「生前、約束したこともあります。お話しすることはできませんが、その約束を果たしたい」

2025年6月、恩師の長嶋茂雄が亡くなった翌朝に、その家の前で松井秀喜が報道陣に話した言葉です。

そして2026年10月23日、松井秀喜が巨人の新監督に就任すると発表されました。

速報が流れた直後から、ネットには「長嶋さんとの約束これだったのかな?」という声が並んでいます。

その一方で、コーチとしてシーズンを戦った経験のない松井秀喜に、監督が務まるのかと心配する声も。

前日からは、就任を予想してスポーツ新聞の記事に〈伏線〉を探し、盛り上がっていた人もいました。

ところが、同じ日の午後の就任会見で約束について聞かれた松井秀喜は、あの日の発言を自分で「撤回」してしまいます。

今回は、監督が決まるまでの流れと、会見で約束について何が語られたのかに加えて、恩師の長嶋茂雄も監督1年目は最下位だったことを順番に見ていきます。

阿部辞任から空いていた監督の椅子

まず、巨人の監督の椅子がどうして空いていたのか。

2026年5月に阿部慎之助前監督が辞任し、そこから先は橋上秀樹オフェンスチーフコーチが監督代行としてチームを率いてきました。

巨人は最後まで優勝争いに絡んだものの、10月11日にDeNAとのクライマックスシリーズのファーストステージに敗れてシーズンが終わり、橋上監督代行も退任したと報じられています。

日刊スポーツによると、監督経験のある原辰徳や高橋由伸に目立った動きはなく、松井秀喜が最終候補に残っていたとのこと。

巨人はそのあいだ、監督がいないまま、10月22日のドラフト会議まで済ませました。

そして翌日からは、ソフトバンクとDeNAによる日本シリーズが始まります。

シリーズ中は両チームに敬意を払って大きな発表や会見を控える慣習があるそうで、始まる前日の23日に会見を開いたのは日程から見ても自然な流れだったと日刊スポーツは書いていました。

その日の午後、松井秀喜は山口寿一オーナーとともに都内のホテルで会見に臨み、契約は3年、背番号は90と発表されています。

ずっと「待望論」が言われてきた人の名前が、本当に挙がる日が来るとは。

リプ欄の「え、しれっとビッグニュースやん」「ないと思ってた」という声に、思わずうなずいた人も多いかもしれません。

会見の場では、背番号90のユニホーム姿も初めて披露されました。

 

会見で自主撤回された長嶋茂雄との約束

ネットでとくに目立ったのが、「これが長嶋さんとの約束だったのでは」という受け止め方です。

前日のうちに、ひと足早く就任を祝う投稿まで出ていました。

その気持ちは、よく分かります。

1992年のドラフトで4球団が競合した松井秀喜を、くじで引き当てたのが当時の長嶋茂雄監督でした。

そこから二人三脚で素振りを重ね、巨人の4番に育っていった師弟の関係は、多くの野球ファンが知るところです。

その恩師が亡くなった翌朝、ニューヨークから駆けつけて口にしたのが、冒頭の「約束」でした。

 

だからこそ会見では、記者から「長嶋さんとの約束。それは巨人の監督?」とまっすぐ聞かれています。

スポーツ報知の一問一答によると、松井秀喜の答えはこうでした。

「自分自身そんなこと言うつもり全くなかったんですけど、いろいろな憶測が飛び、当時のチームにすごい迷惑かけたと思います。言うべきじゃなかったなと思ってます。私の中では自主撤回しておりまして(笑い)。みなさんがご自由に考察してください。これが答えかもしれないし、答えじゃないかもしれないし」

出典:スポーツ報知(2026年10月23日配信)

そのうえで、「私と長嶋さんだけのものだったというところに戻っております」とも話しています。

ずっと答えを待っていたファンからすれば、拍子抜けしたような、でも松井秀喜らしいような、そんな答えですよね。

弔問の直後に思わず口にした一言が憶測を呼び、当時の巨人に迷惑をかけたと本人は振り返っています。

その重さを、本人がいちばん分かっていたのかもしれません。

 

