2026年2月、ミラノ・コルティナ五輪のスノーボード女子ビッグエアで金メダルを獲得した村瀬心椛選手。
21歳という若さでの快挙に、日本中が沸きました。
そんな彼女に対して「大学はどこに通っているの?」という検索が急増しているようです。
金メダリストの学歴が気になる気持ちは、よくわかります。
結論から言えば、村瀬心椛選手は大学に進学していません。
高校を卒業した2023年以降、プロのスノーボーダーとして競技に専念する道を選んでいるのです。
なぜ彼女は大学という選択肢を手放したのでしょうか。
その決断の背景には、21歳とは思えない覚悟と、競技者としての明確なビジョンがありました。
ここでは、村瀬心椛選手の学歴を小学校から振り返り、プロ専念の道のりをまとめます。
村瀬心椛の大学進学が気になる?
ミラノ五輪での金メダル獲得以降、村瀬心椛選手に関する検索ワードで「大学」や「学歴」が上位に躍り出ています。
日本人は有名人の学歴に興味を持ちやすいものです。
オリンピック選手も例外ではありません。
金メダルを取った瞬間、その人の出自や経歴を知りたくなるのは、ある種の国民性なのかもしれません。
ただ、村瀬選手の場合、検索しても「〇〇大学在学中」という情報は出てきません。
なぜなら、彼女は大学に進学していないからです。
2023年3月に高校を卒業した後、彼女はプロのスノーボーダーとしてのキャリアを本格的にスタートさせています。
中日新聞の2026年の報道によれば、「迷っていた大学進学はやめ、プロとして競技に専念する」という決断を下したとのこと。
21歳で金メダリストなのに大学に行っていない事実に、意外さを感じる人もいるでしょう。
日本では未だに「大学に行くのが当たり前」という空気が根強く残っています。
特に若いアスリートに対しては「セカンドキャリアのために学歴も必要」という声もよく聞かれます。
村瀬選手は、一般的な価値観を超えた道を選びました。
大学を諦めた理由を理解するには、まず彼女がどのような環境で育ち、どんな学生生活を送ってきたのかを知る必要があるでしょう。
岐阜県という土地で、4歳からスノーボードを始めた少女がいかにして世界の頂点に立つまでになったのか。
学歴という切り口から、その軌跡を追ってみることにしましょう。
出身高校と中学はどこ?
村瀬心椛選手の学歴を語る上で、まず押さえておきたいのは、彼女が岐阜県岐阜市という内陸の土地で生まれ育ったということでしょう。
スノーボードは雪国のイメージが強いですが、岐阜は雪の本場とは言えません。
それでも世界の頂点に立てたのは、幼少期からの環境と本人の努力、そして周囲のサポートがあったからこそ。
小学校から高校まで、岐阜の地で過ごした学生時代を順に見ていきましょう。
①出身小学校:岐阜市立合渡小学校
村瀬心椛選手が通っていた小学校は、岐阜市立合渡小学校。
読み方は「ごうどしょうがっこう」で、岐阜市内にある公立の小学校です。
ごく普通の地元の学校に通いながら、彼女はスノーボードの世界にのめり込んでいきました。
スノーボードを始めたのは4歳の頃。
きっかけは父親の影響だったといいます。
父親がスノーボードをやっていたため、自然と自分もボードに乗るようになった、というパターンはウィンタースポーツ選手にはよくある話でしょう。
ただ、村瀬選手の場合、単に「父親の趣味に付き合った」というレベルを早々に超えていったようです。
小学生時代から彼女が足繁く通っていたのが、「スノーヴァ羽島」という室内スノーボード施設。
岐阜県羽島市にある通年営業の室内ゲレンデです。
人工雪を使った施設で、夏場でも練習ができる環境が整っています。
雪国ではない岐阜でスノーボーダーが育つというのは、こうした施設の存在があってこそだったのでしょう。
小学校時代の彼女がどのような学校生活を送っていたのか、詳細な情報は公開されていません。
後の活躍から、学校後すぐに練習に励む日々だったと想像できます。
小学生時代から、スノーボードが生活の中心でした。
②出身中学校:岐阜市立岐阜西中学校
中学校は岐阜市立岐阜西中学校に進学しています。
こちらも地元の公立中学校で、特にスポーツの強豪校というわけではない普通の学校です。
しかし、この中学時代に村瀬選手は国際的な舞台で頭角を現し始めることになります。
