2026年2月14日、ミラノ・コルティナ五輪のスノーボード男子ハーフパイプで、19歳の山田琉聖選手が銅メダルを獲得しました。
戸塚優斗選手の金メダルと合わせて、日本勢ダブル表彰台という快挙です。
初出場でいきなりのメダル獲得に、日本中が沸いたのは記憶に新しいところでしょう。
「りゅうせい」と読むこの名前、華麗に空を舞う姿に、名前がぴったりだと感じます。
メダル獲得直後から「山田琉聖 出身」「山田琉聖 wiki」といった検索が急増しているそうです。
雪上を縦横無尽に駆け抜ける若き才能は、いったいどこで生まれ育ったのでしょうか。
どんな学校生活を送り、どうやってこの舞台にたどり着いたのか、気になる方も多いはずです。
ここでは、山田琉聖選手の出身地から学歴、活動拠点までを丁寧にまとめます。
目次
山田琉聖の出身地とwikiプロフィール
山田琉聖選手の出身地は北海道札幌市です。
もう少し詳しく言えば、札幌市北区を中心としたエリアで幼少期を過ごしたとされています。
札幌はさっぽろ雪まつりで知られる雪国です。
冬になれば街全体が白く染まり、子どもたちがスキーやスノーボードを楽しむのはごく日常的な光景でしょう。
雪国環境が、スノーボードとの出会いを自然に導きました。
彼がスノーボードを始めたのは5歳のとき。
きっかけは両親の影響だったそうです。
週末になれば家族でスキー場へ出かけ、雪山で遊ぶことが当たり前の環境で育ちました。
地元の「さっぽろばんけいスキー場」が、彼のスノーボード人生の原点となっています。
ここで少し、基本的なプロフィールを整理しておきましょう。
山田琉聖選手は2006年3月25日生まれの現在19歳。
五輪出場時点ではまだ10代という若さでした。
所属は「チームJWSC」で、これは後述する専門学校に関連したチームです。
名前の由来も興味深いものがあります。
「琉」の字は、母親が沖縄好きだったことから取られたそうです。
北海道育ちに沖縄由来の「琉」が入るユニークさが、心惹かれます。
そして「聖」は、清らかな人間になってほしいという願いが込められているとのこと。
琉球の「琉」と神聖の「聖」で「琉聖」。
雪上で華麗に舞う姿を見ていると、この名前がどこか神々しく感じられてくるから不思議なものです。
山田選手を語る上で欠かせないのが、母・美咲子さんの存在でしょう。
シングルマザーとして山田選手を育て上げた美咲子さんは、息子の競技生活を支えるためにトリプルワークをこなしていたといいます。
スノーボードの遠征費というのは想像以上にかかるもので、国内大会だけでなく海外転戦となれば、その費用は相当なものになります。
それを母親一人で工面し続けてきたというのですから、頭が下がる思いです。
山田選手自身も、そんな母への感謝を公言しています。
まさに母子二人三脚の物語です。
メダルを手にした瞬間、彼の頭には間違いなく母の姿があったことでしょう。
興味深いのは、山田選手が幼少期からさまざまな習い事を経験していたことです。
水泳、体操、そしてピアノ。
特にピアノに関しては、楽譜を読まずに耳コピで弾けるレベルだったそうです。
遠征先にも折りたたみ式のピアノを持参するほどの愛好ぶりで、音楽的センスの持ち主でもあるようです。
スノーボードのハーフパイプという競技は、単なるスポーツではなく「見せるパフォーマンス」の要素が強いもの。
音楽的なリズム感が、あの独創的なライディングに活きているのかもしれません。
そして、小学4年生のときに「オリンピック選手になる」と誓いを立てたといいます。
10歳そこそこの子どもが抱いた夢としては、正直なところ「よくある話」と言えなくもありません。
しかし、それから約10年後、その夢を本当に叶えてしまったのですから恐れ入ります。
しかも初出場で銅メダルというおまけ付き。
小4の誓いが現実になった姿に、心打たれます。
出身中学校と高校の学歴まとめ
山田琉聖選手の学歴を見ていくと、競技と学業の両立に対する真剣な姿勢が浮かび上がってきます。
地元札幌の公立中学校から通信制高校へ、そして専門学校へという進路は、アスリートとしてのキャリアを最優先に考えた選択だったと言えるでしょう。