ただ、言葉では撤回しても、会見で見せたものがあります。

背番号の90は、長嶋茂雄が引退してすぐ監督になったときに着けた番号でした。

理由を聞かれた松井秀喜は、長嶋茂雄が生きていれば今年で90歳になることも挙げています。

天国の恩師からエールをもらえるとしたら、と聞かれると、笑いながら「『遅いよ!』じゃないですかね」と答えていました。

約束の中身は語らないまま、恩師の番号だけを背負ってみせたんです。

経験ゼロで始めた恩師の1975年

喜びの声と並んで目についたのが、指導者としての経験を心配する声です。

リプ欄にも「特に嫌いとかではないんだけど、監督としてどうなんだ」「客寄せ」という声がありました。

この不安には、本人が会見で先に答えています。

「私は指導者の経験はほぼありません。そこが私が12球団の監督の中で一番劣っている部分であると自覚しています」

そのうえで「選手とともに伴走し、一緒に成長したい」と続けたそうです。

実際、2014年に初めて臨時コーチを務めてから、春のキャンプでの指導は今季で5度目で、シーズンを通してベンチに入ったことはありません。

 

経験のない監督と聞いて思い出すのが、長嶋茂雄です。

長嶋茂雄は1974年に現役を引退すると、コーチの経験もないまま、翌1975年に巨人の監督になりました。

その1年目、チームは最下位に沈んでいます。

ところが翌1976年には、リーグ優勝を果たしました。

松井秀喜が背番号90を選んだ理由として最初に挙げたのも、ちょうどこの時代のことです。

第1次長嶋監督の6年間は日本一に届かなかったことにも触れ、「選手長嶋」がいない巨人で苦労しながらも、大きな情熱で若い選手たちと向き合った、その気持ちを継いでいきたいと話していました。

経験のないまま巨人の監督を引き受け、1年目に最下位を味わった恩師の時代を、自分から選んで背負った形です。

一方で、会見では「私は長嶋茂雄にはなれません」「長嶋さんは長嶋さんなんです」とも言い切っています。

もちろん、それで不安が消えるわけではありません。

リプ欄の「『松井、辞めろ』ってヤジられたり、ネットに書き込まれたりしたら嫌だなー」という一言には、思わずうなずいてしまいました。

大好きな人だからこそ、負けが込んだときに責められる姿は見たくない、という気持ちなんでしょう。

 

織田翔希を口説くのは松井秀喜なのか

新監督の就任とあわせて、ネットが話題にしていたのが、前日のドラフトで1位指名した織田翔希投手のことです。

横浜高校の最速157キロ右腕で、アメリカへの挑戦を表明していたところを、巨人が単独で1位指名し、日刊スポーツは「強行1位指名」と報じています。

監督がいない状態での指名だったので、リプ欄では「織田君の強行指名はコレがあったからだろうな」という読み方も出ていました。

ヤンキースなどメジャーで長くプレーし、ワールドシリーズのMVPにもなった人が、アメリカを目指す高校生の前に座る。

想像しただけで、たしかに絵になりますよね。

ところが会見で、松井秀喜は「私は全くどの選手を指名するか知りませんでした。びっくりしまして自分も」と明かしています。

交渉に加わるかについても「私がいくことによって逆にもしかして迷惑になる場合もあるかもしれないので、そこは慎重に彼の気持ちを第一に考えていきたい」と、球団に相談しながら決める考えでした。

そのうえで「世界一のピッチャーになる可能性のある選手と、もしかして契約できるかもしれないというチャンスを頂いた」とも話していて、指名そのものは歓迎している様子です。

織田投手の指名がどういう決まりのもとで行われたのかは、ドラフト当日の記事にまとめています。

織田翔希の強行指名は大谷翔平と同じ…巨人が指名できた本当の理由2026年10月22日のプロ野球ドラフト会議で、横浜高校の織田翔希投手が巨人から1位で強行指名されました。 わずか1週間前に、自分の口...

 

約束の中身は、松井秀喜と長嶋茂雄だけのものに戻されました。

本人が「ご自由に考察してください」と言うのなら、その答え合わせは、90番が立つ来季のベンチを見守りながら共に楽しみたいですね。