板野友美の弁護士の経歴から見えてきたこと

2026年9月7日、板野友美の代理人をつとめる弁護士について、経歴をまとめたものがネットに出回りました。
出た大学、修了した法科大学院、勤めていた役所、弁護士になった年。
時系列にきれいに並んだその表に、反応が集まっています。
中でも目を引いたのが、途中にぽっかり空いた3年でした。
その欄だけが、空っぽのまま。
何も書かれていない3年に、推測がひとつ添えられていたんです。
今回は、その経歴がどうして「悲惨」と言われることになったのか、そして制度の側から同じ表を見るとどう変わるのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。
経歴のまとめで人が止まった1行
まず、何が起きているのかを短く押さえておきましょう。
板野友美をめぐる騒動では、批判的な投稿をしていた一般の人たちのところへ、「削除してください」という通知が直接届いていました。
差出人は、本人の代理人を名乗るアカウント。
そして2026年9月6日には、その送り主が自分の投稿をすべて消してフェイスブックも非公開にした、という話がネットに広がりました。
このあたりの経緯は、前に書いた記事にまとめてあります。
通知を受け取った側からすれば、差出人がどういう人なのかはまったく見えません。
名前を調べたくなるのは、わりと自然な流れだったと思います。
送り主は誰なのか、という関心が、次に代理人の弁護士そのものへ向かった形です。
そこで広がったのが、冒頭の経歴のまとめでした。
ただ、このまとめは本人が公表したものではありません。
どこまで正確なのかは、僕にも確かめられませんでした。
弁護士の登録番号や所属している弁護士会くらいまでは調べようがありますが、何年に何をしていたかを一行ずつ裏づける手立てはないんです。
確かめられるのは、そこに出てくる制度のほうだけ。
それでも、読んだ人の目がどこで止まったのかは、はっきり見えています。
学歴ではありません。
勤め先でもありませんでした。
何も書かれていない3年のところ。
人というのは、書いてある行より、空いている行のほうを長く見てしまうのかもしれません。
空白の3年に添えられていた推測
その空白には、ひとこと添えられていました。
括弧書きで、司法試験に落ちて受験資格を失ったのではないか、という意味の推測です。
本人が説明したことではありません。
まとめた人が、そう読んだ、というだけの話。
ここが、この騒ぎのいちばん静かな入口だったと思います。
空白というのは、情報がない状態のことです。
何も書いていないのだから、そこからは本来なにもわかりません。
ところが人は、空いた欄を見ると落ち着かなくなって、たいてい何かを入れてしまいます。
テストの答案の空欄と、たぶん同じです。
採点する側は無意識に「わからなかったんだな」と読みますが、本人にしてみれば時間が足りなかっただけかもしれません。
空欄そのものは「できなかった」を意味していないのに、読む側では意味を持ってしまう。
経歴の空白も、これとまったく同じ形。
そして入れる筋書きは、その時点で持っている印象の続きになります。
削除依頼で名前が知られた人の空白なら、入る筋書きは自然と厳しいほうへ寄っていく。
これがもし、別の人の経歴だったらどうでしょうか。
好かれている人の3年なら、たぶん「下積み」と書かれています。
実際、この推測がひとつ添えられたことで、表全体の読まれ方が動きました。
苦労人、から、悲惨へ。
そして闇落ちへ。
足された言葉は、ひとつだけ。
推測がひとつ入っただけで、表の意味そのものが変わりました。
法科大学院を出たのに予備試験なのか
ネットで見かけた素朴な疑問が、これです。
「法科大学院を出たのに、なんで予備試験を受けるの?」
たしかに、順番がおかしく見えますよね。
ここは前置きが要るので、司法試験のしくみを先に整理しておきます。
弁護士や裁判官や検察官になるための入口が、司法試験。
けれど司法試験は、誰でも受けられる試験ではないんです。
受けるための「資格」を、先に取らなければいけません。
その資格を取る道は、大きく2つ。
- 法科大学院に通って修了する
- 予備試験に合格する
法科大学院は、コースによって2年か3年かけて通うところです。
いっぽうの予備試験は、法科大学院に行かない人が資格を取るための試験。
だから、法科大学院を出た人がわざわざ予備試験を受けるのは、たしかに遠回りにしか見えません。
ここで効いてくるのが、制度の側の事情。
司法試験には、受験できる回数の制限があります。
受験資格を得た年の最初の4月1日から、5年間で5回まで。
5年経つか5回使うか、先に来たほうで打ち切られる形です。
そしてこの制限に達すると、受験資格そのものを失います。
司法試験は年に1回しかありません。
つまり5回というのは、修了した次の年から毎年受け続けて、ようやく使い切る数だということ。
5年目の夏に落ちた人は、翌年から受ける場所が無くなります。
失ったあとに戻る道は、2つしかありません。
- もう一度、法科大学院に入り直して修了する
- 予備試験に合格して、受験資格を取り直す
どちらも軽い選択ではないですよね。
片方は学費と2〜3年の時間、もう片方はあとで見るとおりの合格率。
つまり、法科大学院を出た人が予備試験を受けているとしたら、遠回りを選んだわけではないことになります。
