RADWIMPSの新曲『娑婆堕罵 -Shabadaba-』をめぐって、評価が正反対に割れています。

「日本政府を批判した反日の歌だ」という声と、「国を思うからこそ書けた愛国の歌だ」という声。

しかもこの曲、配信が始まる2日前の10月26日には、国会議事堂前・霞ケ関・永田町の3駅に広告が貼り出されていました。

政治の真ん中の駅を選んでいるのですから、日本の政治を歌った曲に聞こえるのも無理はありません。

では、その歌詞の中に「日本」という言葉は何回出てくるのでしょうか。

今回は、この曲が反日なのか愛国なのかという疑問について、かつての『HINOMARU』と並べながらわかりやすく解説していきたいと思います。


娑婆堕罵はドラマ『ポリティカルパン』の主題歌

『娑婆堕罵』は「しゃばだば」と読み、2026年10月28日に配信が始まりました。

作詞と作曲はボーカルの野田洋次郎で、石原さとみ主演のフジテレビ系ドラマ『ポリティカルパン』の主題歌として書き下ろされた曲です。

ドラマは、女ルパンの如月弥生が政界に潜り込み、使い道の見えない政治のお金を盗み出していく怪盗もの。

脚本は野木亜紀子で、物語の舞台について、フジテレビの公式サイトははっきりと「架空の国・ニッポニア」と書いています。

 

曲が初めて流れたのは、10月7日に放送された第1話の中でした。

放送の数時間前には、野田洋次郎が自分のアカウントで、サビの歌詞を一節だけ紹介しています。

曲づくりのきっかけになった注文も、かなり尖っていました。

プロデューサーの北野拓と野木亜紀子からは「既存のドラマ主題歌という概念をぶっ壊すような曲、トガりまくった曲がほしい」と頼まれたそうで、野田洋次郎は「内に巣食う苛立ちや憤りをガソリンにして作り上げました」とコメントしています。

そのうえで自分から「今期(もしかしたら今年)のドラマ主題歌の中で群を抜いて売れそうにない曲」と言ってしまうあたりは、さすがに笑ってしまいますね。

 

歌詞は、自分の行く末など気にも留めない相手に、なぜ人生の手綱を握られなければならないのか、という問いから始まる歌詞です。

そこから国をヤクザにたとえる一節が出てきて、SmartFLASHの記事も、世襲の政治家や政治とお金の問題を連想させる言葉が続くと伝えています。

同じ記事では社会部の記者が、税金や社会保険料を払っても暮らしがよくなった実感を持てない人には響く表現だろう、とのこと。

 

歌詞のどこにも書かれていない国の名前

その歌詞を、歌詞サイトの歌ネットに載っている全文で数えてみると、「日本」も「政府」も0回でした。

「国」という字は出てきますが、それがどこの国なのかは、最後まで名前が書かれていないんです。

首相も、国会も、党も、もちろん実在の政治家の名前も見当たりません。

ドラマの設定と合わせて、そこに気づいて書いている人もいました。

とはいえ、「フィクションだから日本とは関係ない」で片づけるのも、少し無理があります。

駅の広告の告知画像には、「本日から永谷町エリアにてポスター掲出!」と書かれていました。

貼った場所は本物の永田町なのに、告知の文字だけは「田」を「谷」に変えてあります。

永谷町はドラマの中に出てくる政界の地名です。

第1話の放送翌日には、モデルプレスが「国会議事堂の屋根の色・永谷町・千羽県…日本とニッポニアの違い&共通点に反響」という見出しで、この一字ずらしを取り上げていました。

プロデューサーの北野拓は公式サイトで、テレビドラマが現実の社会に対して「できることはまだあるのではないか」と考えて、この題材を選んだと書いています。

 

つまりこの作品は、どこを向いているかは隠さないのに、相手の名前だけは書かない形なんですよね。

広告のコピーも「君の倫理 大丈夫そ?」で、問われている「君」が誰なのかは、やはりどこにも書かれていません。

ですから、日本の政治を重ねて聴くのは、作り手が用意した読み方そのものです。

ただ、「日本の政治に腹を立てている歌」と「日本に敵対する歌」のあいだには、もう一段の飛躍があります。

歌詞が刃を向けているのは、国を動かしている側。

そこで暮らす人たちは、むしろ搾り取られる側として描かれています。


8年前のHINOMARUで起きたこと

同じ野田洋次郎の曲が、正反対の向きで騒がれたことも、過去にありました。

2018年6月6日に出たシングル『カタルシスト』のカップリング曲、『HINOMARU』です。

J-CASTニュースによると、古い言い回しを使った歌詞に一部から「軍歌のようだ」「愛国心を煽っている」と批判が集まり、ライブ会場の前で抗議集会を開こうという呼びかけまで出ました。

このときも、歌詞にあったのは古風な言い回しで、「戦争」という言葉は一度も出てきません。

その言い回しをどう読むかで、受け取り方が割れたんです。

野田洋次郎は6月11日にSNSで「この曲は大震災があっても、大津波がきても、台風が襲ってきても、どんなことがあろうと立ち上がって進み続ける日本人の歌です」と説明し、「傷ついた人達、すみませんでした」と謝っています。

 

その謝罪には、謝る必要はなかったという声が著名人からも国会議員からも上がりました。

6月12日の参院文教科学委員会では小野田紀美議員が、生まれた国が愛しいと言っただけで叩かれ謝罪に追い込まれた、と表現の自由の観点から取り上げていて、同じ話はいまもネットで繰り返し回っているほど。

同じ月には、和田政宗参院議員もこう書いていたと、J-CASTニュースが2018年6月16日に伝えています。

「こんなことで言葉狩りをしていたら権力を批判する歌さえ歌えなくなる」

それから8年がたって、権力を風刺する主題歌を出したのが、同じ野田洋次郎でした。

国への愛着を歌って叩かれた人が、今度は国を動かす側への苛立ちを歌っているんですよね。

SmartFLASHの記事に出てくる音楽関係者も、国への愛着とその国の政治への批判は両立する、と話しています。

 

保守からも政権批判からも届いた理由

では、この曲をいま褒めているのは、どんな人たちなのでしょうか。

褒めている人どうしでも、思い浮かべている相手はばらばらです。

いまの政権こそ国を売っているから、この曲が正しいと書く人。

保守のふりをした政府を叩いた歌だと読む人。

党の名前を挙げて、次はこれを歌ってほしいと頼む人。

首相が誰に変わっても同じだと、全員まとめて切り捨てる人。

 

そして、保守を名乗る人まで、この曲を喜んで聴いているんです。

歌詞に名前が書かれていないので、聴いた人はそれぞれ、いちばん腹を立てている相手をそこに重ねられます。

同じ1曲が、立場の違う人たちから同時に「よく言ってくれた」と言われているのも、そのためでしょう。

 

ネットには「反日と言うより反政府ね。」と言い直す声もあれば、「HINOMARU叩いてた人たち大絶賛してそう」と8年前を思い出す人もいました。

反日と受け取ってモヤっとした人も、歌詞を開いてみれば、日本という国の名前が一度も出てこないことはすぐに確かめられます。

そのうえで、怒りの矛先がどこに向いているかを読んでみると、刃が向いているのは、国を動かしている側です。

反日の歌と呼ぶより、国を動かす人たちへの苛立ちの歌と呼ぶほうが、この歌詞にはずっと近いということですね。