2026年9月9日、愛媛県松山市の道後多幸町。

温泉街のすぐ近くにある風俗店で、経営者の男性が売春防止法違反の疑いで逮捕されました。

前の日には別のヘルス店でも6人が捕まっていて、警察は歓楽街の浄化へ取り締まりを強めているとのこと。

地方のニュースとしては、そこまで大きな扱いではありませんでした。

 

ところが翌10日、このニュースを引用した1本の投稿に、ネットの反応が集まります。

そこに書かれていたのは「まじでやめとけ」という一言と、埼玉県の西川口という地名でした。

愛媛の摘発なのに、どうして関係のない街の名前が出てくるのか。

 

今回はそのあたりを、売春防止法という言葉を今日はじめて意識した人にも伝わるように、順番に整理していきたいと思います。


松山で捕まったのは店の側だけ

逮捕されたのは、松山市道後多幸町にあるソープランドの経営者の男性です。

去年の7月26日から今年の6月3日にかけて、従業員の女性5人が客の男性5人と売春することを知りながら、そのための個室を提供していた疑いがもたれています。

認めているかどうかは、報道では明らかにされていません。

 

その前日にあたる9月8日には、同じ地区のヘルス店でも摘発がありました。

こちらは経営者の男性と、従業員の男性5人の合わせて6人が現行犯逮捕されています。

従業員の女性2人が客の男性2人と売春することを知りながら個室を提供した、というのが容疑の中身です。

6人とも容疑を認めているとのこと。

 

どちらの店でも、捕まったのは場所を用意していた側だけなんです。

このあたりは、名前だけ知っていてもなかなか中身までは知らない法律だと思います。

売春防止法は1956年にできた法律で、売る側も買う側も「してはならない」と書いてあるのですが、売買春そのものへの罰則を、この法律は持っていません。

実際に罰せられるのは、道で客を誘った人や、場所を提供して商売にしていた人、人に売春をさせていた人のほうです。

元特捜部主任検事の前田恒彦は、今年6月に書いた解説の中でこう説明しています。

ソープランドの経営者が捕まるのは「女性従業員が不特定の客に売春することを知りながら、客から料金を受け取り、店の個室を売春場所として提供した」という形で罪に問うのだ、と。

 

だから今回のニュースにも、利用した客の話はいっさい出てきません。

長く営業してきた店が、ある日いきなり摘発される。

そのからくりは、この一点。

じつはこの偏りについては、国のほうでも見直しの議論が始まっています。

法務省は2026年3月24日に有識者の検討会の初会合を開きました。

委員は法律家や刑法の研究者、心理学の専門家など11人で、座長は早稲田大学の北川佳世子教授。

5月29日の会合では、「買う側」に罰則をつくるかどうかが論点として整理されました

法律ができて70年、はじめて土台のほうが動こうとしているところ。

 

ソープランドの摘発が相次いでいると報じられているのも、こういう流れとは無関係ではなさそうです。


西川口の名前が出てくる理由

このニュースを引用した投稿の主は、埼玉県の西川口で育った人でした。

「まじでやめとけ」と書いたうえで、自分の地元がどうなったかを短く並べています。

西川口がどんな街だったのか、少しだけ時間を戻しましょう。

 

2000年代の前半、西川口の駅前には風俗店がずらりと並んでいました。

独自のサービスの呼び名から「NK流」と言われて、その筋ではかなり知られた街だったそうです。

店の数は最盛期で200店とも240店を超えるとも言われ、関東でも屈指の規模へふくらんでいく。

そこに手が入ります。

2004年11月、埼玉県警は西川口駅周辺を「風俗環境浄化重点推進地区」に指定しました。

 

動いたのは、警察の側だけではありません

指定のきっかけになったのは、そこで暮らしている人たちからの要望でした。

そのうえでの摘発です。

だから「やらなければよかった」という話には、たぶんなりません。

 

そして2006年、川口警察署が売春防止法などで違法な店を次々に摘発していきます。

その年の秋には、裏で営業していた店はほぼ閉店に追い込まれました。

やっていることは、今回の松山とほとんど同じ形です

店の側を止めて、街をきれいにする。

 

ネットにも、その時代を覚えている人の声が並んでいました。

「西川口流という言葉が懐かしい」「西川口スタイルって一世を風靡したよね」。

そして、いまの西川口を知らなかった人の「西川口って今そんなことになってるんだ…」という驚きも。

200を超える店が、数年のうちに全部消えた。

残ったのは、駅前にずらりと空いたテナントでした。


空いた店が埋まるまでの空白

店が消えたのが2006年の秋。

その空いた店舗に新しい人たちが入ってきたのは、記録の上では2010年以降とのこと。

摘発のあと、駅前には空っぽの箱が並んだままでした。

この空白が、思っている以上に効いてくる。

 

飲食店というのは、夜に人が出てくるから成り立つ商売です。

その人の流れが一度に消えれば、風俗とは関係のない居酒屋や定食屋も客を失う

シャッターが1枚下りた通りは、次の1枚も下りやすくなるものです。

そうやって家賃が入らなくなれば、大家さんは条件を下げてでも次の借り手を探すしかありません。

 

つまり、駅前の空いた箱に何を入れるかを決めていたのは、行政でも警察でもありませんでした。

たまたま先に手を挙げた人が、街の次の顔を決めていったことになります。

 

