2026年7月19日の午前1時ごろ、名古屋市中区の栄で、歩道を歩いていた23歳の女性が亡くなりました。

友人と2人で歩いている、その途中でのことだったといいます。

上から、人が落ちてきました。

12階建てのマンションの11階、そのベランダから飛び降りた29歳の男です。

 

警察がこの男を逮捕したのは、それから1か月以上たった8月27日のこと。

容疑は、殺人でも傷害致死でもなく、重過失致死でして。

亡くなった女性の父親は、この扱いに「到底納得がいかない」と話しているそうです。

今回は、なぜこの罪名になるのかをわかりやすく解説していきたいと思います。

深夜1時の栄で起きていたこと

まずは、報じられていることを順に並べるところから。

現場は、名古屋市中区栄5丁目にある高層マンションです。

栄といえば、名古屋でいちばん人が集まる繁華街。

午前1時でも、歩道から人が消える時間帯ではありません

 

男が飛び降りたのは、11階のベランダ部分だったと伝えられています。

その真下が、歩道でした。

歩いていたのは、市内の飲食店で働く23歳の女性です。

友人と2人で歩いているところに、落ちてきた男がぶつかりました。

死因は、出血性ショックだったとのこと。

一方で、飛び降りた男のほうは助かりました。

外傷性くも膜下出血、右肺の挫傷、肋骨は複数本が折れていたと報じられています。

搬送されたときは意識不明の重体でした。

それが1か月あまりで、付き添いがあれば車いすで移動できるところまで戻っているそうです。

会話も、できる状態だといいます。

警察が逮捕に踏み切れたのは、ここまで回復したからでした。

 

もう一つ、報道の中で引っかかる点があります。

飛び降りた11階の部屋は、男の自宅ではありませんでした。

自宅とは別に、賃貸契約をしていた部屋だったと伝えられています。

警察は現場の状況などから、男が自殺を図って飛び降りたとみて調べているとのこと。

父親が口にした不条理という言葉

逮捕が伝えられた日、亡くなった女性の父親が取材に答えていました。

その一言に、この件のすべてが入っていたように思います。

「生きたい人間が死んで、死にたい人間が生きて、こんな不条理なことない」

 

父親は、罪名についてもはっきり話していました。

人通りの多い明るい場所で飛び降りたことが、未必の故意による殺人にならないのは到底納得がいかない、と。

報道では、家族の約束のことにも触れられていました。

事件の翌日の夜、上の姉と娘とで食事をすることになっていたそうです。

その約束の、前の晩でした。

 

娘が歩いていたのは、危ない場所でも、危ない時間の使い方でもありません。

仕事を終えて、友人と歩いて帰る。

そこに落ち度を探そうとしても、何ひとつ出てこないはずです。

親からすれば、事故に遭ったのでもなければ、誰かに恨まれたのでもない娘に、まったく関係のないものが降ってきたことになります。

だからこそ、遺された側は、気持ちの置き場をどこにも作れません

理不尽という一言では、とても足りない話です。

殺人と重過失致死を分ける一点

ここが、多くの人の引っかかったところだと思います。

人が一人亡くなっているのに、なぜ殺人ではないのか。

 

そもそも重過失致死というのは、ふつうの過失致死より重く扱われる罪だとされています。

少し気をつければ防げたことを、大きく怠ってしまった場合。

今回でいえば、真下に歩道があることも、そこを人が通ることも、その建物にいれば分かっていたはず、という見方になります。

うっかりでは済ませられない、というところまでは警察も認めた形です。

 

警察の説明として報じられているのは、こういう理屈でした。

マンションから飛び降りれば、下を歩いている人を巻き込むおそれが出てくる。

それなのに、注意を怠った。

だから、重過失致死。

この「注意を怠った」という言い方のほうに、答えが入っています

 

同じ皿を割っても、手が滑ったのか、投げつけたのかで話がまるで変わりますよね。

法律も、起きた結果の重さだけで罪名を決めているわけではありません

そのとき、頭の中がどうだったか。

見ているのは、そちらです。

父親が口にした「未必の故意」も、この頭の中の話にあたります。

「下に人がいるかもしれない、当たってしまってもかまわない」

そこまでの認識があったと認められるかどうかで、罪名は変わってくる。

人がいることに気が回らなかった、となれば過失の側へ寄ります。

 

そして、頭の中は外から見えません。

23歳の女性が亡くなったという結果は、どちらであっても同じです。

結果は変わらないのに、頭の中の違いだけで罪名が変わってしまう

遺族の納得と法律の線引きがずれるのは、たいていこの一点なんです。

 

ちなみに、重過失致死という罪名は、逮捕の時点でつけられたものにすぎません。

最終的にどの罪で起訴するのかを決めるのは、検察のほうです。

父親の言葉は、そこがまだ何ひとつ決まっていない段階で出されたものでした。

飛び降りた本人が死んでいたら

ここで、少し前の出来事を並べてみます。

2024年8月31日の夕方、JR横浜駅に直結する商業施設で、よく似たことが起きました。

12階のデッキから飛び降りた高校3年の女子生徒が、歩いていた32歳の会社員の女性に衝突。

2人とも亡くなりました。

 

