オリックス野上士耀さんの訃報|死因が明かされない本当の理由

プロ1年目、19歳の捕手。
2026年9月30日、オリックス・バファローズは、ルーキーの野上士耀(のがみ・しきら)さんが亡くなったと発表しました。
3日前の9月27日には、若手が経験を積む2軍の試合に、「9番・指名打者」で出ていたそうです。
その試合が、2軍の今季最後の試合でした。
ネットには「どうして」「何があったの」という声が、いまも相次いでいます。
ただ、発表に書かれていないことがひとつ。
亡くなった理由、つまり死因です。
書かれていないと、何か訳があるのではと気になってしまうもの。
ただ、先にお伝えしておくと、この記事は死因を探ったり推し量ったりするものではありません。
今回は、野上さんがどんな選手だったのかに触れながら、訃報で死因が公表されないのはどういうことなのか、「事件性はない」という言葉は何を伝えているのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。
前の日も居残りでバットを振っていた
9月30日の朝、大阪市内の選手寮で、午前7時45分ごろの点呼に野上さんの応答がなかったそうです。
部屋で倒れているところを見つけられ、午前8時に駆けつけた消防隊員によって死亡が確認されたとのこと。
その日に予定されていた2軍の阪神との練習試合は、急きょ取りやめになりました。
2軍の選手たちは、翌日から3日間を自主練習にあてることになったそうです。
同じ寮で暮らしてきた仲間を急に失った若い選手たちのことを思うと、言葉が見つかりません。
夜7時半からは、小浜裕一球団本部長が取材に応じています。
本部長は「未だに事実を受け入れられない」「本当に残念で仕方ない」と、涙を見せながら話したと伝えられました。
そして、前の日の様子についてはこう明かしています。
前日の29日は全体練習に参加し、そのあとも自分からバッティング練習を続けていたそうです。
本部長は「元気な姿でやっていた」という報告を受けていたといいます。
前の日まで、プロの世界で上を目指して、いつもと変わらない一日を過ごしていたんですね。
野上さんは愛知県の出身で、茨城の明秀学園日立高校から2025年のドラフト7位でオリックスに入った捕手です。
高校では通算15本のホームランを打ち、キャッチャーから二塁へ投げる肩の強さも評価されていました。
高校3年だった2025年の夏は、延長10回までもつれた茨城大会の決勝を勝ち抜いて、甲子園の土を踏んでいます。
プロ1年目の今季は2軍で32試合に出場し、打率は1割8分7厘、打点は4。
数字だけを見ればまだこれからの選手で、2軍で経験を積んでいる最中だったんです。
今年の5月には、球団の公式アカウントが19歳の誕生日を祝っていました。
☆HAPPY BIRTHDAY☆
本日は野上 士耀選手の誕生日です!
★選手名鑑はこちらhttps://t.co/uITkMo7aa0#Bs2026 pic.twitter.com/DvDCd0uGEB— オリックス・バファローズ (@Orix_Buffaloes) 2026年5月23日
19歳という年齢が、どうしても受け止めきれません。
分かっているのは事件性がないことだけ
「何があったのか知りたい」と思うのは、ごく自然なことだと思います。
元気に練習していた19歳が、次の朝にはもういない。
理由が見えないままでは、気持ちの置き場所が見つからないですよね。
ただ、死因について報じられているのは、次の2つだけです。
- 本部長は「事件性はないと伺っている」と説明した
- 死因は、遺族の意向で公表されていない
このうち「事件性はない」という言葉は、少し誤解されやすいところがあります。
一般に「事件性」というのは、その死に犯罪が関わっているかどうかを指す言葉です。
病院の外で人が亡くなったときには、一般に、犯罪が関わっていないかを確かめる手続きがとられます。
たとえば医師法の第21条は、医師が遺体を見て「異状がある」と認めたときには、24時間以内に警察署へ届け出るよう定めているんです。
そこで犯罪の疑いがないと判断されたときに使われるのが、「事件性はない」という言い方なんですよね。
今回の件で誰がどう判断したのかまでは、本部長も話していません。
それでも、誰かの手による死ではないということだけは、球団が会見で伝えています。
ただ、何が起きたのかについては、「事件性はない」という言葉は何も語っていないんです。
そこから先は、公表されていない部分になります。
分かっていることが少ないぶん、手がかりとして残っているのは、本人がどう過ごしてきたかの記録。
高校の卒業式のころ、野上さんはプロの練習に参加した経験を後輩たちに語っていたといいます。
母校の公式アカウントが、そのときの様子を残していました。
【卒業式2026】野球部ラストミーティングでの1シーン⚾️
プロ野球の練習に参加した能戸輝夢選手と野上士耀選手が、その貴重な体験と、肌で感じた「プロの凄み」をチームメイトに語りました。
二人の口から語られる言葉は、どれも生々しく、実感がこもったものばかり。… pic.twitter.com/1DludfxZ4p
