2026年8月23日の朝、京都府京田辺市の踏切で、ひとりの男性が亡くなりました。

警察が身元を確認したのは、2日後の25日です。

新聞が伝えたのは、そこまででした。

 

ところが8月29日になって、その男性が同志社国際高校の教員だったという話が広がります。

3月に沖縄の辺野古沖で起きた、あのボート転覆事故。

17歳の生徒が亡くなった日に、生徒たちを引率していた先生のひとりだったというのです。

 

そして学校の校長は、今月末で辞めます。

 

この5か月半に、何が起きていたのか。

調査報告書と報道でわかっている範囲から、順番に整理しました。

ご家族がいることを考えて、確かめられていないことはそのまま書いています。

8月23日に京田辺市の踏切で起きたこと

まず、はっきりしていることから。

事故が起きたのは、2026年8月23日の日曜日、午前9時半ごろです。

場所は京都府京田辺市にある近鉄京都線の踏切でした。

ここで男性1人が電車と接触し、亡くなっています。

 

この事故は当日、近鉄京都線が一時運転を見合わせたこともあって、地元のニュースとして流れました。

ただ、そのとき報じられたのは「踏切で人身事故があった」という事実だけです。

2日後の25日になって、京都府警田辺署の調べで身元がわかったと京都新聞が伝えました。

その見出しも「亡くなった男性の身元判明」で、どこの誰だったのかは書かれていません

 

大手の報道機関がいまも世に出しているのは、この2行分の情報だけということになります。

ここから先の話は、すべて報道の外側で広がったものです。

亡くなったのは辺野古の引率教員とみられています

この踏切事故が注目されたのは、8月29日でした。

ネットメディアのサキシルが、21分を超える取材動画を公開したのです。

取材にあたったのは、編集長の新田哲史さん。

学校関係者、卒業生、それに捜査関係者まで当たり、事故のあった踏切にも足を運んでいます。

そこで語られたのが、亡くなった男性は同志社国際高校のベテラン教員で、3月の辺野古の事故で生徒を引率していた人物とみられるという内容でした。

公開のとき、取材した本人がこう書いています。

「学校の地元での事故だったので嫌な予感がしていました。ここまで悲しい気持ちで取材したことはないです」

 

この話が広がると、学校の関係者に近い立場の人たちからも、追悼の言葉が次々に投稿されました。

教え子だったという人からは「まだ指導されていると聞くたびに嬉しく思っていたのに」という声も上がっています。

50代のベテランで、長く教壇に立ってきた先生だと伝えられています。

ここに出てくる「A7」は、7月31日に公表された調査報告書のなかで、教員に振られた記号です。

ただ、この先生が本当にA7だったのかどうかまでは、公式には確かめられていません。

 

ここで、はっきりさせておきたいことがあります。

亡くなった原因については、警察も学校も何も発表していません

ネットでは事故なのかそうでないのかをめぐって、いろいろな見方が飛び交っています。

ただ、それを裏づける公式な情報は、いまのところ何もありません。

ですのでこの記事でも、そこには踏み込まない形で書いていきます。

 

そのうえで、多くの人が引っかかったのは別のところでした。

これだけの出来事なのに、テレビも全国紙も、この1週間ほとんど触れていないのです。

報道されないことへのいらだちが、そのまま学校への不信に重なっています。

 

そして動画が出てからの一日で、その不信の向き先が動きました。

最初に多かったのは「なぜテレビが報じないのか」という声です。

いま数が集まっているのは、そこではありません。

 

この先生を追い詰めたのは何だったのか

 

目立つのは、「SNSの誹謗中傷が原因だった」という筋書きを、出てくる前に拒んでいる投稿です。

そうではなく、学校という組織の中で起きたことだろう、と。

 

「しわ寄せが末端にいったのが原因」

「罪悪感を感じるような方が犠牲になる」

「報告書でA7と呼ばれていた先生で、学校の体質に悩まされていたらしい」

 

報道の仕事をしている人からも、こんな言葉が出ています。

闇が深い。

この一日で、その言い方があちこちに増えました。

3月16日に2人の先生は船に乗りませんでした

ここから、3月の事故の話に入ります。

この先生がどんな立場に置かれていたのかは、そこを見ないとわかりません。

 

