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小栗旬が要潤に“謝罪”した理由は?「叩いたり蹴ったり」撮影の裏にあった信頼

「謝罪」って言うから何かしでかしたのかと思ったら、ドラマの演技のことだったのか!

小栗旬が、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で共演した要潤に「叩いたり、蹴ったりして申し訳なかったです」と謝罪しました。

もちろん、二人の間に本当のトラブルがあったわけではありません。

“謝罪”の理由は、織田信長役の小栗旬が、明智光秀役の要潤に対して激しく当たる場面を撮影していたためです。

ただ、この言葉が印象に残ったのは、単に撮影が激しかったからではないでしょう。

要潤が役を崩さず受け止め、小栗旬もその姿勢を信頼して演じ切った。

「叩いたり蹴ったり」という強い芝居の裏にあったのは、役者同士だからこそ成立した静かな信頼関係なんです。

 

小栗旬が要潤に“謝罪”したのはなぜ?

小栗旬が要潤に“謝罪”した理由は、『豊臣兄弟!』の撮影で、信長が光秀へ暴力的に接する場面が何度もあったからです。

小栗旬は、劇中で最も激しく攻撃した相手が光秀だったと振り返っています。

特に印象に残っていたのが、光秀が饗応役を務めた宴の場面。

信長が光秀に強く当たる緊張感の高いシーンで、小栗旬は要潤を叩いたり、蹴ったりする演技をしたといいます。

そこで出たのが、この言葉です。

「その節は、叩いたり、蹴ったりして申し訳なかったです」

文字だけを見ると、かなり物騒ですよね。

しかし、実際のメッセージには深刻な空気だけでなく、小栗旬らしいユーモアもありました。

要潤がどれだけ激しい芝居を受けても顔色を変えなかったことを思い出し、「もっとやっておけば良かったという気持ちが今になって湧いてきました」と笑いを交えて語っています。

本気のトラブルに対する謝罪というより、激しい演技に最後まで付き合ってくれた要潤への感謝に近いのでしょう。

遠慮なく芝居をぶつけられた。

その事実こそ、小栗旬が要潤を信頼していた証拠でもあるわけですね。

 

「いくらでもやってください」と受け止めた要潤

小栗旬が特に感謝していたのは、要潤が激しい演技を一切ためらわず受け止めてくれたことでした。

撮影中、要潤は「いくらでもやってください」と応じ、顔色を変えることもなかったといいます。

なかなか言える言葉ではありません。

相手の演技が強くなるほど、自分の体にも負担がかかります。

痛みや恐怖があれば、無意識に身を引いてしまうこともあるでしょう。

それでも要潤は、明智光秀としてその場に立ち続けました。

小栗旬が「明智光秀役が要さんで良かったなと心から思った」と語ったのも納得です。

 

 
 
 
 
 
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ここで大切なのは、要潤がただ我慢していたわけではないということ。

信長から受ける屈辱や圧力を、光秀の内側へため込むように演じていたのでしょう。

表情を崩さず、感情を簡単には外へ出さない。

その積み重ねが、本能寺の変へ向かう光秀の不気味な静けさにつながっていきます。

派手に怒鳴ったり、分かりやすく恨んだりするほうが、演じる側も見る側も理解しやすいものです。

けれど、要潤の光秀は簡単に答えを見せなかった。

何を考えているのか分からないまま耐え続ける姿が、信長と光秀の間にある緊張を濃くしたのだと思います。

 

あえて距離を置いた信長と光秀の役作り

小栗旬と要潤は、撮影現場で積極的に距離を縮めていたわけではありません。

むしろ要潤は、役作りに集中するため、撮影中は小栗旬へなるべく近づかず、仲良くなりすぎないよう気を配っていたそうです。

小栗旬もその意図を理解し、光秀が何を考えているのか分からない状態のまま過ごしていました。

普通なら、共演者同士が仲良くなれば現場の空気も良くなりそうです。

しかし、今回演じるのは織田信長と明智光秀。

最終的には、本能寺の変で敵対する二人です。

撮影の合間に打ち解けすぎれば、相手を警戒する感覚や、腹の底が読めない緊張感が薄れてしまう可能性もあります。

だからこそ、あえて近づかない。

仲が悪いのではなく、作品のために距離を保つ。

一見すると冷たく見える関係ですが、実際には相手の役作りを尊重しているからこそ成立する距離感なんです。

 

