配膳が終わって、いただきますが済んで、あとは食べるだけ。

給食の時間と聞いて浮かぶのは、たいていそんな絵ではないでしょうか。

ところが、2026年9月10日からネットで広がっている動画に映っていたのは、まるで違う光景でした。

片手で給食を口へ運びながら、もう片方の手は別の作業を続けている小学校の先生。

テレビの番組で流れた特集を切り取った映像で、画面の上には「授業・教材研究・会議… 先生の一日は超多忙」というテロップが出ています。

 

反応はかなりのもので、しかもその中身がきれいに割れました。

今回は、あの時間がそもそも誰のための時間なのかについて、わかりやすく解説していきたいと思います。


あの動画で先生がしていたこと

映っていたのは、教室の自分の席にトレーを置いた先生の姿でした。

給食を口へ運びながら、手元ではずっと別の紙を触っている状態。

食べることと仕事が、同じ時間の中で同時に進んでいます。

ネットには「咀嚼している間にもう一つの仕事をしているわけですね」という受け止めが出ていて、たしかにそう見える映像でした。

 

そこで目についたのが「先に食べた方が早い」という声。

食べてから作業すればいいのに、なぜわざわざ重ねるのか、という疑問です。

言われてみればそのとおりで、僕も最初はそこが引っかかりました。

この疑問には、ちゃんと答えがあります。

 

一方で「行儀が悪い」という声も上がりました。

食べ方を教える立場の人がこれでは、見本にならないのでは、という心配です。

「食育って人をつくるうえでとっても大事よ」という書き込みもありましたし、家で夕飯を食べながら宿題をやる子が出てきたらどうするのか、と心配する人もいました。

どちらも、意地悪で言っているようには見えません。

むしろ、学校の食事の場面を大事に思っているからこそ出てくる言葉


演出だと言われた理由と現場の声

割れたもう一方の側は、「これはテレビ用の演出では」という受け止めでした。

「日本で生まれ育った人なら全員、小学校中学校を経験してるわけで、自分の担任がこんな食い方してたかって話よな」という書き込みが、その代表格です。

自分の記憶にある担任の顔を思い浮かべると、たしかにここまでの人はいなかった気もしてきます。

現役の先生からも「給食指導なので給食くらいは子どもらと雑談しながら食べますけどね」「演出だと思います」という声が上がっていました。

 

ところが同じリプ欄には、まるで逆の書き込みも。

  • 「小学校はこのレベルです。決してテレビの前だから大袈裟にしているわけではないかと。タイミング合わなければ自由にトイレすら行けない職場なので仕方がありません」
  • 「朝集めた学習カードをチェックしたり、連絡帳の返事を書いたりする時間がないので、給食の時間にやるしかない時は多いです」
  • 「確かに毎日ではありませんし、状況によります。しかし、教職員経験者でない方々には信じられないかもしれませんが、平均週に2回ほどこれに近い状況にはなりますよ」

毎日ではない、という但し書きつきで、それでも珍しくはない、と書かれています。

さらに具体的だったのが、こんな書き込みでした。

「これは非効率だと思うけど、担任なら、毎食5分くらいで食べ終わらせてる人は多いよね。配膳しておかわりじゃんけんとかやってから食べ始めて、一番先に食べ終わらせて片付けの準備とかするもんね」

配って、じゃんけんをさせて、やっと自分が食べ始めて、それでも一番先に食べ終わる。

ほかにも「児童の食事時間は15〜20分、先生の食事時間は5〜10分」と書いている人がいて、特に小学1年生の担任は時間がないと思う、と続けていました。

 

ここで、ひとつ引っかかる点が出てきます。

「演出だ」と言う人と、「これが現実だ」と言う人。

両方の側が、同じ言葉を使っていました。

給食指導、という言葉です。

片方は「給食指導なんだから、子どもを見ながら食べるはずだ」と言い、もう片方は「給食指導だから、自分の昼ごはんの時間ではない」と言っています。

同じ言葉を握ったまま、正反対の結論へ歩いていく。


先生の昼ごはんは勤務時間だった

その給食指導というのが、そもそも何なのか。

学校の給食は、ただの昼食の時間ではなく、教育活動のひとつという位置づけ。

文部科学省が出している「食に関する指導の手引」には、そのものずばり「給食の時間における食に関する指導」という章があります

準備から片付けまでの一連の流れの中で、手洗い、配り方、並べ方、はしの使い方、食事のマナーまで教えるとのこと。

学習指導要領でも、特別活動の学級活動の中に、給食を通じた望ましい食習慣の形成が入っています。

2008年6月に大きく改正された学校給食法にも、学校における食育の推進があらためて置かれました。

 

つまり、あの時間は先生にとって授業に近いものだということ。

子どもにとってはお昼ごはんの時間でも、先生にとっては勤務時間の真っ最中なんです。

そう置き直すと、あの動画で割れていたものの正体が見えてきます。

割れていたのは、行儀の良し悪しではありませんでした。

あの時間を「先生のお昼休み」だと思って見ているか、それとも「勤務中」だと知って見ているか。

その一点だけで、見えているものが変わっていました。

 

お昼休みだと思って見れば、ながら食べは行儀の問題になります。

勤務中だと知って見れば、同じ映像が「休憩なしで働いている人」に変わってしまう。

そして、ここから先がこの話のややこしいところ。

給食の時間が勤務なら、先生のお昼ごはんの時間は、いったいどこにあるのでしょうか?


