子どものころ、学校の行事や家族に連れられて、「人体の不思議展」へ行ったことはありませんか。

本物の人の体を樹脂で固めて、筋肉や血管が見えるようにして並べた展示です。

その展示の写真が、いまネットで大きく回っています。

添えられていたのは、身元の分からない人たちが、死んだあと本人の同意もなく皮をはがれ、ポーズをとらされて見世物にされた、という言葉でした。

子どものころに見たあれは、怪しいものだったのか。

そう思って、背中が冷たくなった人もいるはずです。

ところが、あの写真には、少しややこしい事情が隠れています。

怒りが集まっているいちばんひどい写真は、ドイツの解剖学者が作った別の展示の標本でした。

今回は、あの展示の遺体はどこから来たのか、同意はあったのかを調べてみます。


怒りを集めた2枚は別の展示の標本

出回っている写真は4枚。

そもそも本物なのかという声もありましたが、あれは本物の人の体に樹脂をしみこませて固めたものだそうです。

とくに目を引くのが、男女の標本に性行為を思わせるポーズをとらせたものと、お腹の中が見える妊婦が横たわっているもの。

ネットにも「なんでこんなことするんだろう」「死んだら何でもしてもええんか」という声が並びました。

その気持ちは、もっともだと思います。

 

ただ、この標本はどちらも、ドイツの解剖学者グンター・フォン・ハーゲンスが手がけた「BODY WORLDS(人体の世界)」の作品として知られているもの。

性行為のポーズの標本は、2009年5月にドイツのベルリンで公開され、16歳未満は入場できなかったと報じられています。

現地の政治家からも強い批判が出て、大きな騒ぎになりました。

 

横たわる妊婦の標本も、2004年のイギリスの新聞が、ハーゲンスの展示のひとつとして紹介していたものです。

「こんな尊厳ないポーズは無かった気がする」という声もありました。

日本で見た展示にこうしたポーズは無かった、という記憶は、たぶん間違っていません。

一方で「ドイツ人が主催の頃は真面目な展示しかなかったのに」という声もありましたが、性行為のポーズの標本を作ったのは、そのドイツの解剖学者でした。

作った人も、展示した国も、時期も違う標本が、いまはまとめて「人体の不思議展」と呼ばれているんです。

なお、ほかの写真がどこの会場で撮られたものかは、確かめられませんでした。

そしてもうひとつややこしいのが、日本の人体の不思議展も、はじめはこのハーゲンスの標本から始まっていたこと。

 

人体の不思議展は途中で中身が入れ替わった

ハーゲンスの標本が日本で最初に公開されたのは、1995年9月、東京・上野の国立科学博物館です。

日本解剖学会の大きな総会に合わせて開かれた展示で、名前は「人体の世界」でした。

その翌年から各地を回り始めたのが、人体の不思議展です。

 

ネット上の事典などでは、はじめの数年はハーゲンスの研究所と組んで開かれ、その後に契約が切れて標本は返された、と紹介されています。

2002年以降の人体の不思議展は、外国人の遺体を中国の工場で加工したものに変わりました。

医療団体の全日本民医連が2008年に出した声明に、そう書かれています。

 

同じ声明には、日本医師会や日本看護協会、日本歯科医師会、各地の教育委員会などで、後援をとりやめる団体が出ているという一文もありました。

裏を返せば、それまでは名前を貸していた団体もあったはずです。

ネットには、教育委員会が出した割引券で見に行ったという声もあります。

医療や教育の団体が後ろについていれば、見に行った側が「学びの場」だと受け取るのは当然の流れだったんですね。

ところが、入口の看板は同じまま、並んでいる体の出どころだけが途中で入れ替わっていました。

ネットでは、若くて健康そうな体ばかりが並んでいたことも、出どころを怪しむ理由として挙げられています。


死刑囚説はどこまで本当か

ネットで目についたのが、標本は中国の死刑囚のものだった、という声。

実際、そう疑われるだけの報道は過去にもあります。

2004年、ドイツの週刊誌シュピーゲルは、ハーゲンスが中国の大連に持っていた施設に、頭を撃たれて処刑されたとみられる若い男女の遺体が届いていたと報じました。

施設には647体の遺体があったそうです。

 

