2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピック、スノーボード女子スロープスタイル。
19歳の深田茉莉選手が金メダルを獲得し、冬季五輪日本女子最年少金メダリストという歴史的快挙を成し遂げました。
正直なところ、この瞬間には思わず息を呑んだ方も多いのではないでしょうか。
しかし、表彰台で輝く彼女の姿を見守っていたのは、自らの夢を妹に託した一人の青年でした。
兄・深田渚さん、22歳。
国内大会で実績を残した元スノーボーダーでありながら、妹の才能を信じて競技を引退し、裏方に徹してきた人物なんです。
金メダル獲得直後、茉莉選手は涙ながらにこう語りました。
「ずっと応援してくれたお兄ちゃんのおかげでチャンスをつかむことができた」と。
この言葉を聞いたとき、兄の言葉に涙が止まらなかったという報道も伝えられています。
いったい、どれほどの献身があったのでしょうか。
今回は、金メダルの陰に隠れた兄妹の絆と、渚さんが妹に捧げた3つのサポートについて詳しくお伝えしていきます。
深田茉莉の兄はどんな人?
深田茉莉のお兄ちゃん、妹のために、大学を地元から関東に変えて一緒に住むとか、凄すぎ。https://t.co/XHmgO4UJz0
— わか (@a3u1o1wakaa) February 18, 2026
金メダリストを支えた兄・深田渚さんとは、いったいどのような人物なのでしょうか。
メディアではあまり取り上げられることのない彼の存在ですが、茉莉選手の成功を語るうえで欠かすことのできないキーパーソンなんですよね。
渚さんは2003年頃生まれの22歳で、茉莉選手より3歳年上のお兄さんにあたります。
現在は都内の大学に通う4年生でありながら、妹のサポートに多くの時間を費やしてきました。
じつは渚さん自身も、かつてはJSBA(日本スノーボード協会)の資格を持ち、国内大会で実績を残した選手だったんです。
高校まで競技を続け、表彰台に立った経験もある実力者。
将来を期待される若手選手の一人だったわけですね。
ところが、2022年4月の大学進学を機に、渚さんは現役を退く決断をします。
その理由は、妹・茉莉選手の才能にありました。
「茉莉はいずれ世界で戦う」
兄として間近で妹の滑りを見てきた渚さんには、確信があったのでしょう。
自分が選手として頂点を目指すよりも、妹を支える側に回ったほうが、家族として大きな成果を残せる。
そう考えた末の決断だったといいます。
引退当時の心境について、渚さんはこんなふうに振り返っています。
「僕にはもうチャンスがない。茉莉には頑張ってほしかったけど、うらやましかった」
この言葉には、複雑な感情が滲んでいるように感じられます。
悔しさがなかったわけではないでしょう。
自分だって選手として夢を追いたかったはずなんですよね。
それでも妹の可能性を信じ、自らの夢を託す道を選んだ。
22歳の青年にとって、それがどれほど重い決断だったか、想像に難くありません。
渚さんの役割は、もはや「兄」という枠を超えています。
茉莉選手が愛知県の実家から埼玉県熊谷市の練習拠点「YAMAZEN AICHI QUEST」に通えるよう、兄妹二人暮らしを始めたのも渚さんの提案でした。
平日も練習に集中できる環境を整えるため、家事全般を一手に引き受けています。
朝食から夕食まで、栄養バランスを考えた食事を毎日用意し、洗濯や掃除もこなす日々。
さらに練習場への送迎、海外遠征への同行、コーチとの連絡調整まで担っているのですから驚きです。
加えて、練習場でアルバイトもしているというのですから頭が下がります。
大学の授業との両立だけでも大変なはずなのに、妹のサポートに必要な経済的負担を少しでも軽減しようと、自ら働いているわけですね。
「親代わり」という表現がぴったりかもしれません。
いや、親以上に献身的といっても過言ではないでしょう。
国内大会で実績を残した経験があるからこそ、技術的なアドバイスもできる。
同じ競技者だったからこそ、妹の気持ちに寄り添うことができる。
渚さんは、単なるマネージャーでも、ただの家族でもありません。
茉莉選手にとって、かけがえのない存在なのです。
兄の深田渚による3つの支え
引用元:スポニチ
では、渚さんは具体的にどのようなサポートを行ってきたのでしょうか。
