人前で謝るとき、手元のメモに目を落としたことはありますか。

職場の朝礼でのお詫びや、取引先への説明の席で、言うべきことを紙に書いて持っていった経験がある人も、きっと多いはず。

いま、その「紙を見ながら謝る」ことが、ひとりのアイドルをめぐって賛否を呼んでいます。

 

timeleszの菊池風磨が、謝罪会見で手書きのメモを読みながら話したことに、「カンペ使うな」という声と、「一生懸命、手書きで綴ったんだろうな」という声が同時に上がっているんです。

今回は、菊池風磨の手書きメモがなぜここまで話題になったのかと、謝るときに紙を見るのは本当にダメなのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。

噛まないはずの人が紙を読んだ

会見が開かれたのは、2026年10月1日のこと。

同じグループにいた猪俣周杜が知人女性にけがをさせた疑いで逮捕され、9月30日付で事務所との契約を解除されたことを受けて、残る7人がそろって報道陣の前に立ちました。

 

会場はフジテレビで、7人はスーツ姿で並び、一人ずつ自分の思いを話す形がとられていたそうです。

冒頭、菊池風磨はファンや関係者へお詫びを述べ、メンバー全員で深く頭を下げています。

被害に遭った方のプライバシーへの配慮を呼びかけ、「一日でも早く被害者の方が平穏な日常を取り戻されることができますように」と気づかう言葉も添えていました。

女性自身によると、ここまでの挨拶と謝罪は、手元のメモを見ずに話していたそうです。

そのあと、自分たちがこの件をどう受け止めているのかを話す段になって、菊池風磨はこう断りを入れました。

「ここからはメモを確認しながらお話しさせていただくことをお許しください」

そう言って、手にしていた紙を正面に持ち直したとのこと。

 

続く言葉は、かなり強いものでした。

報道で状況を知るにつれて「驚きや戸惑いだけでなく、怒りや憤りを感じるようになりました」と話し、猪俣周杜の「手が当たってしまったかもしれない」という趣旨の供述には「腹が立ちました」とまで言っています。

「アイドルである以前に、人として、相手に、ましてや女性に手をあげる、暴力を振るうという行為は決して許されるものではありません」という言葉もありました。

そして「私たちは今回のような行為を決して容認しない」と言い切ってから、ほかのメンバーへ話を渡しています。

そのあとの記者からの質問にも、契約解除を前の晩に聞いたことや、事件のあと本人とは連絡を取っていないことを、一つずつ答えていました。

同じ会見では、原嘉孝が冒頭から言葉に詰まって涙を流し、ほかのメンバーも目を赤くしていたと伝えられています。

 

菊池風磨は、ファンのあいだでは、アドリブが速くてめったに噛まない人として知られている人です。

その人が紙に目を落とし、ファンの目には何度か噛んでいるようにも映った。

紙を読む姿だけで事の重さが伝わった、と受け止めたファンもいたんですよね。

新メンバーを選ぶオーディション『timelesz project』を先頭で引っ張ってきたのも、菊池風磨でした。

自分たちで迎え入れた仲間が、こういう形でいなくなったのですから、その緊張の大きさは想像がつきます。

「カンペ使うな」と言われた理由

ただ、同じ場面を見て、まったく逆のことを感じた人もいました。

ネットには「カンペ使うな」「演技っぽい」「わざとらしい」といった声が並び、女性自身もこの反応を取り上げています。

もっとも、事情は分かると前置きしたうえで、それでも気になったという声もありました。

 

ほかのメンバーは自分の言葉で話していたのに、という比べ方です。

おもしろいのは、「演技っぽい」という声まで出ていたこと。

紙を読めば心がこもっていないと言われ、詰まりながら話せば今度は演技に見えると言う人も出てきます。

同じ一つの姿が、まるで正反対に受け取られていました。

謝罪する側が紙を読みながら話す場面を、会社の取引先に置き換えて考えた人もいます。

担当者がクライアントの前でメモを見ながら謝ったら、自分なら怒る、という受け止め方です。

仕事で頭を下げた経験のある人ほど、この感覚には覚えがあるのではないでしょうか。

 

もう一つ、別の引っかかりを口にした人もいます。

「手書きならOKってどういう基準なんだろ」という疑問です。

擁護する側が「手書きで綴った」ことを誠意の証のように語るほど、では印刷の紙だったらダメだったのか、という問いが生まれてくる。

この問いには、ちょっと意外な補足があります。

芸人や俳優のマネージャーをしているという人が、「印刷して読まされてる」と言われないように、マネージャーが裏で手書きで書いている、と書き込んでいました。

この人が本当にマネージャーなのかは、外からは確かめようがありません。

今回の菊池風磨の紙が誰の字なのかも、どの報道にも書かれていないままです。

それでも、手書きかどうかは誰が書いたかの証明にはならない、という点だけは押さえておきたいところ。

字の形を見ても、その言葉が本人のものかどうかまでは分かりません。

 

女性自身は、重要な会見で話すべきことが多いなかでメモを用意すること自体は「決して不自然なことではない」と書き、「カンペ見ながら謝罪ってそんなにダメなこと?」という声も紹介しています。