なんといっても衝撃的だったのは、2018年のX Games(エックスゲームズ)での優勝でしょう。
X Gamesとは、アメリカで開催されるエクストリームスポーツの祭典で、スケートボードやBMX、そしてスノーボードなどの種目で世界最高峰の大会として知られています。
そのスロープスタイル種目で、当時13歳だった村瀬選手が優勝したのです。
13歳での優勝は史上最年少記録。
中学生が世界一になったわけで、これはちょっとした事件でした。
ただ、中学時代は順風満帆というわけでもなかったようです。
中学2年生の時に右膝の大怪我を負い、一時は競技を続けられるかどうかも危ぶまれた時期がありました。
怪我の詳細は明らかにされていないものの、成長期の膝の怪我というのはアスリートにとって致命的になりかねません。
それを乗り越えて復帰し、さらに成長を続けたというのだから、彼女の精神力の強さが窺えます。
ちなみに、岐阜市立岐阜西中学校の卒業生には俳優の伊藤英明がいるそうです。
「海猿」や「悪の教典」で知られるあの俳優です。
村瀬選手は伊藤英明の後輩ということになります。
異なる分野で頂点を極めた先輩後輩の縁が、地元の誇りです。
中学時代は遠征が増え、学業と競技の両立が難しくなっていきました。
授業を休んで海外に行くことも珍しくなかったはずで、普通の中学生活とは程遠い日々を送っていたことは容易に想像できます。
③出身高校:岐阜第一高等学校
高校は岐阜第一高等学校に進学。
こちらは私立高校で、岐阜県本巣市にあります。
村瀬選手が入学したのは2020年4月、卒業は2023年3月のことでした。
岐阜第一高校を選んだ理由として考えられるのは、同校にスポーツコースが設置されていることでしょう。
アスリートとして活動しながら学業を続けるには、学校側の理解とサポートが不可欠です。
その点、スポーツコースのある私立高校であれば、遠征による欠席なども柔軟に対応してもらえる環境が整っています。
公立の進学校に進んで勉強一筋というルートもあったかもしれませんが、彼女は競技を続けることを優先した選択をしたのです。
高校時代のハイライトといえば、なんといっても2022年の北京オリンピックでしょう。
高校2年生、17歳で出場した北京五輪のスノーボード女子ビッグエアで、村瀬選手は銅メダルを獲得。
高校生でオリンピックのメダリストになったわけで、これは相当なインパクトがありました。
岐阜第一高校の公式サイトでも、当時の村瀬選手の活躍は大きく取り上げられていました。
学校を挙げて応援していた様子が窺えますし、北京五輪の結果が出た際には速報として掲載されていたそうです。
母校の熱心な応援は、心強かったはずです。
同校にはスキー部があり、村瀬選手もスキー部に所属していたとのこと。
スキー部といってもスノーボードの選手を受け入れる体制があったのでしょう。
学校に籍を置きながら、個人で競技を続けていた形です。
また、村瀬選手には妹の村瀬由徠(むらせ ゆら)選手がいて、彼女も同じく岐阜第一高校に進学しています。
由徠選手もスノーボーダーとして活動しており、姉妹で同じ高校に通うというのは、両親としても安心だったことでしょう。
2026年現在、由徠選手は同校に在学中とのことで、姉に続いて活躍が期待される存在です。
高校3年間を通じて、村瀬選手は学業と競技を両立させながら、着実にトップアスリートへの階段を上っていきました。
北京五輪の銅メダルという実績は、彼女の才能と努力の結晶であると同時に、次のステージへ進むための大きな足がかりとなったはずです。
そして卒業後の進路として、彼女は「大学進学」ではなく「プロ専念」という道を選ぶことになります。
大学進学せずプロ専念の理由
高校卒業時は、多くの人が進路に悩みます。
大学に行くか、専門学校に行くか、就職するか。
村瀬心椛選手もまた、その岐路に立っていたのです。
中日新聞の報道によれば、彼女は「迷っていた」といいます。
大学進学という選択肢も真剣に検討していたことが窺えます。
大学進学を迷うのは当然のことです。
日本の社会では依然として学歴が重視される傾向にありますし、アスリートとしてのキャリアがいつまで続くかは誰にも分かりません。
怪我一つで競技人生が終わる可能性だってあります。
そう考えれば、大学で学びながら競技を続けるという選択肢は、リスクヘッジとして合理的に見えるでしょう。
