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高橋成美と木原龍一の解散理由とは?不仲説の噂と10年越しの真実

2026年2月16日の早朝、多くの人がテレビの前に釘付けになったはずです。

ミラノ五輪フィギュアスケート、ペアフリーの中継。

三浦璃来選手と木原龍一選手の「りくりゅう」が金メダルを確定させた瞬間、解説席から聞こえてきたのは、もはや解説を超えた、嗚咽混じりの祝福だったのです。

「なんてきれいなんでしょう」

「宇宙一ですよ」

と声を震わせていたのは、元フィギュアスケーター・高橋成美さん。

実は高橋さんは、かつて木原選手とペアを組んでいた元パートナーでした。

当時の不仲説や解散の背景、そしてミラノでの号泣に込められた想いを、約10年越しの視点から振り返ります。

 

二人のペア解消に世間が驚いた背景

 

2013年に結成され、ソチ五輪を共に駆け抜けた高橋成美さんと木原龍一さん。

日本フィギュア界に希望を与えた二人が、わずか2年で別々の道を選んだ背景を振り返ります。

話は2013年1月に遡ります。

高橋成美さんがマーヴィン・トラン選手とのペアを解消した直後のことでした。

トラン選手とのコンビで2012年世界選手権銅メダルという快挙を成し遂げていた高橋さんは、次なるパートナーを探していたのです。

そこで白羽の矢が立ったのが、当時シングルで活躍していた木原龍一選手でした。

この誘いには、ちょっとしたドラマがありました。

実は二人、ジュニア時代からの顔見知りで、大会の合間にふざけてペアの真似事をしていたこともあったそうなのです。

木原さんは「なるちゃんとだったら目指せる」と応じ、シングルからペア転向を決意しました。

背の高さとジャンプ力を買われての抜擢でしたが、ペアは二人で一つの作品を作る特殊な世界。

シングルからの転向には大きな覚悟が必要でした。

二人の目標は明確でした。

2014年ソチ五輪の団体戦出場枠を確保すること

当時、日本にはペアの選手がほとんどおらず、この二人が出場権を獲得しなければ、日本は団体戦でペア種目を戦えない可能性すらあったのです。

日本フィギュア界のペア種目を存続させるための重要な挑戦でした。

二人は見事にその使命を果たしました。

ネーベルホルン杯で11位という成績ながら、繰り上げでソチ五輪の出場枠を獲得。

本番の団体戦ではショートプログラム8位、フリースケーティング5位で総合5位に貢献し、日本人ペアとして初めての五輪出場という歴史を刻んだのです。

誰もが「これからだ」と思っていました。

ソチで得た経験を糧に、次の平昌五輪ではさらなる高みを目指せるはず。

ファンもメディアも、そう期待していた矢先のことでした。

2015年3月31日、高橋成美さんのブログに一つの投稿がアップされます。

世界選手権でショートプログラム19位という不本意な成績に終わった直後のタイミングでした。

そこには「解散」の二文字が記されていたのです。

当時のネットは嘆きの声で溢れていました。

知恵袋やブログには「残念すぎる」「これからだったのに」という声が溢れました。

「重圧が大きすぎたのでは」「怪我の影響では」と推測する声も多かったです。

わずか2年でしたが、日本ペアの可能性を切り拓いた功績は大きいです。

高橋さんが木原さんを誘ったことが、後のりくりゅう誕生につながったと考えると、この2年間の重みがよくわかります。

 

解散を切り出したのは木原龍一?

 

解散から約10年。

当時囁かれた不仲説の真相を振り返ります。

高橋さんのブログとその後の歩みから、本当の理由に迫ります。

 