ハーゲンスは、処刑された人のものではないと証明はできないが、そうではないと信じている、と話しながら、疑いのかかった7体を中国へ返すと表明しました。

アメリカでは2008年、ニューヨーク州の司法長官が、遺体の展示を手がけていたプレミア・エキシビションズという会社と和解しています。

その会社は、これから手に入れる遺体については、1体ごとに出どころと死因と本人の同意を書類で確かめることを求められました。

すでに持っている遺体を展示し続けるなら、処刑や拷問を受けた中国の囚人のものではないとは確認できない、と入口や広告で知らせることも約束させられています。

日本の展示とは別の会社ですが、この会社が並べていた遺体は大連にある別の会社から借りたもので、警察から引き取り手のない遺体として受け取ったと説明されていたそうです。

中国自身も、2006年に遺体を医学研究以外に使うことを禁じ、国の外へ運び出すには承認が要るようにしました。

それでも、日本で並んだ1体1体が誰だったのかを示した記録は、表には出てきていません。

 

「生きたまま薬を流さないと、あんなにきれいには作れない」という噂も、ずっとささやかれてきました。

作り方を説明した資料では、まず亡くなった体の動脈にホルマリンを流して腐るのを止め、そこから水分と脂肪を薬品に置き換え、樹脂をしみこませて固めていく、とされています。

1体に1年ほどかかる作業で、生きたまま処置したことを示す資料は見当たりませんでした。

怪しまれるだけの理由はそろっていても、誰の体だったかはいまも分かっていません。

 

京都の告発が行き着いた罰金2万円

では、日本ではなぜ止まらなかったのでしょうか。

2010年に京都での開催が決まると、京都府保険医協会が中止を求める声明を出し、府や市、教育委員会には後援しないよう求めました。

会場になった施設には、使う許可を取り消すよう申し入れたそうです。

同じ年の12月には、協会の理事長らが、主催者を死体解剖保存法の違反で京都府警へ告発しています。

その数日前には、金沢での展示についても、大学の講師らが石川県警へ告発していました。

 

死体解剖保存法の19条は、遺体を保存するには、遺族の承諾と都道府県知事の許可がいると定めています。

しかもこの条文には、遺族の居場所が分からないときは承諾がなくてもよい、という但し書きつき。

身元の分からない遺体なら、遺族がどこにいるかも分からないので、承諾を確かめる相手がそもそもいないんです。

府警は当初、国の見解がはっきりしないとして告発を受け取りませんでした。

そのあと厚生労働省が、標本も法律上の「死体」にあたるという見解を示したそうです。

それでも2011年12月、京都地検は不起訴にしました。

標本は死体で、展示も保存にあたるとしながら、主催者にその認識がなく、わざとやったとは言いにくい、という理由だったとのこと。

地検は主催者に、許可なく同じやり方で展示すれば法律の違反になる、と伝えたといいます。

 

もっとも、19条に違反したときの罰は、23条で「二万円以下の罰金」でしかありません。

この法律が見ているのは、許可を取ったかどうか。

遺族の承諾は求めていても、並んでいる体の本人がそれを望んでいたのかを確かめる仕組みは、最初から入っていませんでした。

人体の不思議展は、2012年3月に主催者が終了を告げ、京都が最後の開催になっています。

同じ年、日本医師会の生命倫理の会議も、報告書の中に、こうした展示は倫理的に認められないと書き添えました。


会場に残った脂の臭いは何だったのか

見に行った人の記憶には、写真とは別のものも残っています。

2026年10月16日には、人体の不思議展の会場の臭いがつらくて、家族を残して途中で外へ出たという人の話が、ネットで大きく広がりました。

油ではなく脂のような、胸焼けのする臭いだったといいます。

当時を覚えている人からも声が寄せられ、ホルマリン、樹脂、死臭と、見立てはばらばらです。

何年もたったいまも臭いだけははっきり覚えている、という人もいました。

その記憶を、気のせいで片づけてしまうのは違う気がします。

 

