XGのプロデューサー、サイモンが逮捕なんて嘘だと信じたい pic.twitter.com/9rmelJnx6l
— ニギニギコハクンチョス (@bLaVyv34jh40046) February 23, 2026
世界を席巻するガールズグループXG。
その躍進を陰で支えるプロデューサー、サイモン氏の存在をご存知でしょうか。
彼の本名を調べてみると「Sakai Junho」、つまり酒井じゅんほという表記が出てきます。
どこからどう見ても日本人の名前ですよね。
K-POPの世界で活躍するプロデューサーなのに、なぜ日本名なのか。
そもそもこの人は韓国人ではないのか。
そんな疑問を抱いたファンは、決して少なくないはずです。
実は彼のルーツを辿っていくと、日本と韓国、そしてアメリカという三つの国が複雑に絡み合った、非常に興味深いバックグラウンドが見えてきます。
さらに驚くべきことに、彼には「元アイドル」という過去もあるのです。
今回は、XGの仕掛け人であるサイモン氏の知られざる素顔に迫っていきたいと思います。
目次
XGサイモンの両親は何人で国籍はどこ?
サイモンさん🥹❤️🔥❤️🔥❤️🔥
カッコ良すぎる
#XG_WorldTour_THECORE pic.twitter.com/DeaFhhK9ah— かず (@01ar2p) February 17, 2026
XGのプロデューサーとして知られるサイモン氏ですが、その本名を知った瞬間、多くの人が首を傾げるのではないでしょうか。
「酒井じゅんほ」という名前は、どう考えても韓国人のものには見えません。
K-POPの最前線で活躍する人物がなぜ日本名を持っているのか、その謎を解き明かすには、まず彼の両親のルーツから紐解いていく必要があります。
父親は韓国人、母親は日本人という日韓ハーフ
サイモン氏の父親は韓国人で、名前は朴基完(パク・キワン)氏といいます。
一方、母親は日本人の酒井真由美さん。
つまり彼は、韓国と日本の血を半分ずつ受け継いだ「日韓ハーフ」なのです。
正直、これには驚かされました。
本名の「酒井じゅんほ」は、母親の日本姓である「酒井」と、韓国式の名前「ジュンホ(俊鎬)」を組み合わせたもの。
韓国名としては「朴俊鎬(パク・ジュンホ)」という名前も持っており、状況によって使い分けているようです。
ここで興味深いのは、なぜ父親の韓国姓ではなく、母親の日本姓を名乗っているのかという点でしょう。
混血の子どもがどちらの姓を名乗るかは、家庭によって様々な事情があります。
サイモン氏の場合、母親の影響が強かったのか、あるいは後述する彼のアイデンティティに関わる意識的な選択だったのか。
明確な理由は公表されていません。
ただ、結果として「酒井」という日本姓が、後に彼のプロデューサーとしてのブランディングにも影響を与えることになったのは、運命的なものを感じさせます。
シアトル生まれ、韓国育ちという複雑な生い立ち
サイモン氏が生まれたのは1986年5月29日、アメリカ・ワシントン州のシアトルでした。
両親がなぜシアトルにいたのか、その詳細は明らかにされていません。
ただ、1980年代のシアトルはアジア系移民のコミュニティが発達しており、日韓カップルが生活する場所としては馴染みやすい環境だったのかもしれませんね。
引用元:トラベル・スタンダード・ジャパン
アメリカで生まれたということは、彼はアメリカ国籍を保有している可能性が高いでしょう。
しかし、幼少期のある時点で家族は韓国へ移住し、サイモン氏は韓国で育つことになります。
この移住が彼の人生を大きく方向づけたことは間違いありません。
韓国で育った彼は、当然ながら韓国語を母語として習得し、韓国の文化や教育システムの中で成長していきました。
一方で、家庭内では日本人の母親から日本語や日本文化にも触れていたはずです。
英語、韓国語、日本語という三つの言語に囲まれた環境。
これが彼の国際感覚を養う土壌となったのでしょう。
後にXGというグループを立ち上げた際、メンバー全員を日本人で構成しながら、楽曲は英語で歌わせ、トレーニングは韓国式で行うという独特のスタイルを確立できたのは、まさにこの多文化的なバックグラウンドがあったからこそではないでしょうか。
