野球を観に行くとき、隣にどのチームのファンが座るかを、少し気にしたことはありませんか。

2026年9月12日、東京ドームで行われた巨人と阪神の試合で、スタンドの観客同士がもみ合いになる映像が広まりました。

映っているのは数十秒です。

すぐ近くに制服姿の係員が立っているのに、もみ合いはしばらく続いたまま。

そしてネットで増えていったのは、手を出した人への怒りだけではありませんでした

 

今回は、球場で観客同士のトラブルが起きたとき、誰が何をできる決まりになっているのかについて、わかりやすく解説していきたいと思います。

東京ドームで広まった数十秒

この日の試合は午後2時開始。

巨人が1対0で勝っています。

映像がネットに出てきたのは、その日の夕方でした。

スタンドで観客同士がもみ合っていて、そのすぐ横に制服の係員が写っている、という短い映像です。

半日もたたないうちに、かなりの人に見られる形で広がっていました。

 

この件には、まだ分かっていないことがあります。

この件について、9月12日の夜の時点で、新聞やテレビの報道は見当たりません

つまり分かっているのは、広まっている映像と、その場にいたという人たちの投稿までです。

どちらが先に手を出したのかも、確定していません。

立って騒いでいた人に、後ろの席の人が座るよう伝えたのがきっかけだったと書いている人もいましたが、これも本人が見た範囲の話。

けがの程度も、警察が動いたのかも、いまは分かっていません。

 

はっきりしているのは、球場でこういうことが起きたのは初めてではない、ということ。

今年の8月29日には、甲子園でも同じようなことが起きていました。

阪神の森下翔太が7回に死球を受けて交代したあと、日刊スポーツは「両チームファンによる乱闘騒ぎも複数件発生」と伝えています。

森下は左前腕部の打撲と診断されたそうです。

同じカードで、球場を変えて、また起きた。

そう受け取ってしまうのも無理はありません。

同じ画面に映っていた制服の人

映像を見た人の反応で目についたのは、手を出した人への怒りと、もうひとつ別の矛先でした。

  • 「これ暴れてる巨人ファンも悪いけど。東京ドームの警備員も良くないやろ。早く止めなよな」
  • 「ここの警備員って呼ばれたら突っ立てるだけで金貰えるんやな」
  • 「この讀賣ファンは普通にガラ悪いやつらでしょ。警察呼べよ警備員」
  • 「スタッフや警備員は何してんの? 甲子園と比べると驚くほど甘い」

言いたくなる気持ちは、よく分かります。

目の前で人が殴られていて、すぐ横には制服を着た人。

それなら間に入って引き離してくれるはずだ、と思いますよね。

実際に「人件費の無駄」という言い方まで出ていました。

 

ちなみに甲子園と比べる声もありましたが、球場の決まりのほうは、どの球場でも共通のものが使われています。

違いが出るとしたら、決まりの中身ではなく運び方のほうですね。

 

ただ、ひとつ気になったことがあるんです。

あの制服の人たちは、そもそも何をしていい人たちなのか。

調べてみると、係員の手は思っているよりずっと縛られていました

警備員に止める権限はない

警備員の仕事について決めているのは、警備業法という法律。

その第15条が、こういう書き方になっています。

 

「警備業者及び警備員は、警備業務を行うに当たつては、この法律により特別に権限を与えられているものでないことに留意するとともに、他人の権利及び自由を侵害し、又は個人若しくは団体の正当な活動に干渉してはならない」

 

法律の文章なので硬いのですが、言っていることは短くまとめられます。

警備員は、警察官ではありません

制服を着ていても、身分は民間の会社の従業員で、特別な権限は何も渡されていないまま。

だから不審な人を見つけても、取り調べのような聞き方はできませんし、かばんを開けて中を確かめることもできません。

車を動かしてほしいときも、あれは命令ではなくお願いなのだそうです。

できるのは、声をかけること、出ていくようお願いすること、そして警察を呼ぶこと。

引ける線は、そこまで

では、目の前で人が殴られていたらどうなるのか。

実はここで効いてくるのが、もう一本の法律。

刑事訴訟法の第213条は「現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる」と定めていて、捕まえた場合は直ちに警察官へ引き渡すことになっています。

つまり、まさにその場で起きているうちなら、警備員でも捕まえられる。

 

ここで気づいてしまうことがあります。

現行犯を捕まえられるのは、警備員だけではありません

隣の席にいたあなたも、同じ条文の「何人でも」に入っています。

制服の有無で線が引かれているわけではない、というわけです。

 

だからあの映像を見て「警備員なら止められたはずだ」と思ったとき、あの制服に、そこには無い力を見ていたことになります。

そこが、この件のいちばん引っかかるところでした。

決まりに書いてあるのは通報まで

では球場の側は、何も決めていないのでしょうか。

そんなことはありません。

プロ野球には「試合観戦契約約款」という共通の決まりがあって、観客と球団の約束ごとがかなり細かく書かれています。

東京ドームの案内にも、入場をお断りする人の説明としてこの約款の名前が出ていました。

そこには「主催者、東京ドームが入場拒否を相当と判断した方」という一行も並んでいて、著しく酒気を帯びた人はお断りすると書いてあります。

球場の側が判断して断れる、という形。

その第1条は、目的をこう置いています。

「円滑な試合進行と観客の安全かつ平穏な試合観戦を確保することを目的とする」

 