2015年3月31日、高橋成美さんがブログで解散を発表した際、そこにはこう記されていました。

「次の五輪まで二人で続けていくつもりでしたが、数週間前、木原選手の方から解散したいという話をされました」

つまり、木原さんが解散を切り出したことが、高橋さんのブログで明かされました。

ソチ五輪を経験し、これから本格的に世界と戦っていくフェーズに入ったはずなのに、どうして木原さんは解散を申し出たのか。

高橋さんも続けるつもりだったと言っているのに、なぜそのタイミングだったのか。

正直、多くのファンが困惑したことでしょう。

ここで重要なのは、公式に解散理由が発表されていない点です。

日本スケート連盟からも詳細な説明はなく、両者とも「ペア競技は続けたい、新しいパートナーを探す」という前向きな姿勢を示すにとどまりました。

ここからは報道やインタビューに基づく有力な見方を整理します。

当時のメディアや知恵袋で最も多かったのは「体格差と技術的な限界」です。

木原さんはペアに転向した当初、まだ体が出来上がっていなかったのですが、2年間で着実に成長し、身長も筋力も増していきました。

一方の高橋さんは、それまでの競技人生で積み重ねてきた怪我、特に肩と膝の故障を抱えながらの練習を余儀なくされていたのです。

ペアスケーティングにおいて、男性が女性を持ち上げる「リフト」は華の技術。

しかし、この相性というのは身長差や体格のバランスによって大きく左右されるものなのです。

木原さんの成長でリフトの相性が難しくなり、高橋さんの怪我も影響したという分析があります。

成績面を見ても、決して順風満帆とは言えない状況だったことがわかります。

ソチ五輪の個人戦ではショートプログラム18位。

2014年の世界選手権ではショートプログラム17位でフリーに進出できず、2015年の世界選手権に至っては19位と最下位に沈んでいます。

ジャンプが決まらない、リフトで不安定さが見える。

そうした課題が解消されないまま、時間だけが過ぎていったのかもしれません。

もう一つは経験値の差です。

高橋さんはトラン選手とのペアで世界選手権銅メダルという実績を持つ、いわばペア界のベテラン。

対する木原さんは、ペア歴わずか2年の新人。

練習方針や競技に対する感覚のズレが生じていたとしても、不思議ではありません。

そして、当時囁かれた不仲説についても触れておきます。

この噂が広まったきっかけは、キス&クライでの二人の様子でした。

演技後の待機スペースで、目を合わせない。

ハグをしない。

そうした「よそよそしさ」が視聴者の目に留まり、「もしかして仲が悪いのでは」という憶測を呼んだのです。

しかし、後年のインタビューから、不仲ではなかったことがわかります

高橋さんは2025年のインタビューで「未練たっぷりですが、今はりくりゅうの虜です」と語り、木原選手の活躍を心から喜んでいる様子を見せていました。

木原さんもまた、高橋さんへの感謝の言葉を幾度となく口にしています。

結局、解散の本当の理由は競技上の方向性の違いだったと考えられます。

木原さんがさらなる高みを目指すため、たとえば5種類のトリプルジャンプを跳べる女性パートナーとの組み合わせを視野に入れていた可能性もあります。

それは高橋さんを否定するものではなく、彼女から学んだ魅力をさらに追求したいという「卒業」だったと言えます。

木原さんにとって苦渋の決断だったことは間違いありません。

共に戦った相棒に別れを告げる重さは、想像するだけで胸が痛みます。

ただ、この決断がなければ、りくりゅうは生まれていなかったかもしれません。

木原さんはその後、須崎海羽選手とペアを組むも怪我で解散。

一時はスケートから離れ、リンクで貸靴の管理をするアルバイトをしていた時期もあったそうです。

そんな逆境を経て2018年に三浦璃来選手と出会い、「りくりゅう」が誕生しました。

人生は、どこでどう繋がるかわからないものです。

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あのとき木原さんが解散を切り出さなければ、高橋さんと共にペアを続けていたかもしれない。

しかしそうなっていたら、三浦選手との出会いはなかった。

歴史に「もしも」は存在しないけれど、2015年のあの決断が、2026年の金メダルへと続く長い道のりの第一歩だったことは確かなのです。

 

高橋成美の号泣解説に詰まった想い

 