事故が起きたのは、2026年3月16日の朝でした。

沖縄県名護市の辺野古沖で、修学旅行中だった同志社国際高校の2年生たちを乗せた小型船2隻が、相次いで転覆します。

乗っていたのは生徒18人と乗組員3人。

この事故で17歳の女子生徒と、船を操縦していた71歳の船長が亡くなりました。

 

そしてこの日、引率していた教員2人は、どちらも船に乗っていませんでした

生徒たちだけが海に出て、先生は陸に残っていたわけです。

 

なぜ乗らなかったのか。

7月31日に公表された第三者委員会の調査報告書には、そのときのやりとりが残っています。

引率していたのは男女2人の教員でした。

女性の教員は、体調がよくなかったことと、乗り物に酔いやすい体質だったことを理由に挙げました。

「無理しなくていい」と声をかけられ、乗らなくてもいいのだと受け取った、という趣旨の話です。

 

結果として、その日は誰も船に乗りませんでした。

生徒の証言からは、2人の先生が並んで手を振り、出航を見送っていたことが確認されています。

報告書は、両方の教員が「引率者は誰も乗船しなくてよい」と判断したものと認定しました。

「自分が代わりに乗ろうと思っていた」という供述

ただ、報告書にはもうひとつ、男性教員の側の話も書かれています。

その供述が、今回いちばん重く感じられた部分でした。

 

男性の教員は、こう話していたというのです。

「女性の教員が乗れないのであれば、自分が代わりに乗ろうと思っていた」

 

実際には、乗りませんでした。

その理由がはっきり書かれているわけではありません。

報告書は、双方の説明が食い違っていることも指摘しています。

 

ここは想像で埋めるところではないので、事実だけを置きます。

ただ、ひとつだけ言えることがあります。

「乗ろうと思っていた」という言葉が調査の記録に残っているということは、その人が事故のあと、出航を見送った朝の判断を何度も振り返っていたということでもあります。

 

もし自分が乗っていたら。

あの子は帰ってこられたんじゃないか。

そんな問いを5か月半、抱え続けることになった人が、あの学校にいたわけです。

防犯カメラの映像が公開されたあとに起きたこと

事故のあと、この先生に何が起きていたのか。

時間の流れを追うと、風向きが変わった日がはっきりしています。

 

2026年6月16日、産経新聞が事故当日の防犯カメラ映像を入手して報じました。

映っていたのは、救助された生徒が次々と救急車で運ばれていく場面です。

そして、引率の教員とみられる2人が、その様子を少し離れたところから眺めているだけだったと指摘されました。

生徒の安否確認や点呼をしている様子は、映像から確認できなかったといいます。

もうひとりの教員が現場に現れたのは、事故から1時間ほどたってからだったとも報じられました。

 

この映像が出たあと、批判が一気に集まりました。

「教師をする資格がない」

「引率の意味がない」

そうした言葉が、ネット上に並びます。

 

そして7月13日、亡くなった生徒のご遺族が、学校と運航団体の関係者あわせて11人を業務上過失致死傷などの疑いで刑事告訴しました。

学校側の4人は、校長、当時の学年主任、そして現場にいた引率教員2人です。

7月25日には、海上保安本部が学校を家宅捜索しています。

 

ご遺族が告訴に踏み切ったのは、当然のことだと思います。

娘さんが帰ってこなかった理由を知りたい。

誰が何を判断したのかを、法律の手続きの中で明らかにしてほしい。

会見でも、そう語られていました。

 

ただ、その結果として起きたことも、同時に見ておく必要があります。

組織が起こした事故の責任が、最終的には11人の個人の名前に割り振られていったということです。

 

告訴のあとには、週刊誌が「引率教員は有罪になるのか」という記事を出しました。

専門家が刑事責任の重さを論じ、記事の中では「まだ生徒の心の傷は癒えていない」という言葉も紹介されています。

亡くなった先生は、そういう記事を読める場所にいたということになります。

辺野古のボートだけ下見から外れていました

ここで、報告書が何を書いていたのかを見ておきます。

7月31日に公表された調査報告書は、218ページあります。

結論として、学校を運営する法人が生徒の安全に配慮する義務を果たしていなかったことを認めました。

理由として並んでいるのは、現場の先生の判断ミスではありません。

  • 危機管理マニュアルに校外活動の記載がなく、事前の備えについては一切定められていなかった
  • 天気を誰が確認し、出航をやめる判断を誰がするのかというルールがなかった
  • 生徒にも保護者にも、乗るボートが抗議船であることは説明されていなかった