安全に、平穏に観る。

静かに野球を観たいだけなのに、という気持ちのこと。

平穏という言葉が、約款のいちばん最初に置かれています

 

そして禁止行為を並べた第8条には、こんな一文。

「他の観客及び監督、コーチ、選手、主催者及びその職員等、販売店その他の球場関係者への威嚇、作為又は不作為の強要、暴力、誹謗中傷その他の迷惑を及ぼす行為」

 

暴力は、きちんと禁止行為として書いてあるのです

書いていないから止まらない、という話ではありませんでした。

 

問題だったのは、その次の条文の書き方。

退場について決めた第10条は「主催者は、(中略)該当する観客につき、試合中その他如何なる場合でも、球場から退場させる」と、かなり強い言い方をしています。

ただし、そのあとには但し書き。

すぐに原因をやめて、ほかの客への迷惑が軽いと認められるなら、退場を待つこともあるとのこと。

そして出ていってほしいと言っても客が出ていかない場合について、条文はこう続きます。

 

「主催者は、警察へ通報し又は相当と認められる限度で退場を促すための措置を講じることができる」

 

条文をもう一度見てみてください。

できると書いてあるのは、警察を呼ぶことと、出ていくよう促すことまでです。

取り押さえる、引き離す、押さえつける。

力で止めるための言葉は、約款のどこにも書かれていません。

 

つまりこの件は、警備員が仕事をしなかった話ではなかった。

球場の決まりは、止めるために書かれていません

出ていってもらうために書かれていたんです

だから現場は、どうしても突っ立って見えてしまいます。

 

ちなみに退場になった場合、入場料は戻ってきません。

そこは約款にはっきり書いてあります。

出禁には解除の手続きもある

映像に付いていた声で目についたのは「出禁にしてくれ」という言葉でした。

「スタジアム永久追放でいんじゃないかな?」という書き方まで。

この出禁も、ちゃんと約款の中に用意されています。

名前は「販売拒否対象者の指定」で、第11条です。

禁止行為に違反した人がいて、主催者がそれを悪質だと判断したとき。

違反した人にはチケットを売らない、と指定できる決まりです。

球場から出ていってもらうだけでなく、次のチケットを買えなくする。

しかも同じ第11条には、違反した人が応援の団体に所属している場合、事情によっては応援団の構成員まで指定する、という項目まで入っていました。

ここが、球場の決まりのいちばん効くところ。

ただ、同じ第11条の終わりのほうに、こういう一項が付いていました。

指定を受けた人が行いを反省して、もう同じことをするおそれがないと認められた場合は、プロ野球暴力団等排除対策協議会という組織での協議を経て、指定を解除することもあるとのこと。

 

永久追放を求める声に対して、約款はあらかじめ戻り道まで書いていたわけです。

ここは、人によって受け取り方が分かれるところだと思います。

甘いと感じる人もいるでしょうし、そうでないと出口が無くなると感じる人もいるでしょう。

 

そして、もうひとつ。

指定されたかどうかは、外からは見えません。

誰がいつ指定され、いつ解除されたのかを、球団が一件ずつ発表する仕組みにはなっていないからです。

だから外から見ていると、何も起きていないように見えてしまう。

処分が無いのではなく、処分の知らせが表に出ないだけ、ということですね。

隣で始まったときに言える一言

気になるのは、自分の隣で始まってしまったときのこと。

隣の列で言い合いが始まったとき、何ができるのか。

 

条文から読み取れるのは、たぶんこの3つ。

  • 自分から間に入らない(現行犯なら捕まえられる、は「安全にできる」とは別の話)
  • 係員に伝えるときは「警察を呼んでください」と言う
  • その場で無理をせず、席を移して、あとから球場へ伝える

2つ目が、いちばん実際に効くはずです。

係員に「止めてください」と言っても、その人にできることは約款の範囲を越えられません。

けれど「警察を呼んでください」なら、話が変わります。

条文が名前を挙げているのは、警察を呼ぶという手続きです

言われた側が動きやすい言葉を選ぶ、ということですね。

 

それと、東京ドームの席の売り方も知っておくと気が楽になります。

巨人戦の東京ドームでは、3塁側にビジターチームの応援席が用意されていて、阪神戦ではその対象がさらに広がるそうです。

いっぽうで外野の指定席は、どちらのチームを応援してもいい混載のブロックとして売られているとのこと。

「どの席にも黄色がいて、応援するのもなんか変な感じやしね」という声がありましたが、そう感じるのは、席の売り方どおりに座った結果。

混ざるように売られている場所と、分かれている場所があるんです。

子どもを連れていく日は、そこを選ぶだけで景色が変わるかもしれません。

 

手を出した側が悪い。

そこは、どんな事情があろうとも変わりません。

ただ、決まりを読んでみて分かったのは、球場のルールが見ているのはその日のその席ではなく、次に売るチケットのほうだったということ。

僕も次に球場へ行くときは、あの制服の人に何を頼めるのかを覚えていきたいと思います。