ここからは、妹の金メダル獲得を支えた3つの献身的なサポートについて、詳しく見ていきたいと思います。
国内大会で実績を残した元選手だからこそ可能だった専門的な視点と、兄としての深い愛情が融合した、まさに「唯一無二のサポート体制」といえるものです。
①栄養管理を徹底した手料理
アスリートにとって食事管理がいかに重要か、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
とくにスノーボードのような激しいスポーツでは、体を維持するための栄養摂取が競技成績に直結するんですよね。
渚さんは、この「食」の面で妹を徹底的にサポートしてきました。
毎日の献立は、高タンパク質を意識したメニューが中心です。
チキンのトマト煮込み、鶏胸肉のグリル、新鮮な野菜をふんだんに使ったサラダ。
聞いただけでも栄養バランスの良さが伝わってくるラインナップでしょう。
ちなみに、チキンのトマト煮込みは茉莉選手のお気に入りメニューなんだそうです。
茉莉選手の体重管理や体調維持を考慮しながら、毎食の献立を考えて調理するというのは、並大抵の労力ではありません。
女子アスリートの場合、体重管理は非常にデリケートな問題。
体重が増えすぎれば動きが鈍くなり、減りすぎれば体力が持たない。
その微妙なバランスを保つために、渚さんは日々の食事に細心の注意を払っています。
「女子選手は体重が落ちやすいから、しっかり食べさせないと」
そんな思いで、栄養満点のメニューを作り続けてきたのでしょう。
驚くべきは、遠征時の対応です。
海外での大会や合宿では、食事の環境が大きく変わりますよね。
慣れない土地で、いつもと違うものを食べなければならないストレスは、想像以上に大きいものなんです。
渚さんは遠征にも同行し、可能な限り茉莉選手の食事をサポートしてきました。
現地で食材を調達して料理を作ることもあれば、あらかじめ準備しておいた食材を持参することもあったといいます。
さらに、遠征時には3日分の食事を作り置きすることもあったそうです。
ハードなトレーニングを終えてクタクタになっている妹のために、黙々と台所に立つ兄の姿。
その光景を想像するだけで、胸が熱くなるものがありますね。
茉莉選手本人も、兄の手料理について「おいしい」と太鼓判を押しているそうです。
単に栄養があるだけでなく、味もしっかりしている。
だからこそ、毎日の食事が苦にならず、競技に集中できる環境が整ったのでしょう。
料理の腕前は、妹のために磨き上げたものなのかもしれません。
②練習場や遠征先への送迎
アスリートの生活において、移動は想像以上に大きなウェイトを占めています。
練習場への往復、大会会場への移動、海外遠征の手配。
これらすべてを自分一人でこなしながら、競技にも集中するというのは、なかなか難しいものですよね。
渚さんは、この「移動」の部分を全面的に引き受けてきました。
埼玉県熊谷市の練習拠点まで、毎日のように車で送迎を行っています。
朝早くから練習が始まることもあれば、夜遅くまでトレーニングが続くこともある。
そのたびに車を走らせ、妹を安全に送り届けるのが渚さんの日課になっていました。
ここで注目したいのは、送迎の時間を無駄にしていないという点です。
車内では、その日の練習内容について話し合ったり、次の大会に向けた作戦を練ったりすることもあったといいます。
渚さん自身が国内大会で実績を残した経験を活かし、技術的なアドバイスを送ることもできたでしょう。
移動時間が、そのままコミュニケーションの場になっていたわけですね。
海外遠征となると、その負担はさらに大きくなります。
スイスやニュージーランドなど、世界各地の練習拠点や大会会場へ茉莉選手に同行してきました。
飛行機のチケット手配から、現地での移動手段の確保、宿泊先との連絡調整まで。
マネージャーのような役割も担いながら、妹が競技だけに集中できる環境を整えてきたのです。
大学生でありながら、これほど頻繁に海外へ同行するというのは、学業との両立という意味でも相当な苦労があったはず。
授業を休まなければならないこともあったでしょうし、課題やレポートを遠征先でこなすこともあったかもしれません。
それでも妹のそばにいることを選んだ。
その覚悟の深さには、頭が下がる思いがします。
茉莉選手自身、兄の送迎について「絶対に一人だとできなかった」と語っています。
