俳優としてドラマや映画で活躍している水上恒司さんについて知りたい方は多いですよね。
端正なルックスや誠実さがにじむ演技スタイルが支持を集めている一方で、学生時代の背景にも注目が集まる傾向
特に高校時代に名門校で野球部として活躍していたことや、大学進学後に中退して俳優へ進んだ経緯は気になるところではないでしょうか。
「どんな学校だったの?」「なぜ中退を選んだの?」という疑問を抱く方も多いといわれています。
この記事では、小学校から大学までの学歴や偏差値に加え、中退に至る背景をより丁寧に追ったストーリーを紹介します。
目次
水上恒司の出身小学校はどこ?少年時代の素顔
引用元:グーグルマップ
水上恒司さんが通っていた小学校は、福岡市立和白東小学校(ふくおかしりつ わじろひがし しょうがっこう)です。
福岡市東区の静かな住宅街にあるこの学校は、のびのびと成長するにはうってつけの環境といえるでしょう。
水上さんは1999年生まれ。
地元・福岡市で育ち、小学2年生のときに野球を始めたことが、人生の大きな転機になりました。
彼が入ったのは「ヤング福岡ライナーズ小学部」という硬式野球クラブ。
このチームはなんと全国大会にも出場経験があり、県内でも有名な強豪として知られています。
野球を始めたきっかけは、お父さんの影響だそう。
野球経験者だった父の背中を見て「ぼくもやりたい!」と憧れたそうですが、最初は「まだ早い」と断られていたのだとか。
それでも諦めきれず、何度もお願いを重ねた末に、小学2年生でようやく入団が許されたといいます。
この「一度決めたらとことんやる」という性格は、すでにこの頃から見え始めていたのでしょう。
そしていざ練習が始まると、やはりというべきか、水上さんは真面目でストイックなタイプだったそうです。
厳しいトレーニングにも全力で取り組み、しっかりとレギュラーに選ばれるほどの実力を発揮。
当時からすでにプロ野球選手を目指していたという話もあり、その真剣さが伝わってきます。
ちなみにファンの間では「小学生の頃からイケメンだった!」という声が多く、ネット上には坊主姿の野球少年時代の写真も出回っているとか。
「この見た目で小学生って反則じゃない?」というコメントも見られ、将来の芸能界入りも運命だったのかもしれませんね。
家族構成は父・母・姉の4人家族。
特にお父さんとのエピソードが多く、門限を破って叱られた話や、進路に悩んだ際に真剣な話し合いを重ねたというエピソードも残されています。
こうした家族の支えがあったからこそ、水上さんはやりたいことに本気で向き合うことができたのではないでしょうか。
このように水上恒司さんの小学校時代は、家族の温かな支えの中で野球に夢中になり、強い意志と根性が育まれた原点といえる時間だったのです。
水上恒司の中学校時代は?スカウトと野球漬けの日々
引用元:グーグルマップ
小学生の頃から本格的に野球に打ち込んでいた水上恒司さんは、中学に入ってからも野球一筋の生活を続けていました。
進学先は、地元・福岡市にある福岡市立和白丘中学校(わじろおかちゅうがっこう)。
しかし中学でも、いわゆる学校の野球部には入らず、「ヤング福岡ライナーズ」の中学部で硬式野球を続行。
このクラブチームは小学生部門・中学部門ともに全国大会出場経験がある超強豪チームで、練習の厳しさも相当だったといいます。
土日も休みがなく、家族旅行すら行けないほどの練習量だったそうです。
それでも水上さんは日々の練習に真剣に取り組み、プロ野球選手を夢見て汗を流していたとのこと。
そんな中、思いもよらない展開が訪れました。
中学1年の冬、なんと芸能事務所からスカウトされるのです。
帰り道に給食袋を振り回しながら歩いていた水上さんに、突然見知らぬ人物が話しかけてきたそうで…。
当時は芸能界にまったく興味がなかったこともあり、「なに言ってんだろ?」と軽く流したとのこと。
その日の夜、家に帰ってお母さんに話したところ「知らない人に名前教えるなんて!」としっかり怒られたというエピソードも残っています。
しかし驚くのはその翌日。
なんとまた同じ場所にスカウトの人が現れ、しかも人数が1人から2人に増えていたとか。
さすがに怖くなり道の反対側に逃げようとしたところで、再び声をかけられ、本格的なスカウトが始まったといいます。
しかもこのスカウト元の事務所は、芸能界でも有名な「スパイスパワー」。
これは、桐谷美玲さんや黒木メイサさんらが所属するスウィートパワーの男性部門であり、
当時から水上さんが逸材として注目されていたことがうかがえます。
とはいえ、水上さん自身は野球に全力を注いでいたため、芸能界には一切興味がなかったそうです。
スカウトはその後5年間にわたって続きましたが、水上さんはずっと断り続けていたといいます。
