お子さんの出生届を出したときのこと、覚えていますか。

病院でもらった出生証明書をつけて、名前を書いて、窓口に出す。

あのとき、血のつながりを示す書類は一枚も出していないはずです。

 

2026年9月18日、元なでしこジャパンの山崎円美さんに密着したABEMAの『ダマってられない女たち season3』が放送されました。

戸籍上の性別を女性から男性へ変え、女性と結婚し、体外受精で授かった子の父になった、という紹介です。

その告知の返信欄に並んでいたのは、批判ではありませんでした。

 

「どうやって妊娠するの?」

「精子がどこから来たの??????」

 

おめでとう、かっこいい、という声の合間に、この素朴な疑問が混ざっています。

聞くほうを責める話ではないと思うのです。

戸籍の父の欄がどうやって決まるかなんて、ふつうは習う機会もありません。

 

今回は、精子提供で授かった子の父が法律の上でどう決まるのかを、条文と裁判所の資料からわかりやすく解説していきたいと思います。

山崎円美が父になるまでに起きたこと

まず、この1年に起きたことを順番に見ていきましょう。

山崎さんは1990年6月9日生まれ、埼玉県出身。

現役時代は浦和レッズレディース、AC長野パルセイロ・レディース、アルビレックス新潟レディースなどでプレー。

2013年3月に日本女子代表デビューを果たし、国際Aマッチは通算4試合でした。

2023年に現役を引退し、そのあと日本女子フットサルリーグのさいたまSAICOLOでプレーしていたそうです。

 

2025年12月31日、山崎さんは自身のインスタグラムで2つのことを公表します。

戸籍上の性別を変更したことと、女性と結婚したこと。

「この度、勇気を振り絞り皆様にご報告させていただきます」

そう書き出したうえで、こう続けたとモデルプレスが伝えています。

「(少し前の話にはなりますが)戸籍上の性別を変更し、男性となり、とっっっても素敵な女性の方と結婚致しました!」

性別適合手術を受けたのは現役引退後のこと。

公表するまでには1年ほど迷ったそうです。

 

ためらいの理由は、自分のプライバシーではありませんでした。

「女子サッカーはこういう世界なんだと偏見を持たれることで、サッカーを始めたい女の子たちが親に反対されたりしないか。髪の短い選手がみんなそういう目で見られてしまわないか」

その1年は女子サッカーと距離を置き、まったく関係のない仕事をして身を隠すように暮らしていたとのこと。

気持ちが動いたきっかけのひとつは、別の女子選手が同性婚を公表したときの世間の反応だったと語っています。

 

そこから先は早い展開でした。

2026年5月に妻の妊娠を報告し、6月7日には出産を報告。

「産まれました〜 感無量!!!!!!!!!!!」という投稿を、サッカー専門サイトのゲキサカが伝えています。

そして9月2日、山崎さんは女子サッカークラブ・ザスパ群馬ルミナスの監督に就任しました。

チームの公式アカウントが出した就任のお知らせには、コーチから監督へ上がった経緯と、本人のコメントが並んでいます。

性別のことも子どものことも、一行も書かれていません

就任の知らせとして、ただ普通に置かれているだけでした。

精子提供という答えは本人が話していた

くり返し聞かれていた「どうやって」について。

この疑問には、山崎さん本人が今月4日に公開されたインタビューで答えています。

CHANTO WEBの記事の中で、こう語っていました。

当然、生物学的な意味での精子は、自分の体では作ることができません。ですから、精子提供による体外受精という選択肢になるわけですが、そこに迷いは1ミリもありませんでした。

出典:CHANTO WEB(2026年9月4日公開)

精子提供による体外受精。

これがネットで「誰の?」と聞かれ続けていたことの答えでして、本人は隠すどころか、自分から言葉にしていました

 

治療は楽ではなかったようです。

同じインタビューで、山崎さんは「結果的に8か月間で8回のチャレンジを繰り返しました」と話していました。

毎月期待しては、そのたびにリセットされる。

その繰り返しを妻のそばで見ていたことも語っています。

 