「第三文化の子ども」としてのアイデンティティ
異文化間で育った子どもを指す言葉に「サードカルチャーキッズ(第三文化の子ども)」という概念があります。
これは、親の文化でもなく、育った国の文化でもない、その狭間で独自のアイデンティティを形成した人々のことを指します。
サイモン氏はまさにこの典型といえるのではないでしょうか。
父は韓国人、母は日本人、生まれはアメリカ、育ちは韓国。
どこか一つの国に完全に帰属することが難しい状況の中で、彼は「どこにも属さない」のではなく「どこにでも属する」という発想に至ったのかもしれません。
2023年のBillboardのインタビューで、彼は「母親が日本人なので、日本文化には幼い頃から親しんでいた」と語っています。
また、別のインタビューでは「おにぎりを食べながら曲を作ることもある」とユーモアを交えて話す場面もありました。
なんだか親近感が湧きますよね。
こうしたエピソードからは、彼が日本のルーツを懐かしみながらも、それを自然体で受け入れている様子が伝わってきます。
韓国で育ちながら日本人の母を持ち、アメリカ生まれでもある。
この複雑なバックグラウンドは、時に彼をアイデンティティの迷子にさせたかもしれません。
しかし、彼はそれを弱みではなく強みに変えました。
日韓どちらの文化も理解できるからこそ、両国の音楽業界を橋渡しするような存在になれたのです。
XGサイモンが日本名で活動する深い理由!
韓国の芸能界で活動してきたサイモン氏が、なぜあえて日本名を前面に出しているのか。
そこには単なる本名だからという以上の、深い意味が込められているようです。
彼が生み出したブランド名「JAKOPS」を紐解くと、その思いが鮮明に見えてきます。
JAKOPSに込められた「日本と韓国の融合」
サイモン氏は「JAKOPS(ジェイコプス)」という名義でも活動しています。
一見すると西洋風の名前に見えますが、実はこれには非常に巧みな意味が隠されているのです。
JAKOPSの由来はこうなっています。
JA = Japan(日本)
KO = Korea(韓国)
P = Produced by
S = Simon
つまり「日本と韓国によって、サイモンがプロデュースした」という意味を持つ造語なのです。
この名前を見ただけで、彼が自身のルーツである日本と韓国の両方に誇りを持ち、それを仕事のアイデンティティにまで昇華させていることがわかります。
2017年にXGALXを設立した際、彼はこのJAKOPSというブランド名を正式に掲げました。
Forbes Koreaのインタビュー(2023年)では「私の血統をブランド化した。日韓の架け橋になりたい」と語っており、これが単なる思いつきではなく、明確なビジョンに基づいた決断だったことが伺えます。
K-POPとJ-POP、両方の市場を知り尽くした人間だからこそ見える景色がある。
その視点から生まれたのが、XGの「X-POP」というコンセプトなのでしょう。
既存のジャンルの枠に収まらない、新しい音楽の形。
それは、どこにも完全には属さない彼自身のアイデンティティの投影のようにも思えます。
「酒井」という姓を捨てなかった理由
K-POP業界で活動するなら、韓国名である「朴俊鎬」を使う方が自然だったかもしれません。
実際、彼がアイドルとして活動していた時代は、韓国名をベースにした芸名を使用していました。
しかし、プロデューサーとして独立し、自分自身のブランドを確立する段階になって、彼は「酒井」という日本姓を全面に出すことを選びました。
これは非常に興味深い選択ではないでしょうか。
2022年のAllkpopのインタビューで、彼はこう語っています。
「日本名は私のアイデンティティそのものだ。韓国で育ったけれど、日本のルーツを忘れたことはない」
この言葉からは、彼が母親から受け継いだ日本の血を、キャリアの中でも大切にしていこうという意志が感じられます。
グローバル市場を狙うXGというプロジェクトにおいて、日本人メンバーで構成されたグループを率いるプロデューサーが日本名を持っている。
これは偶然ではなく、彼の中で一貫したストーリーになっているのです。
