保育士さんたちが、ひとりの学生の卒業研究のために答えたアンケート。

その集計を土台にした教え子の卒論が、本人ではなく、指導する立場の准教授の発表として学会に出ていた疑いが報じられました。

広島県の福山市立大学で起きた話で、学会はすでにその発表を「取り消し」にしています。

ネットでは「学生のお手柄を横取りか」とあきれる声と並んで、「指導教員が発表するのは普通のことでは?」という声も少なくありません。

卒論が学会発表の中身になること自体は、研究の世界ではよくあること。

では今回は、いったい何がまずかったのか。

もし学生の名前を共同発表者として並べていれば、それで済んだ話だったのか。

報道と学会の決まりごとを手がかりに、初めてこのニュースを見た人にも分かるように解説していきたいと思います。

理由が伏せられたままの「発表取り消し」

中国新聞の報道によると、問題になっているのは福山市立大学教育学部の准教授が、日本保育学会の第79回大会でおこなった発表だそうです。

大会は2026年5月にオンラインで開かれ、発表のテーマは保育の現場に情報通信技術(ICT)をどう取り入れるか、といった内容だったとのこと。

ところが10月に入って、学会はこの発表を取り消したことをホームページで公表しました。

理由は明らかにしていないそうです。

中国新聞は、学会が公表している准教授の発表論文と、教育学部の卒業研究論文の要旨集にある学生の要旨を見比べ、内容は酷似していたと書いています。

学生はすでに卒業していて、大学は准教授らに経緯を確かめたうえで、処分も含めて対応を考えるとのこと。

理事長兼学長のコメントは「事実関係を確認し、適切に対応する」。

 

時間をかけて書いた卒論が、知らないうちに先生の発表になっていたのだとしたら、卒業した本人にとってはやりきれない話ですよね。

ただ、日本保育学会の「大会研究発表に関する規程」を読むと、発表が取り消しになるのは規程に反すると確認されたときのほか、筆頭発表者が無断で欠席したときもあります。

学会がどちらの理由で取り消したのかは、いまのところ外からは分かりません。

分かっているのは、取り消しの事実と、新聞社が2つの文章を比べて「酷似」と書いたところまで。

 

ネットには、皮肉まじりに「学生のレベルが高いのか、准教授が低いのか」と書く人もいました。

卒論発表会で学部最優秀賞を取る学生もいるように、指導を受けながらとはいえ、学部の卒業研究は本物の調査や実験の積み重ねです。

学会で発表できる中身になっていても、何もおかしくはありません。

 

「先生が発表するのは普通」という声の言い分

「指導教員が発表するのは当たり前だろう」という声に、うなずいた人も多いのではないでしょうか。

その感覚は半分当たっていて、残りの半分は名前の出し方にかかっています。

学部生がテーマ選びから分析まで一人でこなすことはまずなく、指導教員が方向を示し、手直しをくり返して、ようやく1本の卒論に仕上がるもの。

ネットにも、理系の例として、卒業した学生の代わりに教員が学会で発表するのはめずらしくない、ただし学生の名前を筆頭に置いて、教員は代理で発表する形になる、という説明がありました。

研究の世界では、誰がその研究をしたのかを名前で示す決まりごとは「オーサーシップ」と呼ばれるもの。

盗用かどうかの線は、文部科学省のガイドラインにはっきり書かれています。

そこでは「盗用」を、他の研究者のアイディアやデータ、研究結果、論文などを「当該研究者の了解又は適切な表示なく流用すること」と定義しているんです。

あわせて、論文の著者が正しく示されない「不適切なオーサーシップ」も、研究者の倫理に反する行為として挙げられています。

分かれ目は、本人の了解と、名前がきちんと示されていたかの2つです。

 

「学会発表ってただの報告会だぞ?」という声もありましたが、日本保育学会の規程では、論文集に発表論文が載ってはじめて正式な発表と認められます。

学会での発表は、名前の入った記録として残るということ。

研究不正を追いかけているアカウントも、報道のその日のうちにこの件を取り上げていました。

 

今回の発表に学生の名前が入っていたのかどうかは、報道からは読み取れません。

ただ、中国新聞は准教授が学生の卒業研究論文を「自らの研究として」発表した疑い、と書いています。

ネットにも「共著として名前さえ入れとけば全く問題ないでしょ」という声がありました。

たしかに、学生本人が了解したうえで名前を並べていれば、ここまでの問題は片づきそうに見えます。

ところが、この件には名前の欄に載らない当事者たちもいるんです。

名前を並べても消えないアンケートの約束

報道によると、准教授の発表論文は、学生が卒業研究に使うために保育者の協力を得て集めたアンケートの結果をもとに組み立てられていたとのこと。

そのため、アンケートの目的外使用に当たる可能性もあると中国新聞は伝えています。

ネットでも、「学生の名前入れときゃええやんって思ったけど、アンケートの目的外使用の問題か…」と考え直した人がいました。

卒論のためのアンケートは、たいていこんなふうにお願いされます。

答える人は、「この学生の卒業論文のためなら」と思って時間を割いているんですよね。

 

日本保育学会の倫理綱領には、この約束がそのまま書いてあるんです。

  • 第2条=協力してもらう人に、研究の目的や内容をあらかじめ説明し、同意・了解を得てから進める
  • 第3条=研究で得た情報は「本来の目的以外に使用してはならない」
  • 第4条=成果を公表するときは、あらかじめ研究協力者の同意を得る

学生の名前を共著に入れれば、第4条が求める共同研究者への配慮には応えられます。

けれど、学会での発表について保育者たちの了解があったかは、名前の書き方では変わりません。

先生と学生の手柄の取り合いに見えるこのニュースは、アンケートに答えた保育者たちとの約束の話でもあります。

 

大学と学会がこれから確かめること

では、この先はどう決まっていくのでしょうか。

大学の調べとは別に、学会の倫理綱領にも、綱領に触れる疑いが出たときは理事会が倫理問題調査委員会を設けて対応する、という決まりがあります。

どちらの調べでも、確かめられるのはおそらく次の2点。

  • 卒業した学生本人が発表を了解していたのか。名前はどう示されていたのか
  • アンケートに答えた保育者に、学会での発表まで説明していたのか

1点目が問題なしでも、2点目が抜けていれば話は終わりません。

協力をお願いした段階で、学会での発表まで伝えてあったのかどうか。

そこは、いまの報道からはまだ見えていません。

 

文部科学省のガイドラインは、指導する側の役目についても書いています。

若手研究者を育てる指導者自身が、研究の作法を「若手研究者や学生にきちんと教育していくことが重要」だという一節です。

もし疑いのとおりなら、研究のルールを学生に教える立場の人が、その学生の研究の扱いで問われている形になります。

やりきれない話です。

 

いまもネットには、卒論のためのアンケートのお願いが流れています。

学生のひたむきな呼びかけに応えて、見ず知らずの人が時間を割いてくれる。

その気持ちは、こうした呼びかけにある「卒業に向けて大切な研究」という言葉を信じて差し出されたもの。

今回の件で置き去りになりかけているのは、名前を外されたかもしれない卒業生だけではないと思います。

学生の名前が入っていたかどうかの答え合わせより先に、卒論のためならと答えた保育者たちへ、その答えがどこで使われたのかが届いてほしいですね。