そもそも「体外受精」とは何を指すのでしょうか。

答えは、法律の中に置いてあります。

「体外受精」とは、女性の卵巣から採取され、処置された未受精卵を、男性から提供され、処置された精子により受精させることをいう

出典:生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律 第2条第2項

体の外で卵子と精子を出会わせて、育った受精卵を子宮に戻す。

その精子を夫以外の男性から提供してもらうのが、今回でいう精子提供です。

なお、誰から提供を受けたのかは報道にも本人の言葉にも出てきませんので、こちらでは書けません。

戸籍の父は血のつながりで決まらない

では、生まれた子の父は誰になるのでしょうか。

多くの人の予想と食い違うのは、たぶんこの部分だと思います。

血がつながっていないのだから、戸籍の父の欄は空欄になるのではないか。

そう考えたくなりますが、法律はまったく別のところを見ています。

妻が婚姻中に懐胎した子は、当該婚姻における夫の子と推定する。

出典:民法第772条第1項

読んでいただくと分かるとおり、条件はひとつだけ

妻が結婚しているあいだに妊娠したかどうか、それだけです。

血液型もDNAも、条文の中には出てきません

 

では、窓口の人が親子の血縁を確かめるのでしょうか。

確かめません。

出生届に添える出生証明書に書かれているのは、生まれた日時と場所、そして産んだ人のことまで。

父親が誰かを医学的に確かめる欄は、どこにもないのです

 

そのうえで、精子提供のときのために別の条文が用意されています。

妻が、夫の同意を得て、夫以外の男性の精子(その精子に由来する胚を含む。)を用いた生殖補助医療により懐胎した子については、夫、子又は妻は、民法第七百七十四条第一項及び第三項の規定にかかわらず、その子が嫡出であることを否認することができない。

出典:生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律 第10条

「嫡出であることを否認する」というのは、あとから裁判所へ行って「この子は自分の子ではありません」と申し立てる手続きのこと。

その申し立てを、夫も、妻も、子ども自身も、できないと書いてあります。

 

つまり法律は、血のつながりのあるなしを入口で確かめる代わりに、夫が同意したかどうかを見ているわけです。

同意したのなら、そこから後戻りはさせません。

この条文は2020年12月11日に公布された法律に入っていて、親子関係についての部分は翌2021年12月11日から動いています。

最高裁は2013年に答えを出していた

「そうは言っても、性別を変えた人の場合は別なのでは」

そう思われた方もいるかもしれません。

その点も、2013年に一度、裁判になっています。

 

性別の取扱いの変更を受けて男性になった人が女性と結婚し、妻が夫の同意のもとで第三者から精子の提供を受けて出産しました。

ここまでは今回とよく似た形です。

ところが夫婦が嫡出子として出生届を出したところ、区長は父の欄を空欄にして戸籍に記載します

戸籍を見れば夫が性別を変えた人だと分かるので、血のつながりがないことは明らかだ、という理屈でした。

 

最高裁は、この扱いを認めなかったのです。

一方でそのような者に婚姻することを認めながら、他方で、その主要な効果である同条による嫡出の推定についての規定の適用を、妻との性的関係の結果もうけた子であり得ないことを理由に認めないとすることは相当でない

出典:最高裁判所第三小法廷 平成25年12月10日決定

結婚することは認めておいて、結婚したから生まれる効果だけは認めません

それはおかしいでしょう、と言っているわけです。

この決定で戸籍の訂正が許可され、父の欄に夫の名前が入りました。

ちなみにこの判断が出たのは、さきほどの生殖補助医療法ができるより前のこと。

民法772条だけで、ここまで決めています。

 

なぜこうなるのかというと、性別変更にはこういう条文があるからです。

性別の取扱いの変更の審判を受けた者は、民法その他の法令の規定の適用については、法律に別段の定めがある場合を除き、その性別につき他の性別に変わったものとみなす

出典:性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律 第4条第1項

法令を使うときは男性として扱う、と書いてあります。

夫として結婚できるのなら、夫として嫡出推定も受ける。

最高裁はその筋を通しただけ、とも言えます。

 

