メゾピアノのコラボ中止|しぐれういが謝っても終わらない理由

謝ったのに、なぜ終わらないのか。
その問いが、いまSNSに残ったままです。
2026年9月17日、子ども服ブランド「mezzo piano」が、VTuberしぐれういとのコラボ企画を中止しています。
そのニュースにいちばん多く並んだのは、中止でよかった、という声でした。
そして9月19日には、しぐれうい本人が配信で「不適切だった」と認めています。
それでも、風向きは変わっていません。
今回は、なぜ終わらないのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。
発表から中止までに起きたこと
企画を発表したのは、株式会社colyでした。
日付は2026年9月15日です。
イラストレーターでVTuberのしぐれういと、mezzo pianoが組むという内容でした。
描き下ろしのイラストを使ったグッズを売り、10月に三つの街でポップアップショップ(期間を区切って開く売り場)を開く。
会場も日程も、すでに決まっていました。
- 名古屋PARCO 東館B1F=10月3日から10月12日まで
- SHIBUYA109渋谷店 8F=10月15日から10月25日まで
- 心斎橋PARCO 9F=10月17日から10月25日まで
mezzo pianoは、ナルミヤ・インターナショナルが展開しています。
1988年に生まれた、この会社でいちばん古い子ども服のブランドです。
サイズは50から140センチで、赤ちゃんから小学校の中ごろまでの女の子が着ます。
売り場は百貨店が中心で、担当者が家まで来る外商でそろえている家もある世界です。
いっぽうのしぐれういは、三重県出身のイラストレーターで、漫画家でもあり、キャラクターの姿で配信するVTuberとしても個人で活動しています。
ライトノベルの挿絵や、VTuberのキャラクターデザインで名前を知られてきました。
告知が出た直後から、SNSには「購買層が違いすぎる」という声が並びはじめます。
そして9月17日、企画は中止になりました。
同じ日の夕方、ねとらぼは「ふさわしくない」など疑問を呈する声があったこと、いっぽうで中止を惜しむ声もあったことを報じています。
心配されていたのは、まだ売っていない商品ではない
中止を伝えるポストに集まった言葉には、心配の向き先がはっきり出ていました。
グッズでも、ポップアップショップでもありません。
すでに家にある服のほうでした。
ある親は、自分をメゾピアノの重課金者だと書いたうえで、こう続けています。
「中止したとしても逆恨みしたオタクに娘が危害加えられたらと思うと着せるの怖い」
「中止したからもう大丈夫なんて単純な問題じゃない」
中止は、この人にとって終わりではありませんでした。
着せるかどうかという問いが、そこから始まっています。
同じ投稿の終わりには、こうもありました。
「女児親は可愛い我が子が性被害に遭わないよういかに神経尖らせてるのか知って欲しい」
別の人は、現実を生きる女の子が着る服と、ネットの中にあるものは混ぜてはいけない、という言い方をしていました。
買っているのは子どもと母と祖母で、しぐれういのファンとは別の人たちだ、という指摘もあります。
そのうえで、こんな一行がありました。
「そもそも『ロリ』という言葉自体を嫌うから。当然でしょ?忌み言葉みたいなもん」
忌み言葉、という言い方は正確だと思います。
口に出すこと自体を避ける言葉です。
その売り場に、その言葉がついて回る名前が並びました。
反応の速さは、そこから来ています。
もちろん、別の見方もありました。
「脅迫はダメだけどしぐれういが自分の立ち位置をしっかり把握してなかった結果だよ」
受けた仕事を潰されたうえ脅迫まで受けているのだから被害者だ、という声も出ています。
なぜこの組み合わせが燃えたのか
その言葉がしぐれういの名前についているのは、2022年に発表された一つの楽曲があるからです。
「粛聖!! ロリ神レクイエム☆」というタイトルの曲。
9歳を名乗るキャラクターが小児性愛をモチーフにして歌う、いわゆるネタ曲として作られました。
作詞はまろん、作曲と編曲はD.wattで、どちらもIOSYSというサークルの人。
しぐれういは、この曲を歌った側です。
2023年9月10日にミュージックビデオが公開されると、この曲は一気に広がりました。
18日で1000万回再生、2024年6月18日にはVTuberの楽曲として初めて1億回再生に届いたと報じられています。
この曲が「子ども向けのもの」と近づいて騒ぎになるのは、実は今回で三度目なんです。
2023年10月には、「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさんだった横山だいすけが、この曲で踊った動画をTikTokへ投稿しています。
批判を受けて、ブログで謝罪し、アカウントも削除しました。
