2026年2月14日、ミラノ・コルティナ五輪スノーボード男子ハーフパイプで、戸塚優斗選手が金メダルを獲得しました。
95点を超える圧巻の演技に、日本中が沸きました。
平昌では負傷による11位、北京では転倒で10位と、彼の五輪の歴史は決して順風満帆ではありませんでした。
だからこそ、三度目の正直で掴んだ金メダルには、言葉にならない重みがあるのではないでしょうか。
さて、こうした大舞台で結果を出す選手を見ると、どうしても気になることがあります。
多くの人が気になるのが、彼の出身校です。
スノーボードといえば、雪国育ちの選手が圧倒的に有利なイメージがありますが、戸塚選手の出身地は神奈川県横浜市。
雪なんてほとんど降らない、どこにでもある都市部の街なのです。
雪のない横浜から、どう世界の頂点に辿り着いたのか。
彼の学歴を辿ると、その努力の軌跡が静かに浮かび上がります。
戸塚優斗の中学はどこ?
結論から言ってしまうと、戸塚優斗選手の出身中学校は横浜市立西谷中学校です。
横浜市保土ケ谷区にある、ごく普通の公立中学校になります。
スノーボードの金メダリストと聞けば、当然のように長野とか新潟とか、冬になれば雪に埋もれるような土地で育った人間を想像してしまいます。
ところが戸塚選手の場合、中学時代を過ごしたのは横浜の住宅街。
西谷エリアといえば、相鉄線の西谷駅周辺に広がる、どこにでもありそうな郊外の風景が広がっている場所です。
雪がほとんど積もらない場所なのです。
では、彼はどうやって練習していたのでしょうか。
これがなかなか大変な話で、週末は母親の送迎で長野や新潟の雪山へ遠征していました。
平日は普通に学校へ通い、授業を受け、放課後は自宅でトレーニング。
そして週末になると片道数時間かけて雪山へ向かい、滑り込む日々。
この生活を幼い頃から続け、本人と家族の努力がどれほどだったか、想像に難くありません。
しかも戸塚選手、中学3年生の時点ですでにとんでもない結果を出しています。
2017年の全日本スノーボード選手権ハーフパイプで優勝したのです。
当時15歳。
出場していたのは大人のプロ選手たちで、その中には平岡卓選手のようなベテランも含まれていました。
15歳の中学生が大人たちを押しのけ優勝したのですから、業界に衝撃が走ったはずです。
雪国に生まれなかったハンデを、週末遠征と地道な努力で埋めていく。
言葉にすると簡単ですが、実際にやり続けるのは途方もなく難しいことでしょう。
横浜の公立中出身という意外性が、彼の努力の深さを静かに教えてくれます。
出身高校や大学の学歴
戸塚優斗選手の学歴を時系列で追っていくと、横浜の公立小中学校から始まり、神奈川県内の私立高校を経て、現在は日本体育大学に在学中という流れになります。
競技優先しつつ学業も大切にした、文武両道の姿勢が印象的です。
①出身中学校:横浜市立西谷中学校
横浜市保土ケ谷区の公立校、西谷中学校です。
在籍期間は2014年から2017年までの3年間でした。
保土ケ谷区の住宅街にある、特別なスポーツ強化校でも何でもない普通の公立中学校です。
ここで注目すべきなのは、彼が雪国の学校へ転校しなかったという点ではないでしょうか。
本気でスノーボードをやるなら、練習環境の整った土地へ移るという選択肢もあったはずです。
実際、冬季スポーツの選手の中には、中学や高校の段階で雪国の学校へ転校するケースも珍しくありません。
しかし戸塚選手は、地元に留まり、週末遠征を選んだ選択が、彼の強さを育てました。
この選択が正解だったかどうかは、本人にしか分かりません。
ただ、結果として彼は横浜で普通の中学校生活を送りながら、全日本選手権で優勝するという離れ業をやってのけました。
雪国育ちの選手たちが日常的に雪山で練習できる環境にいる一方で、週末しか雪に触れられない横浜の中学生が、全国の頂点に立ったのです。
漫画のような話ですが、現実の努力の結晶です。
②出身高校:光明学園相模原高等学校
中学卒業後、戸塚選手が進学したのは光明学園相模原高等学校でした。
神奈川県相模原市南区にある私立の普通科高校です。
2017年に入学し、2020年に卒業しています。
スノーボード部はありませんが、競技への理解がある環境だったようで、戸塚選手は高校在学中も精力的に大会出場を続けています。
そして高校2年生の時、彼は平昌五輪の舞台に立ちました。
2018年2月のことです。
当時16歳。
高校生でオリンピックに出場するだけでも十分すごいことですが、彼の平昌五輪は波乱の展開となりました。
予選で転倒して負傷してしまったのです。
それでも決勝には出場し、11位という結果を残しています。
怪我を押して滑り切った姿は見事でしたが、本人には悔しさの残る五輪だったでしょう。
光明学園相模原高等学校は、戸塚選手以外にも冬季スポーツの選手を輩出しています。
同じくスノーボード選手の大塚健選手もこの学校の卒業生です。
冬季スポーツの強豪校として名が通っているわけではないものの、競技と学業を両立したいアスリートにとっては、理解のある環境だったのかもしれません。
金メダル直後、学校公式サイトに速報が掲載され、母校の誇りが伝わってきました。
③出身大学:日本体育大学(在学中)
高校卒業後、戸塚選手は日本体育大学の体育学部体育学科へ進学しました。
2021年入学で、2026年現在も在学中です。
通常なら4年で卒業するところですが、競技との両立もあって長期在学になっているようです。
日体大といえば、体育系の大学としては国内トップクラスの名門。
スキー部に所属しながら、専門的なトレーニングを積んできたのでしょう。
在学中に北京五輪(2022年)とミラノ五輪(2026年)に出場しているのですから、学業との両立はかなり大変だったはずです。