実際、大学の運動部に所属しながらオリンピックを目指すアスリートは少なくありません。
大学側も有望な選手を受け入れることで知名度が上がりますし、選手側も学費のサポートを受けられるなど、双方にメリットがある関係が成り立っています。
村瀬選手ほどの実績があれば、引く手あまただったでしょう。
しかし、彼女は最終的に大学進学を「やめる」という決断を下しました。
その理由は、競技に全てを懸けるためだったのです。
スノーボードのトップレベルで戦い続けるためには、圧倒的な練習量が必要となります。
それも、単に時間をかければいいというものではなく、質の高い練習を積み重ねなければなりません。
雪上での練習はもちろん、エアマット施設でのジャンプ練習、ウェイトトレーニングなど、やるべきことは山のようにあります。
さらに、国際大会への出場となれば海外遠征も頻繁に行わなければなりません。
大学に通いながらこれらをこなすのは、物理的に可能かもしれませんが、最適な状態とは言い難いでしょう。
授業に出席する義務、レポートや試験、ゼミナールへの参加。
大学生としての責任を果たしながら、世界のトップと渡り合える練習を続けるのは、現実的には困難だったはずです。
村瀬選手は、その困難さを理解した上で、競技に専念する道を選んだのでしょう。
興味深いのは、高校卒業後に彼女が運転免許を取得したというエピソードです。
免許を取った理由は、自分で車を運転して練習施設を巡るため。
富山や京都など、各地にあるスノーボードの練習施設に自らハンドルを握って向かう生活を送っているといいます。
誰かに連れて行ってもらうのではなく、自分の意志で、自分の足で練習場所に向かう。
この自立心が、プロとしての覚悟を表しています。
プロ転向後、彼女はムラサキスポーツの所属選手となっています。
ムラサキスポーツといえば、スケートボードやスノーボードなどのアクションスポーツ用品を扱う大手専門店で、多くのプロ選手をサポートしている企業。
2026年のTEAM RIDERSとして村瀬選手の名前が公式サイトに掲載されており、企業からのバックアップを受けながら競技を続けていることが分かります。
また、TOKIOインカラミというヘアケアブランドのスポンサーも受けています。
複数の企業がスポンサーについているということは、それだけ彼女の価値が認められているということでしょう。
実力と実績があれば道は開けます。
村瀬選手の現状が、それを体現しています。
プロ専念という選択が正しかったかどうかは、結果が証明しているといえるでしょう。
高校卒業から約3年、2026年2月のミラノ・コルティナ五輪で彼女は金メダルを獲得しました。
北京五輪の銅メダルから、さらにステップアップしての金メダル。
21歳での快挙は、彼女が競技に全てを懸けてきた日々の集大成といえます。
大学に行っていても金メダルを取れたかもしれませんが、それはわかりません。
ただ、彼女自身が「これがベストだ」と判断した道を歩み、その先で最高の結果を手にしたという事実は動きません。
大学進学を諦めたのではなく、より大きな目標のために選択したのだと、今となっては言えるでしょう。
スノーボードという競技の特性を考えると、選手としてのピークは比較的若い年齢に訪れることが多いものです。
身体能力が求められるエクストリームスポーツでは、20代前半から中盤にかけてが最も脂が乗る時期とされています。
だとすれば、その貴重な時間を大学の講義室で過ごすよりも、雪山やエアマット施設で過ごすことを選んだ彼女の判断は、競技者として極めて合理的だったのかもしれません。
今後、どんなキャリアを歩むかはわかりませんが、いつかは現役を引退する日が来るでしょう。
その時に大学に行きたいと思うかもしれませんし、社会人入学という選択肢もあります。
学びたいと思った時に学べばいいという考え方もあるでしょう。
重要なのは、21歳の今、自分の意志で道を選んでいることです。
村瀬心椛選手の学歴をまとめると、岐阜市立合渡小学校、岐阜市立岐阜西中学校、岐阜第一高等学校という経歴になります。
そして大学には進学せず、プロのスノーボーダーとして活動中。
X Games最年少優勝など輝かしい実績を持つ彼女の今後が、楽しみです。
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