2002年以降の日本の展示の標本を加工した工場は、作り方の説明を表に出していません。

手に入る説明はBODY WORLDSのもので、公式サイトは完成した標本を「dry, odorless」、つまり乾いていて臭いのないものとして紹介しています。

ホルマリンの臭いを挙げる声が出るのは、最初に体が傷むのを止めるのに使うこの薬品が、ごく薄い濃度でも臭うものだからかもしれません。

ただ、当時の会場の空気を測った記録は見つからないので、あの臭いの正体を言い切ることはできないんです。

 

脂のような臭いの手がかりは、国際的な学会誌「Journal of Plastination」にありました。

体の水分と脂を樹脂に置き換えて固める、プラスティネーションという技術の専門誌です。

ひとつは、脳は脂を抜かずに作るという点。

神経を包む膜は脂でできていて、それ自体が脳の大事な一部なので、脂を抜いてはいけないとされています。

ほかの部分はアセトンという薬品で脂を抜くのに、脳だけは脂が残ったまま。

もうひとつは、固まりきらなかったシリコーンが、標本の奥から少しずつにじみ出てくることがあるという報告でした。

全身の標本で起きやすく、固めたあとも数週間続いたそうです。

 

人体の不思議展の会場の出口近くに、手で触れる全身や脳の標本があったことは、2010年に見に行った新潟のラジオ局のパーソナリティのブログにも残っています。

当時を覚えている人からは、脳がベタベタしていた、手にゴムのような臭いが移った、という声も。

プラスティネーションの樹脂にはシリコーンゴムも使われるので、こうした声は、脂を抜かない脳と、にじみ出ることのあるシリコーンという2つの記述と、つじつまが合うんですよね。

それでも、日本の会場に並んだ標本が実際にどう作られ、どう手入れされていたのかは、外からは確かめようがありません。

 

同意書があったのは品がないと言われた側

最初の写真の標本を作ったBODY WORLDSには、献体の登録の仕組みがあります。

本人が生きているうちに同意書へ署名して、公開の展示に使ってよいか、医学の教育だけに使うかまで自分で選べる仕組みで、登録者は2万人を超えていると研究所は説明しているそうです。

同意書では、誰にも左右されず自分の意思で決めたことを、本人が宣言することになっているとのこと。

性行為のポーズの標本についても、献体した人は親密なポーズになりうることにも署名していた、と展示側は話していました。

AP通信によると、ハーゲンス本人は2026年7月に81歳で亡くなり、自分の体も標本にしてほしいと望んでいたと、家族が明らかにしています。

 

研究所や展示側の説明どおりなら、本人の同意の書類は、いちばん品がないと言われた標本の側にありました。

反対に、2002年以降の日本の展示は、誰の体なのかを確かめられないまま終わっています。

日本にも献体の法律はあり、献体したいという意思は「尊重されなければならない」と書かれていますが、対象は医学と歯学の解剖だけで、展示のことは定めていません。

もちろん、同意さえあればどんなポーズでもいい、という話でもないはず。

死体解剖保存法の20条にも、遺体を扱うときは「特に礼意を失わないように注意しなければならない」とあります。

品のなさに腹が立つ気持ちと、出どころが分からないことへの怖さは、どちらも本物でしょう。

ただ、この2つは別々の話でした。

ポーズは展示をやめれば消せても、名前のない体が誰のものだったかは、もう確かめようがありません。

 

ネットには、子どものころに見に行ったことを、どこか後ろめたそうに振り返る声もありました。

けれど、会場へ並んだ子どもに、標本の出どころを確かめる手立てはどこにもなかったはずです。

確かめる責任があったのは、遺体を並べて入場料を集めた主催者と、後援に名前を貸した側だったということですね。