つまり、現場の先生が判断するための材料も基準も、最初から用意されていなかったのです。

 

ここまでは、これまでも報じられてきたところです。

ここからが、報告書を開いて初めて知ったところです。

 

下見は、行われていました。

2025年8月4日から7日までの3泊4日で、教員3人と旅行会社の担当者が沖縄へ入っています。

 

ただ、研修旅行3日目のコース別学習は、全部で7コースあります。

教員3人で7コースを回ることはできません。

それは、みんなわかっていました。

それなら手分けして別行動を取ればいい。

人数を増やしてもいい。

報告書によれば、そのどちらも一度も話に出ていません

下見に出せる教員は、予算の都合で3人までと決まっていたからです。

しかも下見の目的そのものが、旅程が時間どおりに進むか、集合場所や移動経路に問題がないかという運営面の確認でした。

安全の確認は、下見の主な目的には入っていなかったと報告書は書いています。

 

それでも、学年主任は気にしていました。

海の上でやるプログラムだけは、現地を見ておいたほうがいいのではないか。

時期を空けて2回、同じことを相談しています。

 

「辺野古には行かなくていいのか」

 

返ってきた答えが、報告書にそのまま残っていました。

「去年と全く同じやり方をするなら、行かないこともあり得る」

3日目は7コースに分かれるので全部の下見はできない、だから去年とやり方を変えないものから外していくのは当然だと思う——。

 

このやりとりのあと、辺野古のボートコースは下見の対象から外れたままになります。

報告書はこの受け答えを「助言」と書き、前年踏襲という発想から抜け出せなかったと認定しました。

そして、これは2025年に始まったことではありませんでした。

報告書によれば、2023年度から3年続けて、このコースの安全性は一度も検証されないまま実施されています。

 

そこで報告書が使ったのが、「他人任せの連鎖」という言葉でした。

安全の確認を自分の仕事だと思っている人が、どこにもいなかったということです。

事故のあと担任に残ったのはひとりでした

ここまで読んで、こう思った方もいるはずです。

結局その先生にも責任はあったんじゃないのか、と。

 

報告書を読むかぎり、あります。

行かなくていいと答えたのは、その人でした。

 

ただ、報告書を最後まで読むと、その人がどんな場所にいたのかも見えてきます。

 

報告書でA7と呼ばれている教員は、2017年度に学年主任として、現地のガイドと反対運動の団体へ依頼状を出しています。

このコースの外との連絡役を、早い時期から引き受けていた人です。

2025年の下見に選ばれたのも、経験が豊富だからでした。

学年主任が「この人に見てもらおう」と選んだ、ということです。

コースの希望調査で辺野古が定員を超えたときも、調整に立ったのはこの人でした。

そのとき、「きれいな海が見たい」と言っている生徒がいることを耳にします。

それで、生徒への連絡にこう書きました。

主な目的は「きれいな海を見る」ことではなく、基地建設と、それに反対する人が対峙する「現場」を見ることです——。

そのうえで、「そんなコースだとは思わなかった」という人には変更を認めると伝えています。

生徒が何を見に行くのかは、ちゃんと気にしていた人だったということです。

 

そして事故の日。

船に乗る前の集会で、ガイドの話がこれまでの年より踏み込んだ内容になっていることに気づいています。

そのときのことが、報告書にこう残っていました。

違和感は覚えたけれど、現場で生徒の対応に追われていて、その場で意見を述べることはなかった、と。

 

事故のあとのことも書いてあります。

あの旅行に行った生徒たちが3年生に上がるとき、人事と授業の都合で、同じ先生を担任のまま残すことが難しかった。

その結果、担任として持ち上がったのは、この教員ひとりだけでした

 

船に乗った生徒たちを、いちばん近くで見続ける役目です。

 

今回の訃報を受けて、ネットにこう書いた人がいました。

「担任団から降りられなかった先生か…」

 

この5か月半、その場所から降りることは、できなかったことになります。

校長は今月末で学校を去ります

では、その5か月半のあいだ、学校の側は何をしていたのでしょうか。

 

ご遺族は、直接の謝罪を受けられていないと会見で語っています。

学校の対応が後手に回っているという指摘は、事故の直後からずっと続いてきました。

 

