旧ジャニーズ事務所の性加害をめぐる話が、また動きました。

2026年9月7日、朝日新聞が、事務所の元スタッフだったという50代男性の証言を伝えています。

30年ほど前、自分が担当していた未成年のタレント8人ほどに性加害をしたという内容です。

ネットではあっという間に広まりました。

 

なかでも刺さっていたのが、その男性が使ったという「コミュニケーションの一つ」という言葉。

ただ、朝日新聞に載っている本人の発言は、そこで終わっていません。

 

今回はこの一言の全体と、そこから見えてくるものについて、わかりやすく解説していきたいと思います。

送迎の車の中で起きていたこと

まず、報じられている中身を確かめておきましょう。

証言したのは50代の男性で、旧ジャニーズ事務所で働いていたそうです。

旧ジャニーズ事務所というのは、いまの「SMILE-UP.(スマイルアップ)」のこと。

2023年に創業者による性加害を認めたあと、タレントのマネジメントから手を引いて、被害を訴えた人への補償を続けている会社です。

 

男性が担当していたのは、ジャニーズJr.のスケジュール管理と送迎だったと報じられています。

ジャニーズJr.は、デビューを待っている10代の男の子たちのこと。

グループに入れるかどうかも、テレビに映る機会があるかどうかも、事務所の側が決めていく世界です。

つまりこの男性は、その日どこへ行くかを握って、車で連れていく立場にいました。

そして送迎というのは、その日の最後にふたりきりになりやすい仕事でもあります。

 

性加害があったとされるのは、1995年ごろから2000年ごろにかけて。

相手はJr.の8人ほどで、場所は送迎する車の中などだったとのことです。

ほとんどが当時高校生で、一部には数千円を渡したと説明したと報じられています。

 

ここで一度、その場面を思い浮かべてみてください。

走っている車の中で、ハンドルを握っているのは、自分の明日の予定を決める人です。

降りたくても、着くまでは降りられません。

断ったあとに、次の現場でどう扱われるかも見えないまま。

密室というほど閉じていなくても、人は逃げ場を失う。

8人という数字より、この場所のほうが重い気がします。

本人の言葉には続きがあった

ネット上で切り取られて回っていたのは、この一言でした。

「コミュニケーションの一つだととらえていた」

たしかに、これだけを読めば開き直りに見えます。

反応もそこに集まっていました。

「コミュニケーションのひとつで!?」という驚き。

「それがおまえのコミュニケーションの取り方なのであれば」と書き出した人もいました。

 

ところが、朝日新聞に載っている発言は、そこで切れていないんです。

原文では、同じひと続きの中でこう語られています。

「嫌な思いをさせているのではないかという思いはあった。『性加害』になると思う」

本人が自分の口で「性加害」という言葉まで使っています。

発言から削られていたのは前半ではなく、後半のほうでした。

 

念のために書いておくと、後半まで読むことは加害を軽くする話ではありません。

むしろ逆で、続きまで読むほうがきつい。

嫌がられているかもしれないと思いながら、当時はそれを「コミュニケーション」と呼んでいた、ということになるからです。

 

そしてこの落ち方には、見覚えがあるという人も多いと思います。

長い記事が畳まれるとき、箇条書きから真っ先に消えるのは、いつも文の後半なんです。

言い訳に見える前半のほうが短くて、強くて、そのまま貼れるから。

短くまとめるほど、角の立った部分だけが残っていきます。

落ちたところに入っているのが、いちばん大事な部分。

3年前の報告書にもう書かれていた

ネットでいちばん多かった受け止めは、「敵はジャニーだけじゃなかったのか」というものでした。

気持ちとしては、たしかにそう読めます。

ただ、見出しだけでは分からないことが、もうひとつ。

スタッフによる性加害は、今日はじめて出てきた話ではありません。

 

2023年8月に公表された、外部の専門家による再発防止特別チームの調査報告書。

弁護士らが事務所の中を調べて出した、あの分厚い報告書です。

スタッフによる性加害は、その中ですでに指摘されていたと報じられています。

 

関係者の話として伝えられているのは、今回取材に応じた男性が、会社側が確認したスタッフ2人のうちの1人だということ。

会社はこの男性が加害者かどうかについて「回答を控える」としています。

名前が出ていないのは、被害を申告した人の側を守るためでもあるのでしょう。

そのうえで、スタッフによる性加害について複数の被害申告があったことは明らかにしたそうです。

つまり、被害を訴えている人はもう会社の前まで来ています。

複数、という言い方は人数を出さない言い方ですが、ひとりではないことだけは伝わってきますね。

 