ここでは、中学校から現在に至るまでの学歴を詳しく見ていきたいと思います。
①出身中学は札幌市立新川中学校
山田琉聖選手が通っていた中学校は、札幌市立新川中学校です。
札幌市北区に位置する公立の中学校で、地元の子どもたちが通うごく普通の学校でした。
中学時代の山田選手は、学校生活を送りながら本格的に競技に打ち込み始めた時期でもあります。
放課後や週末には地元のさっぽろばんけいスキー場に通い、ハーフパイプの技術を磨いていました。
10歳頃からハーフパイプ競技に本格的に取り組み始めたというから、中学入学時にはすでに競技者としての基盤ができあがりつつあったのでしょう。
この新川中学校には意外な先輩がいます。
お笑いコンビ・EXITの兼近大樹さんです。
つまり山田選手は、兼近さんの後輩ということになります。
ミラノ五輪でのメダル獲得後、兼近さんがSNSで祝福コメントを寄せたのも、この縁があってのことでしょう。
異なる分野で活躍する先輩後輩の縁が、温かく感じられます。
中学時代のエピソードとして印象的なのは、すでにこの頃から遠征が増え始めていたということです。
国内大会はもちろん、ジュニアの国際大会にも参加するようになり、学校を休んで競技に出向くことも珍しくなかったといいます。
母・美咲子さんのトリプルワークによる経済的サポートがあったからこそ、これだけの活動ができたのでしょう。
中学生にして、すでにプロアスリートのような生活を送り始めていたわけです。
②出身高校は相生学院高等学校
高校進学にあたって、山田選手が選んだのは相生学院高等学校でした。
兵庫県相生市に本校を置く通信制の高校です。
なぜ北海道出身の選手が兵庫県の高校に進学したのでしょうか。
答えは明確で、競技に専念するためです。
通信制は競技優先の合理的な選択と言えます。
決まった時間に登校する必要がなく、遠征や練習に充てる時間を最大限確保できるからです。
世界で戦うアスリートにとって、時間は何よりも貴重な資源。
その点、通信制という選択は極めて合理的だったと言えるでしょう。
相生学院高等学校は、スポーツに打ち込む生徒を多く受け入れている学校としても知られています。
山田選手のようなトップアスリートにとっては、理想的な環境だったのかもしれません。
学校の公式Xアカウントでは、山田選手のミラノ五輪出場を応援する投稿がなされており、学校側も卒業生の活躍を喜んでいる様子がうかがえます。
近年では、スポーツや芸能活動に打ち込む若者が、自分のキャリアを最優先に考えて通信制を選択するケースが増えています。
山田選手もまさにその一人であり、高校時代から明確な将来ビジョンを持っていたことがわかります。
高校時代の山田選手は、国内外の大会を転戦しながら着実に実力をつけていきました。
この時期に培った経験が、後のワールドカップ優勝やオリンピックメダル獲得につながっていくことになります。
通信制の選択が、競技への集中を支えました。
③現在は国際スノーボード専門学校在学中
高校卒業後、山田選手が進んだのは国際スノーボード&スケートボード専門学校、通称JWSCです。
新潟県妙高市に位置するこの学校は、その名の通りスノーボードとスケートボードに特化した専門学校となっています。
山田選手が在籍しているのは「スノーボード学科トップアスリートコース」で、2年間のカリキュラムが組まれています。
このコースは、世界で戦うトップレベルの選手を育成することを目的としており、プロコーチや元アスリートから直接指導を受けることができます。
JWSCが位置する妙高市は、国内有数のスノーリゾートエリアです。
豊富な積雪量と良質なパウダースノーに恵まれ、冬場の練習環境としては申し分ありません。
札幌から新潟へと活動拠点を移したことで、より専門的なトレーニングに集中できる環境を手に入れたわけです。
この学校の卒業生・関係者には、錚々たる顔ぶれが揃っています。
中でも注目すべきは、2022年北京五輪でスノーボード女子ハーフパイプの銅メダルを獲得した冨田せな選手でしょう。