世界の頂点を目指すアスリートが、移動の心配をせずに競技に打ち込める。
その環境を作り上げたのは、紛れもなく兄の献身的なサポートだったのです。
③メンタルケアとコーチとの連携
スポーツにおいて、メンタル面のケアがいかに重要か。
これは多くのアスリートが口を揃えて語ることですよね。
とくにオリンピックのような大舞台では、技術や体力だけでなく、精神的な強さが勝敗を分けることも少なくありません。
渚さんは、この目に見えない部分でも妹を支え続けてきました。
同じ競技を経験してきた兄だからこそ、茉莉選手の気持ちに寄り添うことができたのでしょう。
練習がうまくいかない日、大会で思うような結果が出なかった日。
そんなとき、渚さんは妹の話に耳を傾け、励ましの言葉をかけてきました。
「大丈夫、茉莉ならできる」
その言葉がどれほど心の支えになったか、本人にしかわからない部分もあるでしょう。
とくに大きかったのは、コーチの佐藤康弘さんとの連携です。
51歳のベテランコーチである佐藤さんと、22歳の兄・渚さん。
この二人が密に情報を共有し、茉莉選手を支える体制を築いていました。
じつは、渚さんと茉莉選手は、以前から一緒に佐藤コーチの指導を受けていたんですよね。
兄妹で切磋琢磨してきた経験があるからこそ、連携もスムーズだったのでしょう。
練習内容や体調の変化、精神状態など、あらゆる情報を共有することで、最適なサポートが可能になったといいます。
コーチは技術指導のプロですが、日常生活のすべてを把握しているわけではありません。
一方、渚さんは妹と生活を共にしているため、練習以外の部分も含めた全体像が見えています。
その両者が連携することで、茉莉選手を360度からサポートする体制ができあがったわけです。
ミラノ・コルティナ五輪の直前、茉莉選手にはプレッシャーがのしかかっていたはずです。
冬季五輪日本女子最年少金メダリストという期待を背負い、世界中の注目を浴びる舞台に立つ。
19歳の少女にとって、その重圧は計り知れないものだったでしょう。
そんなとき、そばにいて支えてくれる兄の存在が、どれほど心強かったことか。
渚さんは、ただ励ますだけではありませんでした。
茉莉選手の性格や傾向を熟知しているからこそ、どんな言葉をかければ響くか、どんなタイミングで声をかければいいか、的確に判断できたのでしょう。
これは、長年一緒に過ごしてきた兄だからこそできること。
外部のメンタルコーチには真似できない、家族ならではのケアといえるかもしれません。
兄妹の絆が生んだ金メダル
引用元:日本経済新聞
金メダル獲得の瞬間、茉莉選手の傍らには兄・渚さんの姿がありました。
しかし、二人の関係は最初から良好だったわけではありません。
幼い頃は「天敵」と呼ばれるほど喧嘩が絶えなかったという二人が、どのようにして現在のような固い絆を築いたのでしょうか。
その変化の過程をたどってみたいと思います。
深田家は6人家族で、まさに「スノーボード一家」と呼ぶにふさわしい環境で育ちました。
父・範生さん、母、兄・渚さん、双子の姉・遥さん、茉莉選手、そして弟。
4人きょうだいの三女である茉莉選手は、物心つく前から雪山に親しむ生活を送ってきたんですね。
週末には家族で奥美濃スキー場や高鷲スノーパーク、ひるがの高原スキー場へ出かけるのが恒例だったそうです。
茉莉選手がスノーボードに興味を持ったのは7歳の頃。
兄・渚さんの滑る姿を見て「かっこいい」と思い、板に乗り始めました。
この「兄への憧れ」が、すべての始まりだったんですね。
中学2年生からは本格的にスロープスタイルに取り組み、兄と一緒に佐藤コーチの指導を受けながら切磋琢磨してきました。
しかし、兄妹の仲は決して良いものではありませんでした。
毎日のように喧嘩を繰り返し、「天敵」と呼ばれるほどだったというのですから、相当なものだったのでしょう。
同じスノーボードという競技をやっているだけに、互いをライバル視する気持ちもあったのかもしれません。
負けず嫌いの茉莉選手と、先を行く兄の渚さん。
切磋琢磨といえば聞こえはいいですが、実際には火花が散るようなやりとりも多かったことでしょう。
転機は、渚さんが大学進学を機に競技を引退し、妹のサポートに回ると決めたときでした。
それまでは「競争相手」だった兄が、「支える側」に変わった。
この関係性の変化が、二人の絆を深めるきっかけになったのかもしれません。