日付のほうにも、意味があります。

事務所が創業者による性加害を認めて会見を開いたのは、2023年9月7日でした。

社長が交代して、深く頭を下げる場面が流れた、あの日です。

つまり今日で、ちょうど3年になります。

3年前から、書類の上では分かっていました。

そこへ今日、はじめて顔と声がついたわけです。

名前をつけるのは手を出した側

さて、この件でいちばん引っかかるのは、ここから先。

「コミュニケーションの一つだととらえていた」という言い方には、主語があります。

主語にあたるのは、手を出した側のほうです。

車に乗せられていた高校生が、それをコミュニケーションだと思っていたかどうかは、この言葉のどこにも入っていません。

 

行為に名前をつけているのは、いつも加害した側なんです。

そして名前がついてしまうと、受けた側は言い出しにくくなります。

「コミュニケーション」と呼ばれているものを嫌だと言うためには、まず自分の受け取り方のほうを疑わなければいけません。

おかしいのは自分かもしれない、という順番になってしまう。

ましてや、相手が自分の仕事を握っている人ならなおさらですよね。

 

ここで効いてくるのが、一部に渡されたという数千円。

数千円を受け取ると、嫌だった出来事が取り引きに見えてきます。

自分も乗ってしまった、という形にされると、人はそれ以上言えなくなる。

テストの答案に先に点数が書き込まれているのと同じで、採点した側の言葉が先にあると、こちらは反論から始めるしかありません。

 

当時の8人が、その場で声を上げにくかった理由は、たぶんここだと思います。

名前は、行為の説明ではありません。

やった側の頭の中での位置づけでしかない、ということです。

だからこそ、その名前が「性加害」に置き換わるまでに、これだけの年月がかかったのだと思います。

断れる場所だったかを見る3つの点

この言い換えは、あのころの芸能事務所だけの話ではありません。

いまも、いろいろな場所で同じ形の言葉が出てきます。

  • スキンシップ
  • かわいがり
  • 指導の一環
  • ただのいじり
  • 親睦を深めるため

並べてみると、よく似た顔ぶれですね。

言い換えの言葉は、やった側の位置づけを言っているだけ。

だから名前のところで言い合いをすると、たいてい押し切られます。

「そんなつもりじゃない」と言われてしまうと、こちらは相手の頭の中身を証明できないからです。

 

見るところは、名前ではなく状況のほうですね。

言い争わずに済ませるために、次の3つを当ててみてください。

  • その場から自分の意思で降りられたか
  • 断ったら、あとで困る相手だったか
  • お金や便宜が動いていないか

1つ目は、その場の閉じ具合を見ています。

2つ目は、断ったあとに続く関係があるかどうか。

3つ目は、好意の形をとった支払いがあったかどうかです。

どれも、相手の気持ちを推し量らずに答えられる問いばかり。

言った言わないの水かけ論になりにくいのは、そこ。

 

今回の証言は、3つとも当てはまります。

走っている車の中で、運転しているのは予定を決める人で、一部には数千円が渡っていました。

この3つがそろえば、名前が何であれ対等ではなくなります。

逆に言えば、名前がどれだけ優しくても、この3つは変えられません。

 

もし子どもが「◯◯って言われた」と口にしたときも、その名前の是非を議論しなくて大丈夫です。

降りられたのか、断れたのか、何か渡されたのか。

聞くのはそこだけで足ります。

逆に名前のほうを問い詰めると、子どもは自分の言い方が悪かったのかと考え始めてしまう。

事実だけを聞けば、その回り道をしなくて済みますね。

大人どうしの職場でも、たぶん同じですよね。

高校生だった8人はいま40代

最後に、時間の話をひとつ。

1995年ごろに高校生だった人は、いま40代になっています。

自分の身に起きたことを、40代になって「性加害」と呼び直すことになった人が8人ほどいるということです。

そのうち何人が声を上げられたのかは、報道には出てきません。

 

40代といえば、仕事があって、家族がいて、いまの生活のほうが大きくなっている年ごろです。

そのころのことを持ち出すのに、どれだけの助走が要るかは想像がつきますよね。

その助走を、今回は加害した側が先に走った形になっています。

分かっているのは、会社が「複数の被害申告があった」と認めているところまで。

 

今回の男性が取材に応じたことを、いまさら遅いと感じる人もいるはずです。

「コミュニケーションだと思っていた」で片づく話ではない、というのも、そのとおりだと感じます。

ただ、片づかないと言えるようになったのは、この3年で呼び方のほうが書き換わったからでもあるんです。

呼び方が変わっても、起きたことの中身が変わるわけではありません。

呼び方が変わったところから先、8人に何が用意されるのか。

そこはまだ何も出てきていないので、続報を待ちたいところですね。