冨田選手は現在、JWSCでコーチとしても活動しており、山田選手の成長を間近でサポートしています。
北京銅メダリストから直接指導を受けられる環境というのは、若いアスリートにとってはこの上ない財産です。
専門学校という進路選択も、山田選手らしい合理的な判断と言えます。
大学進学という選択肢もあったはずですが、競技に集中するためには、スノーボードに特化した環境で学ぶことが最善だと考えたのではないでしょうか。
実際、JWSCでの学びが今回のオリンピックでの好成績につながったことは間違いありません。
19歳でメダルを獲得しながら、学生生活を続ける姿勢が印象的です。
専門学校で学びながら、世界の舞台で戦い続けるというのは、ハードな両立ですが、真摯な人柄が伝わります。
それでも、競技と学業の両立を続ける姿勢からは、彼の誠実さが感じ取れるのではないでしょうか。
山田琉聖の所属チームと現在の活動拠点
山田琉聖選手の現在の所属は「チームJWSC」です。
これは前述した国際スノーボード&スケートボード専門学校に関連したチームで、学校を拠点として活動しています。
練習拠点の変遷を見ていくと、彼の成長の軌跡が見えてきます。
幼少期から中学時代までは、地元札幌のさっぽろばんけいスキー場が主な練習場所でした。
このホームゲレンデで、何度も練習を重ねました。
札幌の雪国環境と、この練習場所が、彼のスノーボード人生の土台を作ったと言っても過言ではありません。
専門学校進学後は、新潟県妙高市周辺のスキー場が主な練習拠点となっています。
国内での練習に加え、シーズン中は海外での合宿やワールドカップへの参戦も頻繁に行っています。
世界のトップレベルで戦うためには、国内だけで練習していては限界があります。
さまざまな国のパイプで滑り込み、多様な雪質やコンディションに対応できる力を養ってきたのでしょう。
コーチ陣についても触れておきましょう。
先述した冨田せな選手がJWSCでコーチを務めているほか、滝沢トレーナーという人物がリモートでサポートしているそうです。
滝沢トレーナーは技術面だけでなく、人間性やルーティンの構築といったメンタル面でのサポートも行っているとのこと。
トップアスリートにとって、技術を磨くだけでなく、精神的な安定を保つことも重要な課題です。
多角的なサポートが、彼のパフォーマンスを支えています。
山田選手の持ち味は、なんといっても「高さ」と「独創性」でしょう。
ハーフパイプ競技では、パイプの壁から飛び出してトリックを決めるのですが、山田選手はその飛び出しの高さが群を抜いています。
さらに、他の選手があまりやらないような独創的な技を繰り出すことでも知られています。
今季のワールドカップで初優勝を果たしたのも、この持ち味が評価されてのことでした。
ミラノ・コルティナ五輪での銅メダルは、92.00点という高得点でのものでした。
金メダルの戸塚優斗選手と合わせて、金と銅のダブル表彰台という結果は、日本スノーボード界にとって大きな快挙です。
この二人の活躍によって、日本のハーフパイプ競技のレベルの高さが世界に示されました。
19歳という年齢を考えれば、山田選手の未来にはまだまだ可能性が広がっています。
次の冬季オリンピックは2030年、彼は23歳でピークを迎える可能性も十分にあるでしょう。
今回の銅メダルは、あくまでも通過点に過ぎないのかもしれません。
母・美咲子さんのトリプルワークに支えられた幼少期。
地元札幌での地道な練習。
競技に専念するための通信制高校という選択。
そして専門学校での本格的なトレーニング。
こうした一つ一つの積み重ねが、オリンピックのメダルという形で実を結びました。
札幌育ちの少年が、母の支えで世界の舞台へ。
その物語は、これからも続いていきます。
2026年のミラノから、さらにその先へ。
山田琉聖という名前を、私たちはこれからも長く聞くことになるでしょう。
これからどんな技で、私たちを魅了してくれるでしょうか。
若き才能のこれからが、楽しみです。
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