作家の村上龍が、2026年10月17日に自宅で亡くなっていました。

享年74歳。

訃報は10月23日に幻冬舎BOOKSの公式Xで伝えられ、ネットにはまず「え…」「まだお若いのに…」という短い声が並びました。

若いころに読んだ小説の題名を挙げる人もいれば、テレビ東京の『カンブリア宮殿』を思い出す人もいます。

毎週テレビで経営者の話に耳を傾けていた穏やかな聞き役と、ドラッグや暴力を書いた小説家が同じ人だと知って、驚いた人もいるかもしれません。

今回は、村上龍がどんな作家で何を残したのか、カンブリア宮殿の聞き役と過激な小説がどこでつながっていたのかまで、わかりやすくまとめていきたいと思います。

幻冬舎が伝えた10月17日の訃報

発表は、幻冬舎BOOKSの公式Xに置かれた「村上龍氏 ご逝去のお知らせ」という文章でした。

幻冬舎は、村上龍の『13歳のハローワーク』などを出してきた出版社です。

葬儀はすでに家族葬で済んでいて、弔問や香典、供花などは家族の希望で辞退するとのこと。

あわせて、遺族や近親者への取材や問い合わせは控えてほしい、というお願いも添えられていました。

 

そして、文章の後半には、幻冬舎から村上龍へ向けた言葉が並んでいます。

「『限りなく透明に近いブルー』 に始まり常に若い世代に向けて衝撃的な作品を発表し続けた村上龍氏の早すぎる逝去の報せを受け深い悲しみに堪えません」

結びは「時代のトップランナーとして疾走した同氏の安らかな眠りをお祈り申し上げます」という一文でした。

その文面のなかで、村上龍の作品の向きを言い表しているのが、「若い世代に向けて」という一言なんです。

 

トヨタ社長が覚えていた編集後記の一行

40代の人にとって、村上龍といえばまず浮かぶのはテレビの顔かもしれません。

テレビ東京の『カンブリア宮殿』は2006年4月に始まった経済番組で、村上龍は俳優の小池栄子とふたりでMCを務めてきました。

毎回ひとりの経営者をスタジオに招いて、会社の話や仕事の話を聞いていく番組です。

ネットにも「龍さんの顔を見ない週はなかった」と書いている人がいたほど、この番組は木曜の夜の定位置になっていました。

 

作家がなぜ経済番組に、と不思議に思った人もいるでしょう。

実は村上龍は、番組が始まる前の1999年から、JMM(Japan Mail Media)というメールマガジンを立ち上げ、雇用や金融の問題を論じてきた人でもありました。

小説の外でも、働くこととお金の流れをずっと追いかけていたんですね。

村上龍と小池栄子が番組を卒業したのは、2026年3月26日の放送です。

20年の節目の回で、4月からは作家の金原ひとみと、音楽クリエイターのヒャダインがMCを引き継いでいます。

その最後の回に、トヨタ自動車の豊田章男がメッセージを寄せていました。

豊田章男は2014年に番組へ出演していて、そのとき村上龍が番組の終わりの「編集後記」に書いた「車を愛する人がよい車を作る」という言葉が、「自分のそれ以降のぶれない軸になった」と話したそうです。

車が好きだということをずっと批判されてきた自分を、初めて褒めてもらえた、という話でした。

 

あの一行は、相手がいちばん大事にしている「好き」を、短い言葉にして返したものだったんです。

だからこそ、豊田章男はいまも胸に置いていたのでしょう。

当の村上龍は「覚えていない」とおどけて、小池栄子から「照れ屋さんなんだから~」と返されていたとのこと。

最後の放送も、いつものふたりの掛け合いのままでした。

同じ人が書いていた過激な小説

テレビでしか知らない人にとって、小説の中身はかなり意外かもしれません。

1952年に長崎県佐世保市で生まれた村上龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』は、1976年、武蔵野美術大学に在学中に書かれた作品です。

