2026年8月29日の夜、24時間テレビで星野真里さんが娘さんの学校の話をしました。

教室のいちばん後ろで、娘さんがひとりきりだったこと。

先生からの補助もなかった。

そう涙ながらに語った場面です。

放送の直後から、SNSはこの話でいっぱいになりました。

ただ、並んでいたのは同情ではありません。

「通常学級に行かせたなら、それは当たり前では」という声のほうが、はるかに多かったのです。

正直なところ、私も最初はそう思いました。

ところが調べていくと、この話には前提のずれが1つあります。

そのずれに気づいた瞬間、怒りの向き先がまるごと入れ替わりました。

24時間テレビで語られた教室の一番後ろ

まずは、何が語られたのかから。

星野真里さんは、2026年8月29日から30日にかけて放送された24時間テレビ49のチャリティーランナーです。

娘さんは11歳。

生まれつき筋肉の力が弱くなる先天性ミオパチーという国指定の難病で、身体障害者手帳は1級。

幼稚園の年少の終わりから電動車いすに乗っていて、運転歴はもう5年を超えています。

 

番組で語られたのは、小学1年生の終わりの授業参観でのことでした。

教室に入ってみると、娘さんはいちばん後ろに「居させてもらっている」だけ

参加させてもらっているとは、とても言えなかった。

そこで学校に話をした——という流れです。

 

この話が流れた直後から、Xでは反発のほうが伸びました。

ある投稿は約9千のいいねを集めています。

私がYahoo!リアルタイム検索で「星野真里 学校」の新着を数十件たどった範囲でも、擁護より疑問のほうが目立っていました。

言いたいことは、よくわかります。

泣きながらテレビで訴えられると、名前も出ていない担任の先生が、いつのまにか悪い人になってしまう。

その空気に引っかかるのは、冷たいからではありません。

むしろ、教室の人数を知っている人ほど引っかかったはずです。

交流に出る授業は学校と親の両方で決まる

ここで前提のずれが出てきます。

複数の報道によると、娘さんは公立小学校の特別支援学級に在籍しています。

番組でも「支援級で入学したけれど、勉強は通常学級だった」という趣旨で語られていました。

 

支援級を選んだ理由も、星野さんは以前から話しています。

サポートの体制が整っていること。

同じような特性を持つ友だちと関われること。

そのうえで、通常学級との接点も残せること。

どちらかを捨てる選び方は、そもそもしていないわけです。

 

では、その通常学級での授業は誰が決めたものなのでしょうか。

支援級の子が通常学級で受ける授業を、交流及び共同学習といいます。

どの教科に出るかを決めるのは、学校が作る教育課程と週の時間割のほうです。

親が「うちの子も通常学級へ入れてください」と押し込む形ではありません。

ただ、学校が勝手に決めているわけでもないんです。

案を作るのは学校でも、最後は保護者に話を通してから動きます。

そもそも学びの場そのものが、本人と保護者の意向を最大限尊重して市区町村の教育委員会が判断するものです。

文部科学省は2022年の通知で、改善が必要な例をいくつも並べています。

そのうちの1つが、通常学級・通級・支援級・支援学校という選択肢を本人と保護者へ説明していない学校でした。

説明して、話し合って、了解を取る。

そこまでが決まりごとになっているわけですね。

 

つまりあの時間割は、押し込んだものでも押しつけられたものでもありません。

両方が納得したうえで組まれた形だった、ということですね。

回っている学校では、こんな形になっています。

介助は支援級の先生が受け持ち、席は前のほうに置く。

特別なことは何ひとつしていないのに、それだけで教室の景色が変わるという話でした。

 

そして「支援が必要なら支援級へ行けばいい」という反論は、すでに支援級にいる子には当たりません。

娘さんはもう、みんなが勧めている場所にいたのです。

交流の子は通常学級の人数に入っていない

では、なぜその子が教室の後ろでひとりになるのか。

そこが本題なのに、番組ではその説明が抜けていました。

感動の場面としては、涙のほうが強い。

制度の説明は、たしかに尺を食います。

けれど省いた結果、責められたのは制度ではなく、顔の見えない担任の先生でした。

 