小栗旬は、現場での要潤を「淡々と職人のようにたたずんでいる方」と表現しました。

必要以上に自分を見せず、役の感情を内側へため込んでいく。

そんな要潤の姿を見ながら、小栗旬もまた信長として光秀を見つめ続けていたのでしょう。

会話を重ねて信頼を作る人もいます。

一方で、あえて踏み込まないことで相手を尊重する関係もある。

二人の距離は、まさに後者でした。

 

本能寺の変で見えた二人の信頼関係

『豊臣兄弟!』第27話「本能寺の変」は、ドラマ前半の大きな見せ場です。

信長と光秀の関係も、ここで決定的な局面を迎えます。

ただ、本能寺の変だけを突然描いても、視聴者の心には深く残りません。

なぜ光秀が信長へ刃を向けるのか。

二人の間にどのような時間が積み重なってきたのか。

そこまでの場面があってこそ、歴史上の有名な出来事が、一人の人間の決断として迫ってくるんです。

 

小栗旬が激しく当たり、要潤が感情を表に出さず受け止める。

その繰り返しは、信長の圧力と光秀の蓄積を映し出す芝居でもありました。

演じる側に信頼がなければ、ここまで踏み込んだ場面は作りにくかったはずです。

強く叩く芝居をする側は、相手がどう受け止めるかを信じなければ動けません。

受ける側も、相手が作品のために演じていると理解していなければ、身体を預けられないでしょう。

二人の信頼は、仲の良さを見せるものではなく、相手に遠慮せず役をぶつけられる強さとして表れていました。

だから小栗旬の“謝罪”も、重苦しい告白には聞こえません。

激しい撮影を一緒に乗り越えた相手へ、「本当にありがとうございました」と伝えるための、少し照れくさい言い方だったのではないでしょうか。

 

要潤もメッセージを受け、小栗旬に自分のことを見透かされていたようだと感慨深く語っています。

光秀の考えを読もうとしていた信長。

役作りに集中する要潤を見ていた小栗旬。

ドラマと現実の関係が、少しだけ重なって見えるやり取りです。

 

400年の節目と再共演に感じた不思議な縁

ここで重なってくるのが、本能寺の変との不思議な縁。

本能寺の変が起きたのは1582年。

そして小栗旬が生まれたのは、その400年後にあたる1982年です。

400年前に亡くなった人物を、400年後に生まれた自分が演じる。

小栗旬がそこに運命を感じたのも、無理はありません。

 

さらに印象的なのが、要潤と再会した日です。

二人は、本能寺の変が起きた6月2日に、映画『キングダム 魂の決戦』のワールドプレミアで顔を合わせました。

この作品では、小栗旬が李牧、要潤が騰を演じ、再び敵対する立場となっています。

信長と光秀を演じた二人が、本能寺の変の日に、別の作品の敵役として再会する。

偶然といえば偶然です。

ただ、ここまで重なると、何か意味を感じたくなるのも分かりますよね。

 

小栗旬は要潤へのメッセージを、「次も敵対する役でお会いしましょう」と締めくくりました。

その一方で、いつか信長と光秀という大役を下ろし、酒を酌み交わしながらゆっくり語り合いたいとも伝えています。

撮影中は、役のために距離を置いた二人。

撮影が終わったからこそ、今度は役を離れて向き合えるのでしょう。

小栗旬の“謝罪”で伝わってきたのは、激しい撮影への申し訳なさだけではありません。

相手が要潤だったから、信長として遠慮なく踏み込めたという敬意なんです。

叩き、蹴り、距離を置き、最後まで相手の内側を読み切らない。

仲良しエピソードとは少し違います。

それでも確かに、二人の間には強い信頼がありました。

むしろ簡単に近づかなかったからこそ、信長と光秀の間にある、最後まで埋まらない距離を演じられたのかもしれません。

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