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チャイニーズタイペイに違和感!台湾と呼ばない理由を解説!

オリンピックの開会式、各国の選手団が次々と入場してくる中で、ふと気になる瞬間があります。

「チャイニーズタイペイ」という名前で呼ばれる選手たちが、旗を掲げながら歩いてくる場面です。

「あれ、台湾じゃないの?」と首をかしげた経験がある人は、決して少なくないはずです。

あの名称の裏には、一言では語りきれない歴史と政治の複雑な絡み合いがあります。

中国と台湾、そして国際社会が織りなす力学の中で、台湾はずっと「自分の名前で呼ばれない」という状況を生き続けてきました。

なぜそんなことになったのか、そしてその問題は今もなお続いているのか。

この記事では、そのすべてをできるだけわかりやすく、丁寧にひも解いていきたいと思います。

台湾がチャイニーズタイペイと呼ばれる理由は?

「チャイニーズタイペイ」という呼称の問題は、スポーツの話というよりも、冷戦の遺産とでも呼ぶべき政治的な構造から生まれています。

簡単に言えば、中国(中華人民共和国)が「台湾は中国の一部だ」と強く主張し、その圧力が国際スポーツの舞台にまで波及した結果が、あの奇妙な名称なのです。

スポーツの話のはずなのに、なんでそんなに政治が絡んでくるんだ、と思う方もいるかもしれません。

でも、この問題を知れば知るほど、スポーツと政治がいかに切り離せないかを痛感させられます。

「二つの中国」問題が生んだ呼称の歪み

話は1949年までさかのぼります。

中国で内戦が終結し、共産党が勝利して中華人民共和国(PRC)が誕生しました。

一方、敗れた国民党率いる中華民国(ROC)の政府は、台湾島に撤退。

そこから長年にわたり、「自分こそが中国全土の正当な政府だ」と主張し続けることになります。

これが「二つの中国」問題の出発点で、今日に至るまであらゆる外交摩擦の根っこにある構造です。

1950年代から60年代にかけて、台湾はまだ国際連合でも「中国」の代表権を持っていました。

オリンピックにも「中華民国」として参加しており、1960年のローマ五輪では正式に「Formosa(フォルモサ、台湾の旧称)」として参加しましたが、選手団が抗議で「Taiwan」のプラカードを掲げたこともありました。

台湾が台湾として声を上げていた瞬間が、確かに存在していたのです。

ところが、1971年の国連総会決議2758号、いわゆる「アルバニア決議」によって、状況は一変します。

この決議で中華民国は国連から追放され、中華人民共和国が「中国」の代表権を正式に手にしました。

これ以降、台湾は国際機関において「中華民国」という正式名称を使うことが難しくなり、外交的な孤立がじわじわと深まっていくことになります。

「一つの中国」という名の圧力装置

国連での敗北以降、中国(PRC)はさらに強固に「一つの中国」原則を国際社会に浸透させていきました。

この原則は簡単に言うと、「台湾は中国の一部であり、独立した国家として扱うな」という要求を世界中に突きつけるものです。

これをそのまま飲まされた国や機関は、台湾を「Taiwan」と呼べなくなります。

なぜなら、「Taiwan」という名前を使うことが、あたかも台湾を独立した国家として認めているように受け取られるからです。

国際オリンピック委員会(IOC)も、この圧力から無縁ではありませんでした。

中国は1970年代からIOCへの復帰を求め、同時に台湾の排除、少なくとも「国家としての台湾」の否定を迫りました。

IOCにとっては、世界最大の人口を擁する中国をオリンピックから外すという選択肢は現実的ではありませんでした。

市場規模の問題だけでなく、オリンピック精神の観点からも、両者に参加してもらう道を探る必要があったのです。

こうして追い詰められた台湾は、1976年のモントリオール五輪でついに我慢の限界を超えます。

カナダ政府が「台湾をTaiwanとして扱う」と要求したことに台湾側が抵抗し、最終的にボイコットを選択しました。

自国名で出場できないなら出ない、という苦渋の決断でした。

台湾人の多くが「チャイニーズタイペイという名前には、自分たちのアイデンティティがない」と感じるのは、こうした歴史的な文脈を知れば、ごく当然の感情だと思えてきます。

正直、これだけの背景を知ると、単なる「呼び名の問題」じゃないんだな、と改めて感じさせられますよね。

名古屋決議がチャイニーズタイペイ決定の決め手!