— 明秀学園日立高等学校 (@meishuhitachi) 2026年4月1日
プロの凄みを肌で感じて、それを後輩に伝えていた18歳の春は、ついこのあいだのことです。
死因を伏せるかを決めるのは家族
では、なぜ死因は公表されないのでしょうか。
ネットには「死因を書かないと、かえって憶測を呼ぶのでは」という声も出ていました。
その気持ちもよく分かります。
伏せられていると、何か訳ありなのではと感じてしまうのも無理はありません。
ただ、今回、公表しないと決めたのは遺族です。
球団が選手の死因を発表しなければならない、という決まりも見当たりません。
発表するかどうか、どこまで話すかは、いちばん近くにいた人たちの気持ちに委ねられています。
「個人情報だから法律で伏せている」と思った人もいるかもしれません。
ところが、個人情報保護法は第2条で、守る対象を「生存する個人に関する情報」と定めています。
亡くなった人の死因は、この法律の守りの外。
だから、公表するかどうかは、家族が決めるしかありません。
報道各社も、その意向に沿って、死因に触れないまま訃報を伝えています。
もし死因が公表されていたら、今度はその言葉だけが切り取られて、見出しや書き込みの中でひとり歩きしていたかもしれません。
憶測を止めるために話すか、これ以上ひとり歩きさせないために黙るか。
どちらを選んでも、つらい思いをするのは家族です。
著名な人の訃報でも、「死因は非公表」という一行はときどき目にします。
あの一行は、何かを隠すための言葉ではなく、家族がここまでは話さないと決めた、という知らせ。
死因が明かされないのは、球団が伏せているからではありません。
法律の守りが届かない場所で、家族が自分たちで引いた線なんです。
野上さんがプロへの切符をつかんだ日、母校は指名直後の本人に気持ちを聞いていました。
【ドラフト会議2025】オリックスバッファローズ7位指名、野上士耀君インタビュー
10/23に行われたプロ野球ドラフト会議2025で、明秀日立野球部から現役2名、卒業生2名、合計4名の選手が指名されました⚾️
指名を受けた直後の野上士耀君に今の気持ちを聞いてみました!
野上君、おめでとう👏… pic.twitter.com/UW1fbeKLgw
— 明秀学園日立高等学校 (@meishuhitachi) 2025年10月24日
この日を一緒に喜んだ家族が、いま選んでいるのが、「死因は公表しない」という答えです。
空白を埋めずに覚えておく方法
理由が分からないままだと、人はつい空白を何かで埋めたくなるもの。
実際にネットでは、根拠のない原因を書き込む人も出てきていました。
けれど、その空白は、家族が選んでそこに置いたものです。
そして一度広まった推測は、あとで間違っていたと分かっても、ネットの上から消えずに残ります。
名前で検索すれば、死因について書いたページにも行き当たるでしょう。
ただ、公表されていない以上、そこに書かれている答えは、誰かの推測でしかありません。
開く前に、その答えが球団の発表や報道のどこから来ているのか、書かれているかを見るだけでも振り回されずに済みます。
出どころが書かれていない断定は、どれだけ詳しそうに見えても、家族が話していないことを誰かが想像で埋めたものです。
ネットには「最近、若い人が亡くなるニュースが多くて辛い」という声もありました。
読んでいて気持ちが沈んだら、しばらくニュースから離れるのも、ひとつの向き合い方だと思います。
訃報に死因が書かれていないとき、私たちにできることは、実はそれほど多くありません。
- 分かっている事実と、分かっていないことを分けて読む
- 根拠のない推測を、書き込まない・広めない
- 理由ではなく、その人が残したものを覚えておく
最後の「残したものを覚えておく」なら、野上さんには残したものがちゃんとあります。
延長までもつれた決勝で甲子園をつかんだ夏。
ドラフト会議で名前を呼ばれた秋。
そして1年目の今季、2軍で積み重ねた32試合。
ドラフト会議の日に球団が出した発表も、公式アカウントに残っています。
10月23日(木)、東京都内で2025年度プロ野球ドラフト会議が行われ、オリックス・バファローズは以下選手の契約交渉権を獲得いたしました。
・7巡目 野上 士耀 選手(捕手/明秀学園日立高)#プロ野球ドラフト会議2025#Bs2025 pic.twitter.com/7AarlJc3nQ
— オリックス・バファローズ (@Orix_Buffaloes) 2025年10月23日
本部長は「一番下でどんどん力を付けてほしいと期待していた」とも語っていました。
その期待を背負って、前の日もグラウンドでバットを振っていた姿こそ、覚えておきたい野上さんの最後の一日です。
何があったのかは、この先も分からないままかもしれません。
それでも、19歳でプロのユニフォームを着て過ごした日々は、誰にも消せない事実として残っています。
もう一度、ユニフォーム姿でグラウンドに立つところを見たかったと思うと、胸が痛みます…。
野上士耀さんのご冥福をお祈りいたします。