さかのぼると、同じ形の事故は何度も報じられています。

2007年の東京・池袋では、商業ビルから飛び降りた女性が、歩いていた男性を巻き込みました。

女性は即死、男性も4日後に亡くなっています。

2020年の大阪・梅田では、商業ビルの屋上から飛び降りた男子高校生が、下を歩いていた大学生の女性に激突しました。

高校生は即死、女性も翌日に亡くなったと伝えられています。

並べてみると、共通していることが一つ。

この3件は、どれも飛び降りた本人がその場で亡くなっています。

もう一つ、どれも駅前や繁華街で起きているという共通点。

人が多い場所ほど、下にいる誰かへ当たる確率は上がっていく。

 

では、その後どうなったのか。

梅田の件では、事故から3か月ほどたった2021年1月、大阪府警が動いています。

飛び降りた男子生徒を、重過失致死の疑いで書類送検する方針を固めたと報じられました。

ただし、容疑者死亡のままの送検です。

つまり、罪名だけがついて、裁かれる人はどこにもいない形になります。

 

横浜の事故についても、弁護士が解説した記事が出ていました。

飛び降りた側に重過失致死罪の成立は考えられるものの、本人が亡くなっているので立件されることはない、という説明です。

 

3件を並べてみて見えてくるのは、罪名があるかないかの違いではありません。

重過失致死という罪名そのものは、前からありました

なかったのは、それを受け取る人のほうです

今回の件が逮捕まで進んだのも、法律が厳しくなったからではありません。

飛び降りた本人が、生き残ったからです

 

これは、ずいぶん残酷な話だと思います。

池袋でも、梅田でも、横浜でも、遺族が向き合える相手は、最初から残っていませんでした

罪名だけが紙の上を通り過ぎて、そこで終わっていく。

父親が「死にたい人間が生きて」と言ったその事実が、そのまま、娘の死を裁きの場へ運ぶ条件にもなってしまう。

裁けるかどうかが、飛び降りた側の生死で決まってしまう仕組みです。

そこには、遺族の悲しみの大きさが一つも入っていません。

納得がいかないのは、当たり前です。

賠償というもうひとつの壁

刑事の話とは別に、もう一つ壁があります。

お金の話です。

 

横浜の事故のとき、弁護士の解説で触れられていたのが、相続放棄でした。

人を死なせてしまった賠償の責任は、本人が亡くなると相続人へ引き継がれるとのこと。

ところが、相続には放棄という手続きがあります。

借金と同じ扱いになるので、放棄されてしまえば、遺族はどこにも請求できなくなるという説明でした。

期限は、3か月だといいます。

梅田の件では、弁護士が賠償額をおよそ1億円と見積もっていました。

19歳で、まだ働き始める前だった女子大学生の命に、そういう数字がつきます。

その1億円が、3か月の手続き一つで紙の上から消えてしまうわけです。

言い換えると、飛び降りた側が亡くなった事故では、刑事も民事も、受け止める人がいなくなってしまうということ。

 

今回は、そこが違いました。

男が生きている以上、賠償を請求する相手は残っています

ただ、相手が残っていることと、実際に届くことは別の話でして。

報道されている男の肩書きは、職業不詳です。

支払える資力があるのかどうかは、何も分かっていません

 

結局、いまの時点で遺族に残っているのは、請求する先があるという一点だけ。

それを「まだ良かったほうだ」と呼ぶのは、あまりに酷な話だと思います。

11階のベランダで何が見えていたか

いま分かっているのは、ここまでです。

警察は8月28日に、この男を検察へ送る方針だと報じられています。

認否については、明らかにされていません

この1か月あまり、遺族はずっと待っていたことになります。

男の意識が戻るのを、警察が動ける状態になるのを。

待った先に出てきたのが、重過失致死という5文字でした。

 

これから焦点になるのは、おそらく一つだと思います。

11階のベランダに立ったとき、下の歩道に人がいることを、どこまで分かっていたのか

午前1時とはいえ、場所は栄です。

明かりがあって、人が歩いている時間でした。

そこをどう見ていたのかは、本人の口から出てくるまで誰にも分かりません。

そこが出てくるまでは、外から見えているものだけで結論を決めてしまわないほうがよさそうです。

 

男が生きているということは、遺族にとって、聞ける相手がいるということでもあります。

なぜあの夜だったのか、下を見たうえでだったのか、それとも見ないままだったのか。

池袋でも、梅田でも、横浜でも、その問いを受け取る人はいませんでした。

ただ、その答えが出たところで、失われたものが戻るわけではありません。

父親が話していた食事の約束は、事件の翌日の夜でした。

調べて並べているあいだ、頭から離れなかったのは、そちらのほうでして…。

亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。