駅前で誰かが歌っていて、連れと話しながら少しだけ足を止める。

そのくらいのことは、たいていの人が一度はしているはずです。

ところが2026年11月7日の夜、川崎で路上ライブを続けているシンガーソングライターの男性が、マイク越しにこう言いました。

「後ろのさ、3人さ、喋るんだったらさ、出てってくんない?」

本人が自分のXに載せたこの25秒の動画には、「公道を自分のものだとおもってんのかな?」といった声が集まっています。

一方で本人は翌日、「正式に許可をいただいて歌っている場所です」と補足しました。

路上で歌う許可を取っていれば、聴いている人に「出てって」と言えるのでしょうか。

今回は、男性の言う「正式な許可」が誰の、どんな許可なのかをたどりながら、観に来てくれた客にあの一言を言ってよかったのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。

「出てってくんない?」に男性が添えた言い分

動画に映っているのは男性ひとりで、言われた3人の姿は画面に入っていません。

男性は「ごめんね、こんなこと言いたくないんだけどさ」と前置きしてから、後ろにいた3人へ向けて話し始めます。

「ずーっとスマホいじってさ」と続け、ほかのお客さんも嫌な気持ちになる、と理由を挙げていました。

最後は「やめてここにいるか、どっか行くかどっちかにして」と言い切り、「よろしく」で締めています。

 

投稿に添えた言葉は、「賛否両論あると思うけど、今日の路上ライブでのことを載せておきます」。

続けて「偉そうなことを言える立場ではないと思っています」とも書いていました。

翌日の昼前には、長めの補足が出ています。

  • 注意した相手は、初めてライブを観に来た人たちではない
  • 通りすがりの人や、初めて足を止めてくれた人には、あのような注意はしない
  • 注意したのは、周りに聞こえる声で会話を続けたり、演奏中ずっとスマホを操作したりする行為

路上なので「すべての方に足を止めて真剣に聴いてほしいと言っているわけではありません」と断ったうえで、わざわざ時間を作って来てくれる人の時間を大切にしたい、と書いていました。

ライブハウスでも活動していて、それでも路上を続けるのは「一人でも多くの方に自分の音楽を届けたいから」だそうです。

言われた3人の側の話は、いまのところどこにも出ていません。

ここから先は、男性の補足のとおり、何度か観に来ていた人たちだったとして読んでいきます。

 

静かに聴きたくて来ている人がそばにいたなら、その人たちを守りたかった気持ちは伝わってきますよね。

実際、元アイドル運営を名乗る人からは「演者が何もかも我慢する時代ではない」と、男性に共感する声も出ています。

それでも、補足への返信で繰り返し問われたのは、「許可」という言葉でした。

「許可もらったらその路上はあなたのライブ専用の場所になると言うことですか?」

 

「正式な許可」を受けているのは川崎市だった

川崎駅の東口駅前広場では、2025年8月1日から路上演奏が登録制になっています。

名前は「川崎駅東口ストリートミュージックパス」。

川崎市によると、SNSでの開催予告で観客が増えすぎたり、大きな音での演奏や夜の演奏が続いたりして、苦情や警察署への通報が多く寄せられていたそうです。

そこで市が川崎警察署から道路使用許可を受け、その場所を使いたい演奏者には、決まりを守る約束と引き換えに登録証を出す形に切り替えました。

道路使用許可は、道路交通法の第77条で決まっている許可のこと。

道路に人が集まって通行に大きく響くような使い方をするときに警察署長が出すもので、目的は「交通の安全と円滑を図るため」と書かれています。

人や車がちゃんと通れるかどうかを見るための許可なんです。

 