それだけ「野球で生きていく」という信念が本気だったのでしょう。
ちなみにモテエピソードも相変わらず。
中学の卒業式では、制服のボタンが全てなくなるほどの人気ぶりだったそうです。
本人は特に意識していなかったようですが、当時から圧倒的なビジュアルの持ち主だったことは間違いありません。
このように水上恒司さんの中学時代は、野球に打ち込む本気の日々の中で、
芸能界という全く別の世界からも注目されていた時期といえるのではないでしょうか。
本人はまだ気づいていませんが、このあと運命を大きく変える転機が、すぐそこまで近づいていたのです。
水上恒司の高校は創成館高校!偏差値と野球成績も
引用元:グーグルマップ
中学まで野球一本で走り抜けてきた水上恒司さんが選んだ高校は、長崎県の強豪校として知られる。
福岡から越境入学するほどの本気度で、「甲子園を目指すんだ」という熱意が強く伝わってきます。
水上さんは野球の特待生として創成館高校に入学。
同校の偏差値はコースにより幅があり、特別進学コースで偏差値44、ライセンス・デザインコースなどは38〜40前後とのこと。
そのため、全体の偏差値としては38〜44あたりと見るのが妥当でしょう。
高校生活は寮暮らし。
毎日が本気の野球漬けだったそうです。
朝は7時の点呼前、なんと5時半ごろから自主練をこなしていたというストイックぶり。
しかも練習は雨でも雪でも休まず、お盆・年末年始・GWくらいしかオフがなかったといいます。
そんなハードな環境で、水上さんはとしてチームを支える立場に。
監督からは「まじめすぎて責任を抱え込みやすいタイプだから、支えるポジションが合う」と判断されたとのこと。
実際、1・2年生の頃には学年キャプテンも任されており、チームからの信頼は非常に厚かったようです。
引用元:@ra__mentsukemen
ポジションはキャッチャー。
正捕手がいたため控えに回ることもありましたが、高校3年の長崎大会・準決勝ではついにスタメンマスクをかぶります。
その試合で、水上さんは4打数2安打1打点という堂々の成績を記録。
ちなみに準々決勝の相手は島原商業で勝利。
準決勝で敗れたのは、のちに甲子園に出場する波佐見高校でした。
結果として、創成館高校はベスト4(準決勝敗退)という成績で、水上さんの高校野球は幕を閉じます。
試合後、ベンチ裏で両親の姿を見た瞬間、思わず涙がこぼれたというエピソードも。
「離れた場所から支えてくれたのに、結果で恩返しできなかった」という思いがあふれ出たそうです。
家族思いな一面と、責任感の強さがよく表れていますよね。
そしてもうひとつ注目すべきは、水上さんがイケメンキャッチャーとして地元で話題になっていたこと。
練習試合には、対戦校の女子生徒がわざわざ見学に来るほどの人気だったといいます。
高校時代からすでにその存在感は際立っていたようです。
こうして全力で駆け抜けた高校野球が終わり、水上さんの人生は大きな方向転換を迎えることに。
そのきっかけとなったのが――まさかの「演劇部」でした。
水上恒司は福岡工業大学に進学していた!中退の理由とは?
引用元:グーグルマップ
創成館高校で野球に青春をささげた水上恒司さん。
高校卒業後は、地元・福岡市にある福岡工業大学 社会環境学部に進学しました。
この大学は理工系や情報系に強く、全体の偏差値はおおよそ35〜42程度。
水上さんが在籍していた社会環境学部は35〜40ほどとされ、決して難関校ではないものの、
野球環境の設備が整っていたことが選んだ理由だったといいます。
実際、水上さんは「大学ではキャプテンになって日本一を目指すつもりだった」と語っており、
この時点ではまだ俳優ではなく、野球で生きていく未来を想像していたことがわかります。
しかし、そんな矢先に人生の流れを変える出来事が起こります。
高校野球引退後、演劇部の助っ人として舞台に立ったことが、そのきっかけでした。
水上さんはこのとき、
「感じたことのない気持ちよさだった」
「観客の反応がダイレクトに伝わってくるのが最高だった」
と語っており、演じることの楽しさにどハマりしてしまったそうです。
ちょうどその頃、かねてからスカウトされていた芸能事務所スパイスパワーから正式なオーディションの話が届きます。
それが、有村架純さん主演のTBSドラマ『中学聖日記』でした。
「落ちたら野球を続ける。受かったら俳優の道に進む」
そんな思いで挑んだオーディションの結果は――合格。
しかもその役は、有村架純さんの相手役という超重要ポジション。
この役はなんと500人以上が応募した大規模オーディションの末に勝ち取ったものだったのです。
中学聖日記の黒岩くんは色褪せない。#岡田健史 pic.twitter.com/NvWeCen1UI