返信欄には「2回読んで理解できた」という声もありました。

ややこしく感じるのは当たり前でして、ここは最高裁が丸ごと一度ひっくり返した場所です。

戸籍の性別を変えるための6つの条件

もうひとつ、返信欄で目についた声があります。

「男から女は絶望的にむずいのに、逆はいけるんだもんなぁ」

 

見た目の話としては分かる気もしますが、戸籍の手続きは男女で違いません

条件は法律に書いてあって、どちらの方向でも同じです。

裁判所のサイトには、こう案内されています。

  • 二人以上の医師により、性同一性障害であることが診断されていること
  • 18歳以上であること
  • 現に婚姻をしていないこと
  • 現に未成年の子がいないこと
  • 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
  • 他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること

3つ目と4つ目には、少し補足が要るかもしれません。

「現に婚姻をしていないこと」は、いま結婚している人は先に籍を抜かないと変更できないという意味です。

「現に未成年の子がいないこと」のほうは、18歳未満の子がいるあいだは申し立てができません。

山崎さんが結婚より先に性別の変更を済ませているのは、この順番が決まっているためです。

好きな順で進められるものではありません。

 

申し立て先は家庭裁判所で、費用は収入印紙800円と連絡用の郵便料

医師の診断書と、生まれてから現在までの全部の戸籍謄本を添えます。

山崎さんが「裁判所や役所に行ったり手続きは大変でしたね」と振り返っていたのは、この道のりのことでしょう。

 

この案内には、続きがあります。

裁判所は6つ並べたあと、注記でこう書き添えていました。

令和5年10月25日付け最高裁判所大法廷決定において、5の要件は憲法13条に違反し無効であるとの判断が示されています。

出典:裁判所ウェブサイト「性別の取扱いの変更」

5番目、つまり生殖腺についての条件です。

生殖腺というのは卵巣や精巣のこと。

手術でそこを取ることを求めていた条件になります。

2023年10月25日に最高裁の大法廷が、これは憲法13条に反していて無効だと判断しました。

法律の条文そのものはいまも残っているのに、使われない条件がひとつ混ざっています

案内に並んでいる数と、実際に審査される数が、いまはずれているわけです。

決まっていないのは子どもの側の話

ここまでは、答えが出ている話でした。

生まれた子の父は誰か。

戸籍の性別はどう変えるか。

どちらも条文と判例がそろっています。

 

決まっていないのは、その先です。

親子関係を定めたあの法律は、附則でこう書いていました。

精子や卵子の提供とあっせんをどう規制するか。

提供を受けて生まれた子に関する情報を、誰がどう保存して、どこまで開けるようにするのか。

この2つを含めて「おおむね二年を目途として、検討が加えられ」と置いたまま、法律は動き出しています。

 

公布は2020年12月。

生まれた子が自分のルーツを知りたくなったとき、どこへ行けば何が分かるのか。

出自をたどるための仕組みは、まだ作られていません

父を決めるところは先に整えて、子どもが知りたくなったときのことは後回しになっている形です。

 

山崎さんは、その先のことも聞かれていました。

特別にカミングアウトをするような場を設けることは今のところ想定していません。子どもにもし聞かれたら、自然に答えるくらいでいいのかなと。

出典:CHANTO WEB(2026年9月4日公開)

制度がまだ用意していないものを、いまは一つひとつの家庭が自分で考えている状態です。

決まっていようといまいと、子どもはもう生まれてきます。

返信欄にも、そこに気づいた人の言葉がありました。

「いろんな選択をするたびに周りの反応も気になるだろうし、それでも自分たちの人生を進んできたのはすごいことだと思う。」

 

こうして見てくると、今回の件は「どうやって子どもができたのか」という話に見えて、実は法律が父を決めるときに血のつながりを見ていない、という話でした。

見ているのは、結婚しているかどうかと、夫が同意したかどうか

その2つだけなんです。

これは、性別を変えた人のために特別に用意された抜け道ではありません

提供を受けて子を持った夫婦すべてに、同じように当てはまります。

 

戸籍の父の欄に名前が載る条件を、僕らはたぶん一度も確かめないまま大人になりました。

確かめずに済んだのは、たまたまその条件を満たしていたからなんですよね。

番組でこの家族を見るときは、ぜひその欄のことも一緒に思い出してみてくださいね。