登録した演奏者は、指定の場所で、登録証をA4以上の大きさで観客に見えるように貼って歌います。

時間は正午から午後9時までで、ほかの演奏者が待っていれば1時間ごとに交代する決まり。

許可を受けているのは市で、演奏者は、その許可の中で場所を順番に使わせてもらっている立場です。

男性の言う「正式な許可」がこの登録証を指しているのかどうか、補足には制度の名前までは書かれていません。

ただ、川崎の駅前で「正式」と呼べる路上演奏の仕組みとして、市が公表しているのはいまのところこれです。

許可の中に「出てって」と言える力は入っていない

では、その決まりは、演奏者にどこまでのことを認めているのでしょうか。

市のガイドラインの冒頭には、こう書かれています。

「演奏する方も鑑賞する方も通行者や周辺に配慮してください」

配慮を求められているのは、演奏者と聴く人の両方です。

すぐあとには、この許可は占用許可ではない、という断り書きも入っていました。

占用許可は道路法の別の許可で、道路に物を置いて、その場所を続けて使うためのもの。

それではない、とわざわざ書いてあるので、演奏者がその場所を自分のものとして使えるわけではありません。

 

演奏者から観客へ協力を呼びかけるよう求めている項目も、ひとつあります。

観客も含めて指定のエリアの中に収まり、地面に座り込んで通行をふさがないように、という中身でした。

どちらも、通る人のじゃまをしないための呼びかけです。

聴き方について、演奏者が観客に注文をつけてよいという項目は見当たりません。

反対に、注文をつけてはいけない、という項目もないんです。

トラブルが起きたら当事者どうしで解決すること、市や警察、見回りスタッフから中止を求められたら従うこと。

ガイドラインに書いてあるのは、そこまで。

だから、男性が「出てって」と頼むこと自体を止める決まりはありません。

ただ、頼まれた人をその場から動かす力までは、許可の中に入っていないんです。

 

「やめてここにいるか、どっか行くか」を決めるのは、言われた3人の側。

しかも男性の補足どおりなら、その3人は何度も観に来てくれていた人たちです。

動画への返信には、「少なくとも貴方に興味持ってくれてる人達に その物言いはないね。」という声もありました。

路上で演奏してきたという人も、「下手くそな演奏でも立ち止まってくれる方にはまず感謝。」と書いています。

頼み方ひとつで、観に来てくれた人への言葉が、追い払う言葉に聞こえてしまったのでしょう。

同じ動画への返信には、こんな言葉も届いていました。

話している人を黙らせるのも、途中で立ち去られるのも、その場の反応として受け止めるのが路上だ、という考え方です。

 

静かに聴きたい人もしゃべる人も同じ広場の上

ここで置き去りにしたくないのが、男性が守ろうとした「ほかのお客さん」の側。

すぐ後ろで話し声が続いて、歌が聴き取りにくかった人もいたかもしれません。

ただ、静かに聴きたかった人たちにとっても、広場は自分のものではないんですよね。

 

市が2026年1月までに集めたアンケートでも、「駅前で演奏が聴けるのは音楽のまちにふさわしい」という通行人の声と並んで、「駅前広場は歩くためにあるのだから、ルールを守れないならやめてほしい」という声が寄せられていました。

歌を楽しみに来る人も、早く通り抜けたい人も、同じ広場の上にいます。

川崎駅の東口なら、歌っている人が登録した演奏者かどうかは、貼ってある登録証が目印です。

音の大きさや時間のことで困ったときは、川崎市の市民文化振興室か、登録を受け付けている「音楽のまち・かわさき」推進協議会に問い合わせができます。

 

制度の紹介動画に出演したシンガーも、こう呼びかけていました。

男性は補足のあとに「これからも自分の信念を持って歌い続けます」と書いています。

大事にしたいお客さんのために「静かにして」と頼むことはできても、従うかどうかを決めるのは相手。

次に駅前の歌に足を止めたときは、静かに聴きたい人も、ちょっと話しながら聴く人も、同じ広場を借りているひとりだと思っておきたいところですね。

この記事で参考にした情報

  • 川崎市「路上演奏の登録制『川崎駅東口ストリートミュージックパス』試行実施」(令和8年8月26日更新)
  • 川崎市「『川崎駅東口ストリートミュージックパス』運用ガイドライン(試行実施)」(令和8年8月26日更新)
  • 川崎市 報道発表資料「川崎駅東口駅前広場での路上演奏の登録制の試行期間を延長します」(令和8年2月16日)
  • e-Gov法令検索「道路交通法」第77条