モントリオールのボイコットを経て、IOCは何とかして「中国と台湾、両方が参加できる枠組み」を作ろうと動き始めます。

その集大成として生まれたのが、1979年に日本の名古屋で下された「名古屋決議」でした。

ここで「チャイニーズタイペイ」という名称が事実上、台湾に押しつけられることになります。

当時の台湾の立場からすれば、まさに「飲むか、消えるか」の二択を迫られたような状況だったのではないでしょうか。

妥協の産物として生まれた名称

名古屋決議は、IOC会長マイケル・キラニンの主導で進められました。

彼の頭の中にあったのは、シンプルな方程式です。

中国なしのオリンピックは考えられない、しかし台湾も追い出すわけにはいかない、ならば両者が何とか共存できる言葉を作ろう、という発想です。

決議の内容はこうでした。

中華人民共和国は「Chinese Olympic Committee(中国オリンピック委員会)」として参加し、国旗・国歌の使用が認められます。

一方、台湾側(中華民国)は「Chinese Taipei Olympic Committee(チャイニーズタイペイ・オリンピック委員会)」に改称し、国旗と国歌の使用は禁止。

IOCが承認した別の旗とメロディを使うことが条件とされました。

台湾はこの決定に猛反発し、スイスの裁判所に提訴しましたが、結果は敗訴。

1981年にローザンヌで再交渉が行われ、最終的に「ローザンヌ協定」として落ち着きます。

台湾は白地に梅の花と五輪マークを組み合わせた「梅花旗」を使い、「国旗歌」のメロディを歌詞なしで演奏するという形で、渋々ながら合意せざるを得ませんでした。

1984年のロサンゼルス五輪から、台湾はこの新しい名称と旗のもとでオリンピックに復帰することになります。

「参加できるだけまし」と割り切れるものでもない、複雑な思いが台湾側にはあったはずです。

意図的に仕込まれた「曖昧さ」の正体

「チャイニーズタイペイ(Chinese Taipei)」という名称が今でも使われ続けている理由のひとつは、この言葉が持つ絶妙な「曖昧さ」にあります。

「Chinese」という言葉は、政治的な「中国(China)」を直接意味するわけではなく、民族的・文化的な意味合いでも使えます。

「Taipei(台北)」は台湾の首都名であり、「台湾」という国家を直接示す言葉ではありません。

この曖昧さは、まさに意図的に作られたものです。

中国(PRC)はこの名称を「中国台北」と中国語訳し、台湾は自国の省のひとつだという解釈を維持できます。

一方、台湾側は「中華台北」と訳し、「中華」を中華民国(ROC)と結びつけることで、完全な屈服ではないという解釈の余地を残しました。

つまり双方が「自分たちの都合のいいように読める」構造になっているわけで、これが国際社会での摩擦を防ぐ一種の緩衝材として機能してきたのです。

ただし、台湾人の視点で見ると、この曖昧さは自分たちのアイデンティティを消す装置でもあります。

「チャイニーズ(Chinese)」という言葉を聞けば、多くの人は「中国の」と受け取ります。

台湾の選手たちが、まるで「中国の台北チーム」のように扱われていると感じる人が出てくるのは、無理もない話でしょう。

名古屋決議から40年以上が経った今も、この枠組みはほぼそのまま残っています。

IOCにとっての中国の存在感が増すばかりの中、この「便利な曖昧さ」を解消する動機は、残念ながら国際側にはほとんど生まれていないのかもしれません。

2026年も続くチャイニーズタイペイ呼称問題の今!

名古屋決議から半世紀近くが経ち、台湾の社会は大きく変わりました。

民主化が進み、台湾人としてのアイデンティティは急速に高まっています。

1991年に「自分は台湾人だ」と答えた人の割合は13.6%でしたが、2016年には80%を超え、2025年の最新調査でも80%以上が台湾人自認という結果が続いています。

それにもかかわらず、「チャイニーズタイペイ」という名称はいまだに変わっていません。

政治の現実と、人々の感情の間には、大きな溝が残ったままです。

「なんでこんなに時間が経っても変わらないんだ」という疑問は、当然だと思います。

変えたくても変えられない、現実の壁

台湾の政府や市民がこの名称を変えようとしなかったわけではありません。

2018年には「2020年東京五輪での名称をTaiwanに変更する」ことを問う国民投票が実施されました。

結果は賛成45%、反対55%で否決されています。

数字だけ見れば「半数近くが変更を望んでいた」のですが、なぜ否決されたのか。

最大の理由は、IOCが「名称変更をすれば台湾はオリンピックから追放する」と事実上の警告を発したからです。

オリンピックに出られなくなるくらいなら、嫌いな名前でも我慢する。

これが、多くの台湾人が苦渋の末に選んだ答えでした。

スポーツを人質に取られた形になっているとも言え、この構造自体を問題視する声が根強くあります。

賴清德総統が2024年に就任して以降も、名称問題の根本的な解決は進んでおらず、2026年現在も中国の軍事圧力(航空機のADIZ侵入は減少傾向にあるものの依然として緊張は続く)が背景にあります。