手書きかどうかより、紙を見ながら謝ること自体をどう考えるか。

どちらの声の人も、最後に引っかかっているのはそこなんですよね。

弔辞は紙を読むのが正式

では、人前で紙を見ながら話すこと自体は、そもそも失礼なのでしょうか。

思い出してほしいのが、お葬式の弔辞です。

全日本冠婚葬祭互助協会の案内では、弔辞は「正式には巻紙に薄墨の毛筆でしたため、奉書紙に包んで『弔辞』と上書きするもの」とされています。

無地の白い便箋や市販の弔辞用紙でもかまわないそうで、長さは「3分くらいがふつう」で、400字詰め原稿用紙で2〜3枚ほどが目安とのこと。

読むときは「右手で弔辞をゆっくり開き、目の高さに捧げて読み上げる」のが作法で、読み終えたら紙を包み直して祭壇に供えるそうです。

弔辞では、紙を見て読むことがいちばん丁寧なかたちとされているわけですね。

 

結婚式の主賓のスピーチでも、メモを手にして話す人は珍しくありませんよね。

それなのに、謝罪の場になると紙が急に疑われる。

違いは、紙の向きにあると思います。

弔辞の紙は、故人へ渡すものです。

読み終えたら供えるのですから、書かれた言葉そのものが贈り物になっています。

 

一方、謝罪会見の紙は、見ている側からすると「その言葉は誰が用意したのか」を疑う入口になりがちです。

芸能人の謝罪では、事務所が文面を整えるのではないか、という見方がいつもついて回ります。

だから紙に目を落とした瞬間、言葉の持ち主が本人から事務所へ移ったように見えるんですよね。

SNSの時代になって、この緊張はさらに強くなりました。

会見で一言でも言い間違えれば、その一言だけが切り取られて広がっていく。

紙を持たずに話せば言い間違えが怖いし、紙を持てば読まされていると言われてしまう。

謝る人は、どちらに転んでも何か言われる場所に立っています。

この構図は、芸能界の外でもおなじみのもの。

国会で大臣が手元の紙を読み上げると「官僚の作文」と言われ、紙を見ずに答えて言い間違えると、今度はその言い間違えが見出しになります。

紙を見ても見なくても何か言われる、という場面はよくあるものです。

謝る側から見れば、紙は、せめて言い間違えだけはしないための命綱に近いのかもしれません。

紙を見る前に置いた一言

もう一度、あの日の会見の流れを並べてみます。

菊池風磨が紙を見ずに話したのは、冒頭のお詫びと、被害に遭った方への気づかいでした。

紙を持ち直したのは、そのあと、自分たちの受け止めと怒りを話す場面です。

しかも、持ち直す前に「メモを確認しながら」と自分の口で断っていました。

 

この順番を並べると、見え方が少し変わってきます。

謝る言葉は、顔を上げて自分の口で言う。

紙に頼ったのは、言い間違えたら取り返しのつかない、強い言葉のところ。

 

「腹が立ちました」「決して容認しない」という言葉は、少しでも言い回しがずれれば、別の意味で切り取られかねないものでした。

紙を見たかどうかより、紙をどこで持ち直したかに、その人の考えが出ていたんです。

しかも、隠れて読むのではなく、読みますと先に言ってから読み始めました。

「カンペ使うな」と感じた人が気にしていたのは、たぶん、誰かが用意した言葉をこっそり読んでいるのではないか、という点だったはず。

先に断った時点で、少なくとも紙を隠してはいなかったと言っていいでしょう。

 

同じことは、職場で頭を下げる場面にもそのまま当てはまるはず。

メモを持っていくこと自体は、悪いことではないと思います。

大事なのは、次の3つくらいでしょうか。

  • 最初のお詫びのひと言は、紙を見ずに相手の顔を見て言う
  • 紙を見る前に「確認しながらお話しします」と断る
  • 数字や経緯のように、間違えると困るところだけを紙に頼る

1つ目は、相手がいちばん聞きたい言葉を、いちばん先に、自分の顔で渡すための順番です。

2つ目は、隠して読んでいると思われないための一言。

3つ目は、紙に頼る範囲を自分で決めておくためのもの。

全部を紙に任せると、それこそ読み上げに聞こえてしまいます。

 

そしてもう一つ、言葉に詰まることを怖がりすぎなくていい、ということも付け加えておきたいところです。

ふだんはメモを用意しない人が今日は持っていた、と書いたファンもいました。

噛んだり詰まったりした跡は、少なくとも聞いている側に「この人は本気で言葉を選んでいる」と伝わることもあるんです。

流れるように話せたかどうかより、言い間違えずに大事なところまで届けられたかどうかを、聞いている側は案外よく見ています。

 

弔辞と同じで、紙は言葉を正確に届けるための道具です。

見られているのは紙を持っているかどうかではなく、その紙が何のために手元にあるのか、という点なんですよね。

ただ、どれだけ順番を整えても、紙を見た時点で冷めてしまう人がいるのも事実です。

それでも、紙を持つ手より、紙を持ち直す前のひと言を見てみると、同じ会見が少し違って見えてくるかもしれません。

次に自分が人前で頭を下げる日が来たら、メモを書く前に、どこで紙を見るかを先に決めておきたいところですね。