ミラノ五輪の放送席で流れた涙には、約10年分の想いが詰まっていました。

かつての相棒が頂点に立つ瞬間を見届けた高橋成美さんの言葉から、二人の本当の関係性が見えてきます。

2026年2月16日、日本時間の早朝。

NHK Eテレで放送されたフィギュアスケート・ペアフリーの解説席に、高橋成美さんの姿がありました。

「りくりゅう」こと三浦璃来選手と木原龍一選手が最終グループで登場し、渾身の演技を披露。

そして金メダルが確定した瞬間、高橋さんの言葉は完全に「解説」の枠を超えていったのです。

「なんてきれいなんでしょう」

演技中から何度も「すごい、すごい」と繰り返していた高橋さんは、演技終了とともに涙声になりました。

「宇宙一ですよ」

「金メダルを取るなんて、こんなうれしい瞬間がくるなんて」

「こんな最高の気分に合う日本語なんて思いつかない」

もはや解説というより、心からの祝福。

いや、それ以上に、長年抱えてきた感情が一気に溢れ出したような、そんな涙だったように見えました。

高橋さんは続けました。

「この2人じゃないとダメでした。この2人だから世界の頂点に立てた」

そして「自分自身、ペアに出会えて良かった」「りくりゅう、本当にありがとう」と、感謝の言葉を重ねていきました。

翌日の情報番組「DayDay」に出演した際も、高橋さんの涙は止まらなかったようです。

「うれしくて、うれしくてしょうがなくって」「この瞬間が本当にうれしい」と、何度も目頭を押さえる場面があったと報じられています。

ここで改めて思い出してほしいのは、高橋成美さんこそが木原龍一選手をペアスケーターの世界に引き込んだ張本人だということです。

2013年、シングル選手だった木原選手に声をかけ、「一緒に五輪を目指そう」と誘った。

あのとき高橋さんが動かなければ、木原選手は今もシングル選手として、全く別のキャリアを歩んでいたかもしれないのです。

そう考えると、高橋さんの涙の意味がより深くわかります。

自分が見出した才能が、紆余曲折を経て、ついに世界の頂点に立った。

それはまるで、手塩にかけて育てた弟子の大成を見届けた師匠のような、あるいは我が子の成長を見守ってきた親のような、そんな感慨だったのかもしれません。

高橋さん自身、2025年のインタビューで「未練たっぷり」と語っています。

自分も金メダルを味わいたかったという思いは、当然あったでしょう。

しかし「今はりくりゅうの虜」とも語っています。

かつての相棒が掴んだ喜びを素直に祝福できる姿に、10年で育まれた成熟した関係性を感じます。

「一緒にペアを滑ってくれてありがとう」「応援させてくれて本当にうれしい」「みんなにも勇気と力を与えた」

高橋さんが放送中に発した言葉の数々は、SNS上でも大きな反響を呼びました。

「高橋成美さんの号泣にまたもらい泣き」「言葉の重みがすごい」「成美ちゃんありがとう」「解説も宇宙一」

そんな投稿が相次ぎ、一時はトレンド入りするほどの盛り上がりを見せたのです。

ここで興味深い事実があります。

2015年の解散後、日本のペアスケーティング界は一時、選手がほぼゼロに近い状態にまで落ち込んでいた時期がありました。

2019年頃には活動しているペアが4組程度、その後さらに減少するという厳しい状況だったのです。

そんな中で「りくりゅう」が世界選手権で金メダルを獲得し、そしてオリンピックでも頂点に立った。

この快挙は、日本ペアスケーティングの歴史において、まさに「復活」と呼ぶにふさわしい出来事だったと言えるでしょう。

その復活の原点は、ソチで示した「日本人ペアでも世界と戦える」という可能性です。

二人の挑戦がなければ、木原選手がペアを続けることもなかったかもしれない。

三浦選手と出会うこともなかったかもしれない。

歴史は点ではなく線で繋がっています。

ミラノの金メダルは、2013年の出会いから始まった物語の一つの到達点です。

高橋さんは放送中、こんな言葉も残しています。

「みんなにペアを好きになってもらえてうれしい」

この言葉には、現役時代から一貫して持ち続けてきた、ペアスケーティングへの愛情が凝縮されているように感じられます。

自分の競技人生は怪我によって終わりを迎えた。

しかし、自分が愛した「ペア」という種目が、日本で注目を集めている。

多くの人が朝早くからテレビの前に座り、りくりゅうの演技に涙している。

それこそが、高橋さんにとっての「一生の宝物」になったのかもしれません。

解散から約10年。

当時の憶測は多かったですが、ミラノの涙が全てを物語っています。

高橋成美さんと木原龍一選手の関係性は、解散で終わったのではなかった。

むしろ、形を変えながら続いていたのです。

元パートナーが世界の頂点に立つ瞬間を、解説席から見届ける。

そしてそれを心から祝福し、涙を流す。

こんなに美しい「その後」があるでしょうか。

スポーツの世界では、コンビ解消やチーム移籍に伴うゴタゴタが報じられることも少なくありません。

しかし高橋さんと木原選手のケースは、たとえ道が分かれても、お互いへのリスペクトは失われない。

そんな理想的な関係性の一つの形を示してくれているように思えます。

2026年2月の早朝、日本中が目撃したあの号泣解説。

それは単なるスポーツ中継の一場面ではなく、約10年にわたる人間ドラマの、感動的なエピローグだったのかもしれません。

高橋成美さんが木原龍一選手をペアに誘ったあの日から始まった物語は、ミラノの氷上で、最高の形で一つの区切りを迎えたのです。

そして物語は続きます。

りくりゅうのこれから、高橋さんの解説、日本のペアスケーティングの未来。

2015年の解散が新しい始まりだったように、ミラノの金メダルも次の章への扉を開いたと信じています。

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