防衛強化と外交維持、どちらも手放せない綱渡りの中で、名称問題はどうしても後回しになりがちなのでしょう。

そんな閉塞感が続く中、2025年3月には米国議会で「Chinese Taipei」を「Taiwan」に変更する法案が提出され、連邦機関のウェブサイト更新を義務づける動きが出てきました。

台湾では希望の声が上がりましたが、中国の強い反対もあり、現時点では進展待ちの状態が続いています。

それでも、国際社会の中に「変えようとする動き」が出てきたことは、小さくない一歩かもしれません。

また、2025年11月には中国主催のAPECで、米国が台湾の「Chinese Taipei」としての平等参加を主張しましたが、中国が条件を追加し台湾が抗議するという場面もありました。

2026年現在も、外交の綱渡りはまだまだ続いています。

「台湾」と呼んでくれた、その一言の重さ

こうした閉塞感がある中で、海外メディアの対応が台湾の人々にとって大きな意味を持つことがあります。

2024年のパリ五輪の開会式、NHKのアナウンサーが台湾の選手団を「台湾」と紹介した場面が話題になりました。

公式には「チャイニーズタイペイ」であるにもかかわらず、日本の公共放送が「台湾」と呼んだのです。

台湾のSNSにはその映像が拡散され、「日本がちゃんと台湾と呼んでくれた」という感謝の声が相次ぎました。

ただの呼び名の話、と思う人もいるかもしれません。

でも長年「正しい名前で呼んでもらえない」状況に置かれてきた人たちにとって、その一言が持つ重さは想像以上のものがあります。

「チャイニーズタイペイ」という言葉に慣れ切った世界で、「台湾」と呼ぶことはある種の政治的な勇気さえ必要とする行為になってしまっているのです。

Xなどのソーシャルメディアでは、台湾のユーザーが「日本はチャイニーズタイペイと書いて台湾と読む」とユーモア混じりに表現する投稿が見られます。

その文章には、感謝と皮肉とやるせなさが混じり合っていて、問題の複雑さをうまく映し出していると感じます。

公式ルールの外で生きる「台湾隊」という言葉

公式な場での名称はどうにもならなくても、台湾の人たちは自分たちなりの表現を守り続けています。

台湾のメディアは、選手たちを「台湾隊」と呼ぶことが多いです。

政治的立場によって「中華隊(中華民国チームの略)」を使う人もいますが、いずれにしても「チャイニーズタイペイ」という言葉をそのまま使う人は少数派です。

2025年の世論調査では、82%が「国名を使えないことが残念だ」と回答し、80%が「国旗と国歌を使えるようになってほしい」と望んでいます。

若い世代のSNS投稿でも不満は続いており、「Team Taiwan」という言葉がごく自然に広まっています。

そんな中、2025年1月にはプレミアリーグのファンタジーゲームが「Taiwan」を「Chinese Taipei」に変更したことで、台湾で不満が爆発しました。

Xでは「We are not China」という投稿が急増し、スポーツゲームのひとつの変更が、国民の苛立ちを象徴する出来事になったのです。

公式ルールの外のはずの場所でも、名称問題は台湾の人々の日常にしっかり入り込んでいます。

これだけ多くの場面で「名前の問題」に直面し続けるのは、本当に消耗することだと思います。

2026年3月現在、WBCで台湾のバンドが「Team Taiwan」と叫ぶ動画がXで拡散され、大きな反響を呼びました。

中国のADIZ侵入が減少傾向にあり、一時的な緩和ムードが漂うこともありますが、名称問題そのものは未解決のままです。

「チャイニーズタイペイ」という名前が、いつか歴史の教科書の中だけに登場する言葉になる日が来るかもしれません。

あるいは、この奇妙な名称はこれからも長く使われ続けるのかもしれません。

どちらになるにしても、そこには台湾の人々の想いが深く刻まれていることを、少し頭の片隅に置いておいてほしいと思います。

そして、次のオリンピックで「チャイニーズタイペイ」という名前を聞いたとき、その言葉の裏にある長い歴史を、少しだけ思い出してもらえたら嬉しいです。

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