受験資格へ戻るための、二本しかない道の片方。
ちなみに、ネットで見かける「三振」という言い方は、昔の制度から来ています。
以前は5年で3回までだったので、3回落ちると資格を失う形でした。
2015年に5回まで緩和されたあとも、「三振」という呼び名だけが残っているというわけです。
予備試験の合格率は4%を切る
では、その片方の道はどれくらいの広さなのでしょうか。
予備試験には、受験資格がありません。
年齢も学歴も職業も問われず、誰でも申し込めます。
そこだけ聞くと、やさしい入口に思えますよね。
ところが、2025年度の予備試験の合格率は3.64%でした。
100人受けて、受かるのは3人か4人。
試験は短答式・論文式・口述式の三段階あって、短答で2割ほど、そこから論文でまた2割弱まで絞られます。
最後の口述はほとんどの人が通るので、実際に人が落ちるのは前半の2つ、というわけです。
そして、この試験を抜けた人の司法試験合格率は、同じ年度で90.68%と発表されています。
つまり予備試験は、司法試験の前に置かれた「もっと狭い司法試験」のような場所。
2011年度に始まった、まだ新しい制度でもあります。
考えてみると、順番が逆ですよね。
本番の前に置かれた試験のほうが、本番よりずっと狭い。
予備試験を抜けた人の合格率がそれだけ高いのも、たぶんその構造のせいですね。
ここで、もういちど最初の表に戻ってみましょう。
空白の3年の、すぐ次の行。
そこに書かれていたのは、その門を通ったという記録でした。
悲惨と読まれた表の中で、いちばん狭いところを抜けた事実が、空白のとなりに置かれていたわけです。
この件は、弁護士の経歴が悲惨かどうかの話に見えて、実は空いている行を読んだ人が自分で埋めていた話なんですよね。
そして埋めた筋書きのほうが、書いてある事実より大きくなってしまった。
同じ経歴を『すごい』と読んだ人
おもしろいのは、まったく同じ表を見て、逆のことを言った人がいたことです。
「素人目線だけど予備試験受かるってすごい」
「そんなに悲惨な経歴か。司法試験パスしたんだし」
叩く言葉が並ぶ場所でも、こういう受け取り方は出ていました。
なかには、この人を悲惨だと騒ぐほうが問題ではないか、と書いている人もいます。
違っていたのは、表ではありません。
表のどの行を見たか、というところ。
空白を見た人は、落ちた回数を数えました。
次の行を見た人は、通った門を数えています。
同じ紙なのに、です。
そしてもうひとつ。
削除依頼のやり方に納得がいかない、という気持ちと、その人の経歴をどう読むか、というのは、本当は別の話です。
前者は行いについての話で、後者は人についての話。
行いは、いくらでも問えます。
通知の出し方が乱暴だったなら、そこは乱暴だと言えばいい。
けれど経歴の読み方を持ち出した瞬間に、話は人柄の値踏みへ変わります。
しかもこの値踏みは、取り消しがききません。
やり方への批判なら、あとで説明がついて納得すれば終わります。
経歴を持ち出して人柄を語ったほうは、その人の昔の3年間まで巻き込んでいく。
しかも、値踏みされた側には、打ち消す手立てがありません。
履歴書の空白を見たときに読む行
ここからは、今回の件を少し離れてみましょう。
空白のある経歴って、そんなに珍しいものではありませんよね。
病気、介護、転職の合間、資格の取り直し、留学、育児。
40代まで働いていれば、職務経歴書に説明しづらい期間がある人のほうが、たぶん多いはずです。
久しぶりに自分の職務経歴書を開いて、ある年とある年のあいだで手が止まった経験、ありませんか。
何日も悩んだ数行を、読むほうは3秒で見つけます。
その空白を、人はどう読むのか。
今回の騒ぎは、そこがそのまま画面に出た回だったように思います。
読むときのコツは、たぶんひとつだけ。
空白そのものではなく、その次の行を読むことです。
- 空白のあとに、前より狭い門が書かれていないか
- 空白のあとも、同じ方向へ進んでいるか
- 書いていないのは隠したからか、そもそも書く欄がなかったのか
いちばん大きいのは、3つ目。
空白は、何もなかった期間ではありません。
書く欄がなかった期間のこと。
資格の勉強、療養、家族の世話、うまくいかなかった挑戦。
どれも履歴書には行がありません。
行がないから空欄になって、空欄だから読む人が埋めてしまう。
順番としては、それだけの話なんです。
そして、いま空白のまんなかにいる人もいます。
まんなかにいる人の次の行は、まだ書かれていないだけ。
まわりが埋めたがるのも、たいていはその一行が出るまでのあいだです。
今回の表でいちばん強かったのが空白の次の行だったことを思うと、そこは案外わるくない場所なのかもしれません。
自分の空白を人に読まれるとき、いちばん怖いのは、いちばん悪い筋書きを入れられることですよね。
そして同じことが、他人の空白を読むときにも起きているのではないでしょうか。
本人が説明していない3年を、他人が括弧書きで埋めて、それを人物評として出してしまう。
そこはさすがにやりすぎだと感じてしまいます。
ただ、経歴を見て何かを思うこと自体は、止めようがありません。
気になるのは、その思いが、書いてある行から来たのか、書いていない行から来たのか、というほうです。
空いている行より、その次の行を見るほうが、たぶんその人のことはよくわかるところですね。