踏切事故の2日後、8月25日にこんな投稿がありました。

学校の内情に近い立場の人が書いたもので、まだ誰が亡くなったのかを名指しせずに、こう記しています。

事故に対して何も感じていない教員もいるだろうけれど、人の心を持っているからこそ、一刻も早く謝りたいと願っている教員もいるはずだ、と。

それなのに事故から5か月以上たっても、それをさせない状態にしている管理職は罪だ——。

 

謝りたくても、謝りに行かせてもらえません。

そういう立場に置かれた人が、あの学校にいたということになります。

 

そして今週、学校の側の動きが続きました。

8月28日、同志社国際高校が今年度の沖縄研修旅行を取りやめる方向で調整していると報じられます。

40年以上続いてきた行事です。

平和教育の内容が政治的に偏っていなかったかを検証する外部の委員会も、新しく設けるとされています。

 

踏切事故が8月23日で、この報道が8月28日。

先生が亡くなってから、5日後のことでした

 

もちろん、この2つに関係があるとは誰も言っていません。

中止の検討はもっと前から進んでいたのかもしれません。

ただ、5か月半動かなかったものが、このタイミングで動いたという事実だけは残ります。

 

そして、いちばん引っかかるのがここです。

その学校の校長が、8月末で退任することになりました

今月いっぱいで、学校を去るということです。

理事長も辞任の意向を示していると報じられています。

 

ここで、まだ説明されていないことを並べてみます。

  • 安全の確認が、どこで抜け落ちたのか
  • 7つのコースを教員3人で見るという枠を、誰がいつ決めたのか
  • 国に「政治的に偏っている」と判断された学習が、なぜ長く続いたのか
  • 船を出していた団体と、学校はどういう関係だったのか

2025年の研修旅行では、支払いの領収書が抗議船を運航していた団体の名義になっていたことも確認されています。

どれも、責任者の口からは説明されていません。

 

そして8月30日、つまり今日、学校は保護者への説明会を開く予定です。

2学期以降の学校の運営と、校外活動の安全管理について説明する場だとされています。

退任の直前に開かれる説明会で、先生のことが語られるのかどうかは、まだわかっていません。

ひとりの人が背負う話ではありませんでした

この5か月半に起きたことを、もう一度並べてみます。

下見から外れたコースが前の年のまま決まり、判断の基準がないまま当日を迎え、船が転覆して17歳の生徒が亡くなりました。

そのあと映像が公開され、批判が集まり、告訴状に名前が並び、報告書が組織の問題を認定しました。

そして8月、引率していた先生のひとりが亡くなり、その5日後に研修の中止が報じられ、今月末で校長が退きます。

 

亡くなった生徒のご遺族の無念は、何ひとつ晴れていません。

真相を知りたいという訴えも、責任をはっきりさせてほしいという願いも、正当なものです。

そこは動きません。

 

ネットには、遺族の告訴が先生を追い詰めたのではないかと書く人もいます。

ただ、娘さんを亡くした方が理由を知ろうとするのは、誰にも責められないことです。

矛先をそちらへ向けるのは、違うと思います。

 

そのうえで、報告書を読み終えて残るのはこの一点でした。

下見に出せる教員を3人までと決めたのは、現場の先生ではありません。

7つのコースを3人で見るのは無理だと全員がわかっていたのに、増やす話は一度も出ませんでした。

3人しか行けないなかで、どれを外すかを聞かれたのが、いちばん経験のある人だったわけです。

経験があるというのは、去年も一昨年も何も起きなかったことを知っている、ということでもあります。

だから「去年と同じなら」という答えになったのだと思います。

その一言は、A7の発言として報告書に残りました。

3人までという枠を誰がいつ決めたのかは、218ページのどこにも書かれていません

 

いま「SNSの誹謗中傷が原因だ」という筋書きを、多くの人が出てくる前から拒んでいます。

この先生を追い詰めたものは、たぶん学校の中にありました。

 

今日の説明会で、学校が何をどう語るのか。

そこは見届けたいところです。

 

亡くなられた先生のご冥福をお祈りいたします。

 

※もし今、ひとりで抱えきれない気持ちを持っている方がいたら、「こころの健康相談統一ダイヤル」(0570-064-556)や「よりそいホットライン」(0120-279-338)で相談を受け付けています。