同じころ、学校教材のメーカーである株式会社アーテックも謝罪に追い込まれています。
こちらは自社の防犯ブザーがミュージックビデオに映り込んでいただけ、という形です。
2023年の時点で、同じ組み合わせがすでに二度、火を噴いていたことになります。
今回のコラボを見て、なぜ発表する前に調べなかったのか、という声が出たのは、この前例があるからなんです。
「諸般の事情」で終わっていたのは一枚だけ
では、中止のお知らせには何と書いてあったのでしょうか。
ニュースの見出しに乗ったのは、公式サイトに出た文でした。
「諸般の事情により、中止させて頂く事となりました」
続けて「お客様には大変なご迷惑をお掛けしましたことを、深くお詫び申し上げます」。
コラボを告知していたページそのものも、見出しの頭に「【※諸般の事情により中止になりました】」と足されただけの形で残っていました。
グッズの中身も、三つの会場も、そのまま並んだまま。
たしかに、これだけでは何があったのかまったく分かりません。
「『諸般の事情により』なんて誤魔化さないで」という声が並んだのも、無理のないところ。
ところが同じ日のXには、これとは別の文が二つ出ていました。
一つは、メゾピアノ側のアカウントです。
ブランドの公式キャラクター「ベリエ」の名前で動いているアカウントで、報道でもメゾピアノ公式の説明として扱われています。
そこには「さまざまなご意見をお受けしたこと、また店舗運営をはじめとする関係者の安全に関わる内容もあったため」と書かれていました。
下記ご確認いただけますと幸いです。
さまざまなご意見をお受けしたこと、また店舗運営をはじめとする関係者の安全に関わる内容もあったため、本コラボレーションは中止とさせていただきました。
本件につきまして、ご心配をおかけしましたこと、誠に申し訳ございませんでした。— Berrie (@berriefan) 2026年9月17日
安全、という言葉が入っています。
もう一つは、しぐれうい本人のアカウント。
こちらはさらにはっきりしていて、「私を含む関係者への暴力行為を示唆する脅迫もあり、安全を考慮し」と自分の言葉で書いていました。
こちらご一読ください。
様々なご意見をいただきましたこと、また私を含む関係者への暴力行為を示唆する脅迫もあり、安全を考慮し本コラボレーションは中止となりました。
ご来場を検討いただいておりました皆さまへは急なご連絡となり、またご心配をおかけすることとなり誠に申し訳ございません。— しぐれうい (@ui_shig) 2026年9月17日
脅迫、という言葉まで本人が出しています。
二つの文が出たのは、どちらも9月17日の夕方でした。
coly広報が『しぐれうい×mezzo piano』中止のお知らせを出したのと、ほぼ同じ時間帯に並んでいます。
ちなみにメゾピアノ側の文には、もう一つ別の引っかかられ方がありました。
書き出しの一行が「下記ご確認いただけますと幸いです」だった点です。
社内メールのような言い回しに見えたようで、上司へ送ったメールをそのまま貼ったのでは、という反応が付いていました。
謝るための文の入口としては、たしかに少し遠いところにあります。
つまり理由は、三か所に分かれて置かれていたわけです。
そして全国に流れたのは、いちばん中身の薄い一枚。
「ごまかすな」と言われている相手は、もう書いていたことになります。
本人が「不適切だった」と認めた日
9月19日の夕方、しぐれういがその日のうちに配信をやると告知しました。
そこにあったのは、こんな一行です。
「冒頭少しご挨拶させていただきたいのと、その後はいつも通りの普通の配信をする予定です!」
YouTube関連のニュースを扱うユーチュラは、その夜の配信での発言をこう伝えています。
「一般的な印象からすると今回のコラボは確かに不適切だったなって私は思います」
ブランド側は立場上そう言えないので、「私が言います」と本人が引き受けた、という説明もあったとのこと。
配信が終わったあと、本人はもう一度ポストしています。
「私からの言及もこの配信をもって以上とさせていただければと思います」
ファンに向けて、今後この件に言及しないでほしい、とも書いていました。
本人は認めて、謝って、終わりの時期まで自分で決めた。
形の上では、これで片が付いているはずでした。
ところが、収まっていません。
Yahoo!リアルタイム検索が出している感情の割合を9月20日の夜に見たところ、「しぐれうい」で拾われた声はネガティブ88%、ポジティブ12%でした。
数のうえでは、ほぼ一方向です。
きつい言葉が向いていたのは、謝り方でした。
「謝罪配信でも報告でもなく『リズム天国する!』ってタイトルで配信する時点で、ああ……と思うよね」
いっぽうで、もう十分だという声も出ています。
「さすがに声明文や配信での謝罪もたたき出したらもう、しぐれうい嫌いなだけだよね?叩きたいだけだよね?ってなる」