さらに、2024年には自身のX(旧Twitter)で「Japan and Korea in my blood. Proud of both.」と投稿し、数千回リツイートされる反響を呼びました。
日韓両方のルーツを隠すことなく、むしろ誇りとして発信する姿勢は、多くのファンの共感を集めているようです。
日韓エンタメの架け橋という使命感
K-POPとJ-POPは、アジアを代表する二大音楽市場でありながら、その間には目に見えない壁が存在してきました。
言語の違い、ファン文化の違い、ビジネス慣習の違い。
両者を行き来するアーティストは増えてきたものの、根本的に融合させようとする試みは限られていました。
サイモン氏は、自身のバックグラウンドを活かして、その壁を壊そうとしているように見えます。
Hollywood Reporterのインタビュー(2025年)で、彼は「日韓エンタメを繋ぐことが私の使命だ。JAKOPSという名前は、その信念の結晶だ」と語りました。
これは単なるビジネス戦略の話ではなく、彼自身のアイデンティティと深く結びついた使命感なのでしょう。
XGというグループは、まさにその理念を体現しています。
メンバーは全員日本人でありながら、楽曲の多くは英語で歌われ、トレーニングは韓国式の厳しいシステムで行われる。
日本の繊細さ、韓国の力強さ、そしてグローバルな普遍性。
これらを一つのグループに凝縮できたのは、三つの文化を肌で知るサイモン氏だからこそなせる業だったのではないでしょうか。
2025年には、XGはCoachellaという世界最大級の音楽フェスティバルに出演を果たし、Billboardチャートでも1位を獲得するなど、グローバルな成功を収めています。
ワールドツアーでは35都市を回り、47万人を動員したという数字が、彼のビジョンが正しかったことを証明しているといえるでしょう。
XGサイモンは元アイドルのダルニムだった!
プロデューサーとしてのサイモン氏しか知らない人にとって、彼に「元アイドル」という過去があることは大きな驚きかもしれません。
実は彼は、かつてK-POPボーイズグループのメンバーとしてステージに立っていた経験を持っているのです。
その経歴が、現在のプロデューサーとしての手腕にどう活きているのかを見ていきましょう。
DMTNのメンバー「Day Day」としての活動
サイモン氏がかつて所属していたのは、DMTN(ディーエムティーエヌ)というボーイズグループです。
このグループは当初「Dalmatian(ダルメシアン)」という名前でデビューし、後にDMTNへと改名しました。
彼の芸名は「Day Day(デイデイ)」。
グループ内ではラッパーを担当し、楽曲のラップパートの作曲にも携わっていました。
DMTNは2010年にデビューし、2013年まで活動しています。
デビュー曲「That Man Opposed」はチャートで上位を記録し、2011年にリリースした「E.R」はミュージックビデオが1000万回再生を突破するなど、一定の人気を獲得していました。
活動期間中にはアルバム2枚、シングル5枚をリリースし、ファンクラブの規模は約1万人にまで成長したといわれています。
当時の彼は20代前半。
K-POPアイドルとしてステージに立ち、歓声を浴びる日々を送っていました。
しかし、その華やかな時代は長くは続きませんでした。
アイドルからプロデューサーへの転身と2017年の転機
2013年、DMTNはグループメンバーの不祥事の影響を受け、活動を停止せざるを得なくなります。
サイモン氏自身はこの問題に関与していませんでしたが、グループとしての活動継続は困難な状況に陥りました。
表舞台から姿を消した彼は、その後どうしていたのでしょうか。
一部の報道によると、彼は一時期アメリカに戻り、音楽制作について本格的に学ぶ時間を持ったようです。
アイドルとして「見られる側」だった経験を持ちながら、今度は「作る側」「育てる側」としてのスキルを磨いていったのでしょう。
そして2017年、彼は大きな決断を下します。
XGALXという会社を設立し、プロデューサーとして本格的に活動を開始したのです。
JAKOPSというブランド名を掲げ、日韓融合をコンセプトにした新しいエンターテインメントの形を模索し始めました。