ここからが、たぶんいちばん知られていない話になります。

支援級の子が交流で通常学級へ行っているあいだ、その子はその学級の人数に数えられていません。

籍が支援級にあるので、通常学級の学級定数には入らないのです。

 

教育新聞が2025年9月に伝えた小学校教諭の例が、わかりやすい。

クラスの人数は36人。

そこへ支援級の8人が授業に参加していて、教室にいるのは実際には44人。

当時の上限だった40人を、とっくに超えています。

それでも書類の上では36人のクラスなので、先生は増えません。

 

その教諭はこう話しています。

「当然、他の子に手が回らない。通常学級の児童でも学力などでぎりぎり頑張っている子もいる。そういう子も丁寧に見てあげたかったが、余裕がない」

 

支援級の担任も、同じ時間に残りの子を見ています。

だから交流先の教室には、誰も付いていけません。

教室の後ろにひとりの席ができるのは、先生が冷たいからではなく、数え方がそうなっているからです。

通常学級と支援級の両方を担任した人の言葉です。

現場を知っている人ほど、矛先の置き場所に敏感なのだと思います。

週の半分という線は先生が付ける前提だった

「支援が必要なら支援級か支援学校しかないのでは」

そう感じた人は多かったはずですが、この二択の感覚には理由があります。

制度が実際に、そちらへ寄っているからです。

 

文部科学省は2022年4月27日、各教育委員会へ通知を出しました。

中身は、支援級に在籍している子は原則として週の授業時数の半分以上を支援級で学ぶこと。

大半を通常学級で過ごすのなら、通常学級へ籍を移すよう促す内容でした。

 

ではなぜ「半分」なのか。

文科省が半年後に出したQ&Aに、その根拠が書かれています。

交流及び共同学習は、交流先の学級での活動を支援級の担任がサポートするなど、適切な指導体制を整えられる範囲内で実施されること。

だから「半分」にした、という説明でした。

つまり国が線を引いたときの前提は、支援級の先生が交流先まで付いていける状態だったわけです。

その前提が崩れたままの教室にも、線のほうは同じようにかかっています。

 

通知の本文にも、はっきり書かれていました。

必要な指導体制を整えないまま交流及び共同学習として通常の学級で指導を受け続ける状況は、不適切だとしています。

改善が必要な例に挙がっていたのは、通常学級の担任だけに指導が委ねられ、どちらの子も十分に学べていない教室でした。

あの後ろの席は、国が改善しろと名指ししていた状態のほうです。

 

そして、この「半分以上」という線には、もう1つの顔があります。

週の半分は支援級、残りは通常学級。

時間割の上ではきれいに分かれていますが、子どもの側から見るとどちらの教室でも半分だけの子になります。

朝の会にいない日があったり、係や班に入る週と入らない週があったり。

友だちができにくいのは性格でも障害の重さでもなく、その割り方のせいかもしれません。

2022年には国連の障害者権利委員会が、この通知の撤回を日本へ勧告しました。

それでも文科省は撤回していません。

この通知はむしろインクルーシブを進めるものだ、という立場です。

 

親が「どっちかを選べと言われている」と感じるのは、気のせいではないわけです。

本当に、そう作られているのですから。

うちの子のクラスにいたら困るという本音

放送から時間がたつにつれて、声の質が変わってきました。

最初は「通常学級を選んだのだから当たり前」でした。

いまは「自分の子が同じクラスだったら困る」まで来ています。

この本音を、私は責める気になれません。

授業が止まってしまうかも。

うちの子がお世話係にされるかもしれません。

親なら、そこまで考えます。

 

ただ、その不安をたどっていくと、行き着く先は子どもではありません。

教室にいる大人の数のほうです。

介助する大人がいれば、お世話係は生まれません。

支援級の先生が交流先まで付いていければ、授業だって止まらずにすみます。

 

もう1つ、その大人が何を学んできたかという話もあるんです。

支援級の担任のうち、特別支援学校教諭の免許を持っている人は3割ほどしかいません

文部科学省の調査で、2023年度は31.0%でした。

この割合、2006年度は30.8%です。

18年かけて、0.2ポイントしか動いていません。

特別支援学校の先生なら87.2%ですから、同じ特別支援教育でも置かれている条件がまるで違います。

 