ただ、本人はその日のうちに、やることを先に書いていました。
冒頭で少しあいさつをして、あとはいつもどおりの配信にする、と。
配信のあとの報告でも、冒頭で話したと書いています。
嘘をついた人は、ここにひとりもいません。
謝ったのだからもういい、と言われて、すっと飲み込めるかどうか。
そこで引っかかる感覚は、意地でも粘着でもないと思うんです。
どこまでやれば終わりなのかを決めた決まりが、どこにも無いからなんですよね。
法律が分けているもの、分けていないもの
日本の法律は、この件で問題になったふたつを、ずっとはっきり分けてきました。
子どもを性的なものから守る法律の代表が、児童ポルノ禁止法です。
その2条3項が定義しているのは「児童の姿態」、つまり実在する子どもを写したもの。
2014年6月18日に成立した改正のときには、漫画やアニメ、CGも対象に入れるかどうかが議論になりました。
入れない、という結論です。
表現の自由が狭まるという反対が強く、創作物は対象の外に置かれたままになっています。
もう一つ、今年の12月から動き出す仕組みがあるんです。
こども性暴力防止法、通称・日本版DBS。
2026年12月25日に施行されて、対象の事業者は、働く人に特定の性犯罪の前科がないかを確認することになります。
学校や保育所などは義務、学習塾やスポーツクラブなどは国の認定を受けた場合に義務、という分け方です。
相談できる体制をつくることや、疑いがあるときに子どもと接触させない手立ても求められます。
どちらの法律も、見ている先は同じでした。
片方は実在の子どもを写したもの、もう片方は実在の子どもに仕事で近づく人。
守られているのは、どちらも生身の子どものいる場所です。
絵の中の子どもは、そこに入っていません。
そして、どちらの法律も見ていないものがあります。
子ども向けのブランドが、誰を看板に立てるか。
実在する女の子が着る服と、絵の中で描かれるものが、同じ売り場に並ぶとき。
そこに口を出す条文は、一行もありません。
この件は、あの曲がアウトかどうかという話ではないのだと思います。
法律がずっと分けてきたふたつが、一つの売り場で混ざりかけた話なんです。
終わりを決める人が、どこにもいない
条文が何も言っていないなら、判断できる人は他にいません。
やっていいかどうかを決められるのは、その名前を使う側だけ。
2023年の二件も、同じ形でした。
横山だいすけを動かしたのは、法律ではなく本人の判断で、アーテックのときも変わりません。
どちらのときも、違法だと言った人はいませんでした。
それでも、全員が自分で下げています。
今回も、下ろしたのは自分たちです。
企画会社が中止を出し、ブランド側が理由を書き、本人が配信で認めて、幕引きの時期まで自分で置いた。
決められる立場にいた人は、それぞれ自分の分を決めました。
それなのに終わらないので、今度はどこまでで終わりなのかを、めいめいが自分で決めはじめます。
謝罪文が足りないと言う人、配信の入り方が違うと言う人、もう十分だと言う人。
採点表が配られていないので、全員が自分の基準で点をつけているわけです。
この件について、国際大学グローコム客員研究員の小木曽健さんが、企業の側の動き方に注文をつけていました。
ENCOUNTが9月18日に配信した記事の中の言葉です。
始めるときについては、こう話していました。
「企業としては、賛否あるコラボに踏み切るなら批判の声が上がることまで想定した上で、事前に社内でしっかりと論点整理を行い、議論が巻き起こったタイミングで『なぜこの企画をやるのか』を示すべきでした」
終わらせ方についても、こう続けています。
「全面的な企画の中止も、気に入らない表現は炎上させればつぶせるという『成功体験』を与えることにつながってしまうので、延期やオンラインでの開催など、何らかの余地を残せたらよかったと思います」
注文が要るのは、始める線も終わる線も、どこにも決まっていないからです。
この件で、条文がはっきり線を引いている場所も一つだけあります。
中止の発表には、寄せられた意見と並べて「暴力行為を示唆する脅迫」も理由として書かれていました。
刑法222条の脅迫罪が見ているのは、生命・身体・自由・名誉・財産に害を加えると告げたかどうか、その一点だけ。
企画をどれだけ厳しい言葉で批判しても、この条文には当たりません。
逆に、たった一行「家に行くからな」と書き込めば当たります。
線は、怒りの大きさではなく、書いた言葉の中身で引かれているからです。
企画を批判した人と脅迫を書き込んだ誰かは、別の人たちでした。
ここだけは、誰が決めるかで揺れません。
中止は決まりました。
本人も認めて、謝っています。
それでも着せるのが怖いという言葉が残っているのは、誰かが意地を張っているからではないはずです。
始めていいかどうかを決める決まりが無い場所には、終わっていいかどうかを決める決まりも、やっぱり無いんですよね。