アイドルグループの解散から約4年。
その間に彼が何を考え、どんな準備をしていたのかは詳しく語られていません。
しかし、結果として生まれたXGというプロジェクトの完成度の高さを見れば、彼がこの期間を無駄にしていなかったことは明らかでしょう。
「表舞台を知る裏方」だからこそできたXGの成功
XGのトレーニングは、業界内でも「厳しい」ことで知られています。
メンバーたちは約5〜7年にわたる練習生期間を経てデビューしており、その間、サイモン氏は「鬼教官」とも呼ばれる厳格な指導を行ってきました。
なぜ彼はそこまで厳しくできるのか。
その答えの一つは、彼自身がアイドルとしてステージに立った経験を持っているからではないでしょうか。
ステージの上でスポットライトを浴びることの喜び。
同時に、そのプレッシャーや、結果を出せなかった時の厳しさも身をもって知っている。
だからこそ、中途半端な準備でデビューさせることの危険性を理解しているのでしょう。
DMTNは音楽チャートで最高5位という成績を残しましたが、グローバルな成功には至りませんでした。
一方、XGはBillboardで1位を獲得し、世界35都市をツアーで回るグループへと成長しています。
この差は何なのか。
もちろん時代の変化や市場環境の違いもあるでしょう。
しかし、自身の「アイドルとしての限界」を経験したサイモン氏だからこそ、その壁を超えるために何が必要かを理解していたのではないでしょうか。
彼がXGのメンバーに求めたのは、ダンスと歌唱力だけではありませんでした。
英語力、自己管理能力、そしてグローバルマーケットで戦うためのメンタリティ。
練習生期間は、単なる技術の習得ではなく、世界で通用するアーティストになるための総合的な準備期間だったのです。
2022年にデビューしたXGは、デビュー曲「Tippy Toes」がいきなり1億回再生を突破。
2025年にはCoachellaのステージに立ち、ワールドツアーでは47万人を動員するまでになりました。
表舞台の華やかさと厳しさを知る人間が、裏方として全てを設計した。
XGの成功の裏には、サイモン氏のアイドル時代の経験が確実に活きているのです。
多文化を武器に変えた稀有なプロデューサー
改めてサイモン氏の経歴を振り返ると、その特異性に気づかされます。
アメリカで生まれ、韓国で育ち、日本人の血を引いている。
K-POPアイドルとしてデビューし、挫折を経験し、プロデューサーとして再起した。
日本名を名乗りながら、韓国式のトレーニングシステムを採用し、グローバル市場を狙うグループを作り上げた。
これほど多くの要素を一人の人物の中に持っている例は、エンターテインメント業界でもなかなか見当たらないのではないでしょうか。
彼の成功は、「どこにも属さない」ことを悩みではなく武器に変えた結果といえます。
日本でも韓国でもアメリカでもない、その狭間にいるからこそ見える景色がある。
JAKOPSという名前には、そんな彼のアイデンティティが凝縮されているのです。
XGというグループは、まさにサイモン氏の分身のような存在なのかもしれません。
日本人でありながらK-POP的なトレーニングを受け、英語で世界に発信する。
どこか一つの国やジャンルに縛られない、ボーダーレスな存在。
2026年現在、サイモン氏は39歳。
アイドルとしてデビューしてから16年、プロデューサーとして独立してから9年が経ちました。
ただ、2025年2月にはコカイン・大麻所持容疑での逮捕が報じられ、XGの今後に注目が集まっています。
ツアーへの影響やメンバーのケアについて、ファンの間でも様々な声が上がっているようです。
多文化の中で育った一人の青年が、自分のルーツを誇りに変え、世界に通用するグループを作り上げた。
XGサイモンの物語は、グローバル化が進む現代において、一つの希望を示しているようにも思えます。
出自や国籍、言語の違いは、壁にもなれば架け橋にもなる。
それを決めるのは、結局のところ本人の意志と行動なのだということを、彼のキャリアは教えてくれているのではないでしょうか。
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