免許がなくても支援級の担任にはなれますし、そのこと自体を責めても仕方がありません。

ただ、専門性を先生個人の努力任せにしたまま20年近く動いていない、という事実のほうは残ります。

できている学校とできていない学校の差は、子どもの障害の重さではなく、その教室に立てる大人の頭数のほうにあります。

 

だから、いちばんきついのは担任です。

36人を見ながら、数に入っていない子にも手を伸ばそうとして、どちらも中途半端になる。

そしてテレビで責められるのは教室に立っていたその人で、頭数を決めた人のほうは画面にすら出てきません。

通常学級でも学校には配慮の義務がある

ここまでの話は、有名人の家庭の事情では終わりません。

けがや病気で車いすになる子もいれば、途中でわかる特性もあります。

そのときに効く順番を、2つに分けて置いておきますね。

 

まず、通常学級であっても学校には配慮する義務があります。

2016年4月に施行された障害者差別解消法で、公立学校の合理的配慮は努力ではなく法的な義務です。

私立などの事業者も、2024年4月から義務になりました。

 

合理的配慮というと、大がかりな設備の話に聞こえるかもしれません。

ですが実際に多いのは、席をドアの近くにする、板書を写真で渡す、移動の時間を長めに取る、といった工夫のほうです。

お金をかけずにできることから始まります。

「通常学級を選んだのだから支援はなくて当然」は、法律の上では正しくありません。

 

ただし、この義務には起点があります。

本人や保護者からの意思の表明です。

黙っていても始まらないし、学校が断るときには、負担が重すぎる理由を説明しなければいけません。

担任ではなく教育委員会へ言う

もう1つ、知っておくと動き方が変わることがあります。

介助にあたる特別支援教育支援員のお金は、国が学校へ直接配っているわけではないんです。

2007年度から地方財政措置として始まり、初年度は2万1千人分・約250億円が積まれました。

ところがこれは使い道の決まっていないお金なので、何人置くかは自治体が決めます。

 

同じ法律の下にいるのに、隣の市と人数が違うのはこのためです。

つまり担任にいくら言っても増えません。

話す相手は学校だけではなく、教育委員会の窓口まで含まれます。

 

そのうえで、動く順番はこうなります。

まず、就学相談は年長の春から秋に始まります。

その席で、交流の授業をどう受けるかまで詰めておく。

入学したら、個別の教育支援計画にどう書かれているかを毎年見る。

お願いしたことと返ってきた答えは、口約束にせずメモか書面で残しておく。

 

今回の件で私がいちばん引っかかったのは、そこでした。

おかしいと気づいたのが1年生の終わりの授業参観だった、という点です。

それまで、話し合う場が用意されていなかったことになります。

この方が書いているとおりだと思います。

足りていないのは思いやりではなく、仕組みのほうでした。

 

それでも、あの教室の後ろの席を用意したのは、担任の先生でも母親でもありませんでした。

そう思って見直すと、腹の立つ相手が少し変わってきませんか。

テレビの前で誰かを責める前に、その席を誰が作ったのかを一度だけ確かめてみたいですね。

この記事で当たった資料

制度まわりの話は、次の資料で確かめました。

 

【制度】

  • 内閣府・文部科学省「障害者差別解消法」(2016年4月施行/事業者の合理的配慮は2024年4月から義務化)
  • 文部科学省「特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について」(2022年4月27日通知)およびそのQ&A
  • 国連障害者権利委員会による日本への総括所見(2022年)

【学級定数と交流及び共同学習】

  • 教育新聞「特別支援学級の子ども交流 なぜ通常学級定数に入らない?」(2025年9月25日)
  • 教育新聞「週の半分以上を特別支援学級で Q&Aで『通知の撤回予定ない』」(2022年11月4日)
  • 文部科学省「特別支援教育資料(令和5年度)」(特別支援学級担当教員の免許状保有率)

【出演者と番組】

  • @DIME「24時間テレビのチャリティランナーに選出!俳優・星野真里さんが難病と闘う10歳の娘に教わった『心が生きやすくなる』ヒント」
  • スポーツ報知など各社報道(2026年6月・8月)
  • 日本テレビ「24時間テレビ49 愛は地球を救う」放送概要

 

お子さんの就学先や配慮のことで迷われたときは、お住まいの自治体の教育委員会にある就学相談の窓口へ相談してみてくださいね。