喧嘩していた相手が、いつの間にか一番の理解者になる。
そんな展開は、ドラマのようでもあり、現実の人間関係の不思議さを感じさせますよね。
埼玉での二人暮らしが始まってからは、毎日顔を合わせる生活になりました。
朝起きて、兄の作った朝食を食べ、練習場へ向かう。
帰ってきたら、また兄が用意した夕食が待っている。
この繰り返しの中で、茉莉選手は兄の献身を肌で感じるようになったはずです。
「兄弟は私のことを応援してくれた」と感謝を口にする茉莉選手の言葉には、実感がこもっています。
そして迎えた2026年ミラノ・コルティナ五輪。
茉莉選手は、最初のビッグエア種目で9位に終わり、メダル獲得はなりませんでした。
悔しさのあまり、家族の前で泣き崩れたといいます。
このとき、渚さんをはじめとする家族が茉莉選手を励ましました。
「茉莉ならできる」
その言葉が、彼女を再び立ち上がらせたのです。
スロープスタイル決勝では、茉莉選手は圧巻の滑りを見せました。
3回目の滑走で87.83点という高得点をマークし、見事に金メダルを獲得。
村瀬心椛選手の銅メダルと合わせて、日本勢がダブル表彰台を飾る快挙となりました。
金メダル獲得後の会見で、茉莉選手は涙を流しながら兄への感謝を語りました。
「ずっと応援してくれたお兄ちゃんのおかげでチャンスをつかむことができた」
この言葉は、本心からのものだったでしょう。
4年間、いや、それ以上の時間をかけて積み上げてきた兄妹の絆が、この瞬間に結実したのです。
渚さんもまた、感慨深げに語っています。
「一番近くで見てきて、どの選手よりも努力してきたと思う。妹も自分も報われた」
「妹も自分も報われた」という言葉が印象的ですよね。
自らの夢を諦めて妹を支えてきた渚さんにとって、この金メダルは単なる「妹の成功」ではなかったのでしょう。
兄妹二人で勝ち取った勲章。
そう表現しても、決して大げさではないはずです。
さらに渚さんは「サポートしてこられて良かった」とも語っており、その言葉には充実感と誇りがにじんでいます。
二人の今後の目標は、4年後のオリンピックでのダブル金メダル。
ビッグエアとスロープスタイル、両方の種目で金メダルを獲得するという野心的な目標です。
渚さん自身も「4年後はどっちも金メダルを」と後押ししているそうですから、兄妹の挑戦はまだまだ続きます。
茉莉選手の才能と努力、そして渚さんの献身的なサポートがあれば、決して不可能ではないでしょう。
むしろ、この兄妹ならやってのけるのではないか、そんな期待を抱かせてくれますよね。
深田家のスノーボード一家としての物語は、まだ続いていきます。
弟も大会で優勝経験のある有望株だということですから、将来的には深田家から複数の五輪メダリストが誕生する可能性だってあるかもしれません。
その中心には、今回の金メダル獲得で注目を集めた茉莉選手と、彼女を支え続ける兄・渚さんの姿があることでしょう。
地元愛知では英雄として扱われ、多くの人々から祝福を受けている茉莉選手。
しかし、その輝かしい成功の陰には、自らの夢を犠牲にして妹を支え続けた兄の存在があったことを、忘れてはならないでしょう。
スポーツの世界では、選手本人の努力や才能がクローズアップされがちです。
もちろん、それは当然のことかもしれません。
でも、どんなアスリートにも、支えてくれる人がいる。
家族、コーチ、チームメイト、そして時には自分の夢を諦めて裏方に徹してくれる誰か。
深田茉莉選手の金メダルは、そんな「支える人たちの力」の大きさを、あらためて教えてくれる出来事だったのではないでしょうか。
兄・渚さんは、これからも妹を支え続けていくことでしょう。
自分が選手として戦うことはできなくなったけれど、妹を通じて夢の舞台に関わることができた。
そして、その妹が世界一になった。
これほど報われる経験は、そうそうあるものではありません。
深田茉莉選手の金メダルは、彼女一人の力で獲得したものではありませんでした。
兄・渚さんをはじめとする家族の支え、コーチの指導、そして本人のたゆまぬ努力。
それらすべてが結びついた結果としての、最高の輝きだったのです。
4年後、この兄妹がどんな景色を見せてくれるのか。
今から楽しみでなりません。
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