東京・福生の米軍基地に近い街で、ドラッグとロックに溺れていく若者たちを描いた小説で、群像新人文学賞と芥川賞を続けて受けました。

そのあとも、コインロッカーで生まれたふたりの少年を追う『コインロッカー・ベイビーズ』(1981年に野間文芸新人賞)、『愛と幻想のファシズム』『五分後の世界』と、穏やかな聞き役とは結びつかない作品ばかり。

訃報のあと、「『愛と幻想のファシズム』と『コインロッカー・ベイビーズ』はマジ傑作だから読んでない人は読むべし!」と薦める声も出ています。

読売文学賞、谷崎潤一郎賞、毎日出版文化賞、野間文芸賞、毎日芸術賞と、大きな文学賞も次々に受けていて、芥川賞の選考委員として若い作家の作品を選ぶ側にも立っていました。

ちなみに、名前が似ているので、村上春樹と混ざってしまうこともありますよね。

ふたりは親戚ではなく、ほぼ同じ時代に出てきたことで「W村上」と並べて呼ばれた、まったく別の作家です。

高校時代を描いた自伝的な小説『69 sixty nine』は、2004年に妻夫木聡の主演で映画にもなりました。

 

基地の街の若者、コインロッカーで生まれた子ども、学校に反抗する高校生。

小説の中心にいるのは、いつも大人の外側に置かれた若い人たちでした。

テレビの穏やかな顔とは、たしかに別人に見えてしまいます。

 

13歳のハローワークの帯に書かれた言葉

小説とテレビ、二つの顔のあいだに、もう一冊。

2003年12月に幻冬舎から出た『13歳のハローワーク』です。

その帯に、大きくこう刷られていました。

「〈いい学校を出て、いい会社に入れば安心〉という時代は終わりました。」

「好きで好きでしょうがないことを職業として考えてみませんか?」

花、動物、スポーツ、工作、テレビ、映画、音楽、おしゃれ、料理と、いろいろな「好き」を入口にして、514種の職業を紹介する図鑑です。

2010年には、職業を増やした『新13歳のハローワーク』も出ています。

 

いい学校を出るという決まった道ではなく、好きなことから仕事を考える。

豊田章男が胸に置いていた「車を愛する人がよい車を作る」も、好きなことが仕事の芯になる、という同じ考え方の上にある言葉に見えます。

さらに小説でも、2000年に出た『希望の国のエクソダス』で、80万人の中学生がいっせいに学校を捨てて、ネットで仕事を始めていく姿が描かれていました。

子どもが大人の用意した道から外れたとき、それでも食べていける場所はあるのか。

夢を持てと言わなかった作家

訃報のあと、村上龍が『おしゃれと無縁に生きる』(幻冬舎文庫)に書いた一節を、写真つきで紹介している人もいました。

成功した人は夢を持ち続けたから成功したわけではないし、「子どもたちに、夢を抱くことを結果的に強要することには違和感がある」という文章です。

写っているページの続きには、「社会に希望が充ちていれば、夢という言葉が多用されることはない」とまで書かれていました。

子どもに「夢を持ちなさい」と言ったことのある親には、少しどきっとする言葉ですよね。

 

そして村上龍は、夢を持てと言うかわりに、13歳には「好き」から仕事を探す図鑑を渡しています。

テレビでは豊田章男の「好き」を一行の言葉にして返し、小説では大人の用意した道の外にいる若い人たちを書いてきました。

テレビの穏やかな聞き役も、過激な小説の書き手も、若い人がこの国でどう生きのびて、どう働くのか、という同じ問いを、それぞれの場所で考えていたのだと思います。

 

幻冬舎が訃報の文面に「常に若い世代に向けて」と書いたのも、うなずけるところです。

小説でも図鑑でもテレビでも、若い人に向けて書き、語り続けてきた人の新しい言葉が、もう届かないと思うと寂しくてなりません…。

心よりご冥福をお祈りいたします。