大学の授業に出ながらワールドカップを転戦し、オリンピックにも出場する生活は、並大抵のことではありません。
戸塚選手は少年時代からヨネックスと契約しており、高校時代には本格的なプロ活動を開始しています。
つまり、大学生でありながらプロのスノーボーダーでもあるという、学生アスリートの典型的なスタイルなのです。
日体大での学びが競技にどう活かされているのか、詳細は分かりませんが、体育学を専門的に学ぶことで、トレーニング理論やコンディショニングの知識を深めているのかもしれません。
三度の五輪を学生時代に経験したのは、珍しい軌跡です。
学生時代のエピソード
ここまで学歴を追ってきましたが、彼の学生時代には数字だけでは伝わらないエピソードがいくつもあります。
天才と呼ばれますが、裏には泥臭い努力と挫折の積み重ねがありました。
小学校時代から大学まで、それぞれの時期を少し掘り下げてみたいと思います。
まず小学校時代について。
戸塚選手が通っていたのは横浜市立市沢小学校です。
保土ケ谷区にある公立小学校で、西谷中学校と同じエリアにあります。
スノーボードを始めたのは2、3歳の頃で、母親の影響だったそうです。
まだ歩き始めたばかりの年齢です。
その頃からスノーボードに乗せられていたというのですから、もはや英才教育というか、運命的な出会いというべきでしょうか。
面白いのは、彼がスノーボード一筋ではなかったという点です。
小学校時代にはアイスホッケーやサーフィン、トランポリンなど、さまざまなスポーツを経験しています。
こうした多様な運動経験が、ハーフパイプで求められるバランス感覚や空中姿勢の感覚を養うのに役立ったのかもしれません。
中学時代は、先述の通り西谷中学校で過ごしました。
週末は雪山遠征、平日は学校生活という二重生活を送りながら、競技力を磨いていった時期です。
中学2年頃にはプロ資格を取得しており、当時14歳という異例の早さでした。
彼の競技スタイルの特徴として、よく「転倒を恐れない」という点が挙げられます。
高難度の技に挑戦するため、練習中の転倒は日常茶飯事だったようです。
転んでも「またトライ」と立ち上がる姿が、周囲に深く残りました。
中学3年での全日本優勝は、こうした執念の積み重ねの結果だったのでしょう。
高校時代には平昌五輪での負傷という試練がありました。
16歳で初めて立った五輪の舞台で、予選中に転倒して怪我を負う展開。
それでも決勝に出場し、11位でフィニッシュしています。
金メダルには程遠い結果だったかもしれませんが、怪我を押して最後まで滑り切った経験は、彼の中に何かを残したはずです。
大学時代になると、彼の名前は世界ツアーでも常連になっていました。
ワールドカップで表彰台に上がることも珍しくなくなり、「次の五輪では金メダル候補」と言われるようになります。
しかし北京五輪(2022年)では、またしても転倒。
10位に終わり、悔しさを噛み締めることになりました。
平昌で11位、北京で10位。
着実に順位は上がっていましたが、目標とする金メダルには届きません。
北京では平野歩夢選手が金を取った喜びの一方、自分は10位。
複雑な思いだったでしょう。
この悔しさが、ミラノ五輪での金メダルに繋がったのだとすれば、遠回りにも意味があったということになります。
そして2026年2月14日、ミラノ・コルティナ五輪。
三度目の挑戦で、ついに金メダルを手にしました。
95点を超える高得点は、ハーフパイプという競技において圧倒的な評価です。
表彰台で涙を流す彼の姿を見て、これまでの道のりを思い浮かべた人も多かったのではないでしょうか。
さて、金メダル獲得後、ネット上ではいくつかの話題が飛び交っています。
その一つが「卒業アルバムの写真」に関する噂です。
有名人になると必ずと言っていいほど出てくる話題ですが、戸塚選手の中学・高校時代の卒業アルバム写真は、公式には出回っていません。
ネットで流出を謳う画像もありますが、ほとんどがデマや加工です。
プライバシー保護の観点から、学校側も公開していないのでしょう。
好奇心はわかりますが、プライバシーを尊重したいですね。
一方、地元横浜からは温かい声が多数上がっています。
SNS上では「西谷中の卒業生が金メダル!」「保土ケ谷区出身って知らなかった」「市沢小から西谷中、そして光明学園という普通の神奈川っ子ルートで世界一になるなんて」といった投稿が目立ちます。
雪国ではない横浜から金メダリストが出たという事実が、地元の人々にとっては誇らしいことなのでしょう。
戸塚優斗選手の学生時代を振り返ってみると、「天才」という言葉だけでは説明しきれない軌跡が見えてきます。
横浜の公立小中学校で育ち、週末は雪山へ遠征。
転んでも立ち上がり、何度挫折しても「またトライ」と前を向く日々。
平昌で怪我、北京で転倒、それでもミラノで金メダル。
華やかな結果の裏には、気の遠くなるような努力と、支え続けた家族の存在があったはずです。
雪のない街から世界の頂点へ。
戸塚優斗という選手の物語は、これからも続いていきます。
大学卒業後、彼がどんな道を歩むのかは分かりませんが、スノーボードへの情熱が消えることはないでしょう。
次の冬季五輪がどこで開催されるにしても、彼の名前がまた呼ばれることを期待したくなります。
そして、横浜市立西谷中学校という名前も、彼とともに人々の記憶に残り続けるのかもしれません。
雪国じゃなくても、金メダリストは生まれる。
その証明を、彼は身をもって示してくれました。
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