45分の休憩はどこへ消えたのか

法律の側は、じつにはっきりした話でして。

使用者は、労働時間が六時間を超える場合においては少くとも四十五分、八時間を超える場合においては少くとも一時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない。

使用者は、第一項の休憩時間を自由に利用させなければならない。

出典:労働基準法 第34条

短い条文ですが、ここには条件が2つ入っています。

途中に与えること、自由に使わせること。

これは学校の先生にも当てはまるもの。

公立学校の教員の勤務時間は1日あたり7時間45分が一般的なので、少なくとも45分の休憩が要る計算になります。

 

では、その45分はどこにあるのか。

給食の時間は指導なので、そこには置けません。

昼休みも、子どもたちが遊んでいる時間なので、見守りや相談が入ります。

そこで休憩は、別の時間帯へ割り振られることになるわけです。

現場の教員が書いた記事には、勤務時間が8時15分から17時までの学校で、休憩1時間のうち15分を13時台に、45分を終業間際の16時台に置いている例が紹介されていました。

 

紙の上では、たしかに休憩が確保されているように見えます。

ところが、その時間帯に職員会議や打ち合わせ、保護者への連絡が入ってくる。

すると、さっきの条件が2つとも危うくなってしまいます。

途中どころか、終業の直前に寄せられていて、自由にも使えていない形。

時間割の上では、休憩という枠だけが残って、中身は別の仕事で埋まっていく。

給食を食べながら連絡帳を書く、という光景は、この埋まり方のいちばんわかりやすい形なのだろうと思います。

 

国の側も、先生が元気でいることの大事さは、繰り返し発信してきました。

毎日を元気に、という言葉と、給食をかき込みながら連絡帳を書く光景の距離が、そのまま今回の話の距離でもあります。


先に食べた方が早いが通らない事情

では、「先に食べた方が早い」はなぜ通らないのでしょうか。

これは意地悪な疑問ではなく、素朴でまっとうな問いかけ。

けれど、先生の側の順番を並べてみると、先に食べるのが難しい事情が見えてくるんです。

まず配膳があって、量の調整があって、おかわりの分け方があって、アレルギーのある子への確認もあります。

それが全部、先生の仕事です。

先に食べようとすると、子どもたちを待たせることになってしまう。

だから現場は、食べる順番ではなく食べる速さのほうで帳尻を合わせています。

さきほどの「一番先に食べ終わらせて片付けの準備」という書き込みは、まさにそれを言っていました。

 

「副担任と時間をずらせばいいのでは」という案も出ていましたが、これも簡単ではありません。

給食が学級活動として位置づけられている以上、担任がその教室で指導していること自体が中身なので、人を入れ替えれば済む話にはならないからです。

それに小学校は、基本的に担任がほとんどの授業を受け持ちます。

中学や高校のような空きコマがないので、事務作業を差し込める場所が、そもそも少なくなるわけです。

朝集めた学習カード、その日のうちに返さないといけないプリント。

締め切りが今日中のものが積み上がると、残っているすきまが給食の時間しかなくなる、というからくりでした。

 

それでも、行儀を心配した人が間違っていたとは思いません。

食べ方を教える時間に、教える側が慌ただしく口へ運んでいるのは、やっぱりちぐはぐ。

ただ、そのちぐはぐを作っているのは先生個人の性格ではなく、指導と昼ごはんを同じひとコマに重ねている置き方のほうです。


休憩が休憩でないのは学校だけか

同じ形は、学校の外にもあります。

休憩の時間なのに電話番をしている、持ち場を離れられない、呼ばれたらすぐ戻る。

看護や介護、保育、小売や飲食で働く人なら、心当たりのある光景かもしれません。

 

ここで効いてくるのが、さきほどの2つの条件です。

休憩は労働時間の途中に与えること、そして自由に利用させること。

呼ばれたらすぐ動く前提で待っている時間は、休憩ではなく手待ちの時間として、労働時間に入るのが原則とされています。

電話が鳴るかもしれないから席にいる、というだけで、その時間は自由に使えていないからです。

つまり、席を立てない決まりになっているなら、それはもう休憩ではないということ。

 

だから、確かめる手はひとつだけです。

自分の職場の就業規則を開いて、休憩が何時から何時と書いてあるかを見てみる。

そのうえで、その時間に実際は何をしているかを思い出してみます。

2つを並べるだけで、自分の昼が休憩なのかどうかは、けっこうはっきり見えてくるものです。

 

制度の側も、まったく動いていないわけではありません。

教員の給与のきまりを定めた給特法が改正され、残業代の代わりに一律で払われる教職調整額が、2026年1月から段階的に引き上げられることになりました。

2031年1月には10%になる予定です。

2025年9月には、学校にいた時間のうち所定の勤務時間を超えた分を月45時間以下にする、という目標を掲げた指針も示され、各教育委員会には業務量管理・健康確保措置実施計画をつくって公表することが義務づけられています。

ただ、そこで数えられているのは時間外のほう。

給食の時間は所定の勤務時間の内側にあるので、その中身がどれだけ詰まっていても、この数字には一度も顔を出さないままです。

 

あの動画が本当に毎日のことなのかは、外からは分かりません。

それでも、毎日ではないにせよ何度もそうなる職場なのだとしたら、行儀の話で片づけてしまうのは少し気の毒な気がします。

うちの職場の休憩は何時から何時なのか、いちど就業規則を開いてみたいところですね。