— 水上恒司(岡田健史)fanpage (@mizukami_koshi) May 25, 2020
この合格をきっかけに、水上さんは芸能界への本格デビューを決意。
とはいえ、すぐに大学を辞めたわけではありません。
最初の1か月ほどは通学を続けていましたが、ドラマ撮影や宣伝活動によりスケジュールが急激に過密に。
その後は2年間ほど休学という形で籍を残し続けました。
そんなある日、お父さんからの一言。
「大学に通うのはもう無理なんじゃないか?」
この言葉に背中を押され、水上さんは正式に大学を中退する決断を下します。
「大学を出てほしい」という両親の願いも理解しながら、
「本当にやりたいのは演技」という自分の気持ちに正直になった結果でした。
その後、水上さんは俳優として快進撃を続けます。
引用元:@LoveKasumiT
『中学聖日記』の大ヒットを皮切りにさまざまな作品に出演。
そして2021年3月19日、第44回日本アカデミー賞にて新人俳優賞を受賞するという快挙を達成しました。
大学は中退という形になりましたが、
その代わりに得たのは自分の信じた道を貫く強さと、俳優としての確かな第一歩だったのです。
水上恒司の学歴まとめと俳優転身の背景
引用元:スポーツ報知
ここまで見てきたように、水上恒司さんの学歴はとてもドラマチックで、
「野球から俳優へ」という大きな転身の物語が詰まっています。
あらためて、彼の学歴を時系列で整理してみましょう。
⸻
【小学校】
福岡市立和白東小学校
→ 小学2年生から「ヤング福岡ライナーズ」に所属し、野球中心の生活がスタート
【中学校】
福岡市立和白丘中学校
→ 野球に打ち込む一方で、芸能事務所からスカウトされる経験も
【高校】
長崎県・創成館高校(特待生)
→ 副キャプテンとしてチームをけん引し、長崎大会ベスト4の成績を残す
【大学】
福岡工業大学・社会環境学部(偏差値35〜40)
→ 野球継続を目的に進学するも、俳優業に転身し中退
⸻
彼の学歴の特徴は、常に何かに本気で取り組みながらも、環境の変化を柔軟に受け入れていったことにあります。
小中高と野球に打ち込み続け、高校では副キャプテンという責任あるポジションを任されながらも、
大学で演劇という新たな世界と出会い、俳優の道へと舵を切りました。
とくに、高校野球引退後に立った演劇部の舞台で感じた「表現の快感」が、人生の流れを大きく変えた原点となります。
そこから長年スカウトされ続けてきた芸能事務所のオーディションに挑み、
500人以上の中から『中学聖日記』で主演の相手役に抜てきされるというシンデレラストーリーが始まりました。
大学には最初の1か月だけ通学し、その後は2年間休学。
最終的には父親の助言もあり、正式に中退して俳優の道へ本格転身します。
そして2021年3月19日、第44回日本アカデミー賞では新人俳優賞を受賞。
名実ともに次世代の実力派俳優として注目される存在となりました。
水上恒司さんの学歴は、単なる進学の履歴ではありません。
努力・選択・挑戦の積み重ねであり、夢を叶えるまでのリアルな軌跡なのです。
これからの彼の活躍にも、ますます目が離せませんね!
まとめ|水上恒司の学歴は努力と挑戦の証!俳優転身は運命だった
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水上恒司さんの学歴を振り返ると、
小学校から高校まで野球一筋で努力を重ねてきた道のりが浮かび上がってきます。
中学ではクラブチームに所属し、創成館高校では副キャプテンとしてチームをけん引。
そして、長崎大会でベスト4という輝かしい成績を残しました。
その後は福岡工業大学に進学。
大学野球でもキャプテンを目指していたものの、
思いがけず出演した演劇部の舞台が、彼の人生の方向を大きく動かします。
さらに、以前から声をかけられていた芸能事務所のオーディションに挑戦。
結果は――500人以上が参加した中で主演の相手役に抜てきされるという快挙。
TBSドラマ『中学聖日記』で、有村架純さんの相手役という大役を射止めたのです。
その後は大学を中退し、本格的に俳優の道へ。
地道にキャリアを積み重ね、
2024年には『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』で第47回日本アカデミー賞・優秀主演男優賞を受賞するまでに成長しました。
水上恒司さんの学歴は、単なる通った学校名の羅列ではありません。
挑戦と決断の連続だった青春の記録と呼ぶにふさわしい内容ではないでしょうか。
野球から俳優へ。
ジャンルは変われど、常に「本気で打ち込む姿勢」を貫いてきた水上さん。
これからのさらなる飛躍にも、期待せずにはいられません。