この件は「摘発すべきか、そっとしておくべきか」の話に見えて、実は空いた部屋の次の使い道を、誰かが決めていたかという話なんです。

じつは投稿した本人が、そのあとの返信で自分から線を引いていました。

街の再生までの道筋を整えたうえでの摘発なら、まだ分からないでもない、という書き方です。

「摘発するな」とは書いていません。

順番と、そのあとの絵の話をしているわけです。

 

ネットの反応にも、同じ線を引いている人がいました。

「割とガチでその後の計画がないならやめておけって話よね」「潰した場合のその後とか全く想定してなかったみたいな動きですね」。

摘発そのものをやめろ、という声ばかりではありません。

引っかかっているのは、そのあとの話のほうです


黄金町は2年前から動いていた

では、摘発をした街はどこも同じ道をたどるのか。

そうとは限りません。

横浜に黄金町という街があります。

京急線の高架下に、こちらも小さな店がぎっしり並んでいて、最盛期には250店ほどあったと言われる場所でした。

2005年1月、神奈川県警がここで大規模な取り締まりに入ります。

「バイバイ作戦」と呼ばれた作戦です。

機動隊の車両で通りを囲んで客の流れを断ち切るという、かなり強い形でした。

 

規模も年も、西川口とほとんど変わりません。

けれど、そこから道が分かれていく。

黄金町では2003年、摘発の2年も前に環境浄化の推進協議会が立ち上がりました。

集まったのは町内会とPTA、警察、そして京急電鉄。

店を止める話と、そのあと何を入れるかの話が、最初から同じテーブルに乗っていたということ。

 

ここで京急電鉄が入っているのが、地味に大きいところです。

店が並んでいたのは自社の高架下ですから、次に何を置くかを決められる人が、はじめから輪の中にいました

だから動き出しが早い。

 

摘発の翌年にあたる2006年6月には、NPOが空いた建物を借りてアートの拠点をつくりました。

2008年には京急電鉄と横浜市の協力で高架下に文化芸術のスタジオが建ち、同じ年に「黄金町バザール」というアートイベントが始まっています。

2009年4月には、まちづくりを続けていくためのNPOも設立されました。

かつて店が並んでいた建物が、アトリエやギャラリーに変わっていった。

西川口が空き店舗だったころ、黄金町にはもう次の看板が出ていたわけです。

 

ネットの反応の中には「黄金町も同じ流れになった」という声もありました。

でも記録に残っている経過は、少し違います。

先に決めていた街と、決めていなかった街。

分かれ目は、そこにありました。


松山にはすでに道後がある

松山の先行きが心配になった人もいるかもしれません。

ただ、松山には西川口になかったものがあります

今回摘発があったのは道後多幸町。

名前のとおり、道後温泉のすぐそばです。

その道後温泉本館は、2019年1月から保存修理の工事に入っていました。

工事のあいだも別館の飛鳥乃湯泉と椿の湯は開けたまま、本館だけを段階的に直していく形です。

そして2024年7月11日、道後温泉本館が5年半ぶりに全館での営業を再開しました

街としては、観光地として立て直していく方向がすでにはっきりしている場所なんです。

 

実際、今回の摘発についても、こんな受け止めがありました。

「道後を健全な観光地にしたいだけでは?あの街並みに歓楽街が立ち並んでる方が気持ち悪かったよ」。

「まじでやめとけ」という投稿に反応が集まる一方で、こういう声もちゃんと並んでいた。

どちらも、その街を思っての言葉です。

 

逆の方向の心配も出ていました。

「表の営業を取り締まっても地下に潜って非合法化した営業するだけ」という声です。

店の看板が消えることと、その商売が消えることは別だという指摘で、これも街の側から見れば無視しにくい話。

ただし、いまのところ報道に出ているのは「取り締まりを強化している」という一行までです。

空いた場所に何を入れるのかという話は、この報道の中には出てきません。

そこがどうなるのかは、これから見えてくる部分です。


浄化のニュースで探す一行

「浄化」や「取り締まり強化」という言葉は、これから別の街のニュースでも目にすることになると思います。

そのときに見るところは、たぶんここです。

 

何店摘発されたか、ではありません。

その同じ記事の中に、空いた場所に何を入れるという話が一行でも入っているか

入っていれば、街はわりと早く次の顔になります。

入っていなければ、答えが出るまでに数年かかる。

西川口と黄金町の差は、そこにありました。

 

これは歓楽街にかぎった話でもありません。

大きな工場が閉じたあとの町、駅前の百貨店が撤退したあとの通り。

終わらせる決定と、そのあとを決める話は、別々に進みます

そこがつながっていないと、空欄のまま何年か過ぎていく。

 

そしてもうひとつ。

街が変わっていくのを見て「こんなはずじゃなかった」と言いたくなったとき、その矛先は空いた場所に入ってきた人ではなく、空いたまま置かれた数年のほうへ向けるほうが、たぶん話が前に進みます。

ただ、街の話は、店がなくなった日には終わりません。

本当に見えてくるのは、空いた場所に次の看板が出るまでの、何年かのほうです。

松山の道後がそのあいだをどう過ごすのか、しばらく気にして見ておきたいところですね。