スマホの画面に並んでいる数。

どちらの数も正しくて、それでいてどちらも噛み合っていません。

「数は合っています」という説明が嘘ではないのに、聞いた側のもやもやだけが残ってしまうのは、測っている物差しがそもそも別だからなんですよね。

確認されておりませんと存在しません

ところで、この報告書には、特典の話とは別の一段も入っています。

 

騒動のさなか、発端になった投稿をした人が、こんな趣旨のことを書いていました。

映画館側から彼氏のほうに、今回の件は大目に見る代わりにもう何も言うなという打診があった。

そして、ポストの更新はこれで最後になる、という一文も添えて。

 

この打診について、9月15日の文書はこう書いていました。

「当該SNSアカウントが記載されているような、当社と投稿者又はその関係者とのやりとりも存在しません」

 

確認されておりません、と、存在しません

並べてみると、強さがまるで違います。

 

前者は「調べた範囲では出てこなかった」。

後者は「無い」と言い切る形

なぜ、ここだけ言い切れたのでしょうか。

自分の会社が誰と連絡を取ったかは、社内を見ればすぐに分かるからです。

外の誰かが何をしたかは分からなくても、自分たちがやっていないことなら分かる

言い切れる場所では言い切って、言い切れない場所では調べた範囲を書く。

そう読むと、9月15日の報告書は正直に線を引いた文書でした。

 

言い切るほうが、書く側にとってはこわいはずなんです。

あとから覆れば、その一行ごと信用が飛んでしまいますから。

それでも「存在しません」と置いたのは、そこを確かめきったという意思表示。

発信者情報開示請求まで進んでいる

9月9日に出た最初の文書と読み比べると、動いたところが見えてきます。

 

騒動が広がった9月9日の午前、映画館が最初に出した文書の書き出しは、こう。

「当該投稿の内容について事実関係の確認を進めており、あわせて法的観点からの検討のため弁護士へ相談しております」

そのうえで、投稿が事実と確認された場合は社内規程等に基づき厳正に対処する、事実に反していた場合は法的措置を含む適切な対応をする、と両方を並べていたんです。

どちらに転ぶのか、その時点では会社自身にも分かっていなかった、ということ。

この9日の文書、どの投稿のことなのかは一言も書いていません

「当該投稿」とだけ置いて、相手の名前もアカウントも出さないまま。

ここも、外から見ると地味ですが慎重な書き方。

それが9月15日には、こうなります。

「引き続き、弁護士を通じて発信者情報開示請求等の法的手続を進めております」

 

発信者情報開示請求というのは、投稿した人が誰なのかを、SNSの運営会社や通信会社に開示させる手続きのこと。

名前も住所も分からない相手に責任を問うには、まずそこを特定しないと始まりません。

勝手に教えてもらえるものではないので、裁判所を通して進めるのが基本の形です。

 

弁護士へ相談している、から、手続を進めている、へ。

両側を並べていた文書が、片側だけになりました

9月9日の書きぶりと比べると、会社の構えははっきり変わっています。

 

ネットにも、映画館をねぎらう声がありました。

本来やらなくてよかった仕事なのに、ここまで調べさせられたのだから、というものです。

在庫を数えて、動員数と突き合わせて、そのうえで文書を2枚書く。

調べさせられた手間は誰かが実際に払っています

数字は合っていますと言われたら

ちいかわの特典にかぎった話ではない、というのがこの形の説明の厄介なところ。

会社や役所が出す報告に「数字に問題はありませんでした」と書かれているとき、こちらが見るべきなのは数字そのものではありません

 

見るのは、次の三つです。

  • 何を数えたのか。総数か、内訳か、渡った先か
  • その数え方で、いま疑われていることが見えるのか
  • 言い切っている文と、調べた範囲を書いた文はどちらか

一つ目と二つ目は、たいてい報告書の中にちゃんと書いてあります。

今回のように「総納品数から在庫数を差し引いた数と、動員数との間に差異はない」とまで書いてあれば、それは総数の照合だと読める。

配り方を調べたとは、どこにも書かれていません

 

三つ目が、いちばん使えるところだと思います。

「確認されておりません」と「存在しません」が同じ紙に並んでいたら、書いた側は言い切れる範囲を意識しているということ。

逆に、最初から最後まで「ありません」で埋め尽くされた文書のほうが、あとになって崩れたりします。

 

今回の紙で言えば、読みどころは調べ方を書いた一文でした。

「総納品数から在庫数を差し引いた数と」とわざわざ書いてあるので、そこに調べた範囲がまるごと出ています。

短い文書ほど、こういう一文が一つだけ混ざっているものでして。

数字は間違えていませんので、で終わる説明にもやっとする気持ちは、間違っていません。

その説明は嘘ではないけれど、こちらの聞きたいことには答えていないからです。

嘘なのかどうか、ではなく、何に答えていないのか。

そこを分けて言えるようになると、次に同じ形の報告を読むときに、どこを追えばいいかが見えてくるはず。

今回の報告はあくまで途中経過で、法的手続きのほうもまだ続いています。

だから、この件がどこへ着地するのかは、いまの時点では分かりません。

ただ、数が合っていると聞いてもやっとした人の感覚のほうは、外れていなかった。

あの引き算では、もともとそこが見えないからです。

次に数字は合っていますと言われたときは、何を数えたのかを一行だけ探してみたいところですね。