2026年9月1日、福島大学のホームページに1本の文書が出ました。

題は「本学を取り上げたインターネット動画について」。

チャンネル名も、出演者の名前も書かれていません。

それでも、その日のうちに何の話なのかは全員へ伝わりました。

 

きっかけは、学歴をいじって笑いを取るYouTubeチャンネル「wakatte.TV」が8月28日に公開した福島大学の動画。

その中で出た「福島大には触らせたくない」という一言でした。

学歴をネタにすること自体は、このチャンネルが何年も続けてきたやり方です。

それなのに、今回だけ大学のトップが名前を出して動きました。

 

今回は、福島大の学長が声明を出した理由と、wakatteが踏んだ一線について、わかりやすく解説していきたいと思います。

学長声明が最初に守ったもの

炎上のニュースとして見ると、まず「大学が怒った」と受け取りますよね。

ところが声明を開いてみると、怒りの言葉がほとんど見当たりません。

文書は令和8年9月1日付で、国立大学法人福島大学の学長・佐野孝治の名前が入っています。

書き出しは、動画に「本学の学生及び教育研究活動に関し、配慮を欠くと受け取られかねない発言があったことを確認しております」という確認から。

 

偏差値の話は1行も出てきません。

「国公立の最下位」と揶揄されたことへの反論も、どこにも見当たらないんです。

代わりに置かれていたのが、この一文でした。

「こうした教育・研究活動に真摯に取り組んでいる学生・教職員が、尊厳を傷つけられることがあってはならないと考えております」

守りにいったのは大学の格ではなく、そこで学んで働いている人たちのほうなんです。

 

そして声明は、もう一段だけ先へ進みます。

最後の段落が、これでした。

「なお、本件に関連し、特定の個人に対する誹謗中傷や不適切な言動を行うことのないよう、併せてお願いいたします」

抗議の文書の末尾で、抗議した相手を叩かないでくれと頼んでいるわけです。

報道によれば、大学は自分の学生に対しても、SNS上での反論や拡散を控えるよう呼びかけたとのこと。

あわせて、つらくなったら相談窓口を使ってほしいという案内も出したそうです。

傷つけられた側なのに、最初にやったのが火消しでした。

うまく言えないのですが、この順番にいちばん背筋が伸びます。

 

大学はさらに、チャンネル側と「連絡を取っておりません」とも答えたそうです。

抗議先へ直接ぶつけるより先に、内側の人を守る手を打った形。

声明の温度が低いのは、怒っていないからではありません。

怒りを、いちばん効く一箇所だけに絞ったからだと思います。

福島大が15年やってきた研究

では、その「いちばん効く一箇所」はどこだったのか。

声明の真ん中に、こういう段落があります。

「福島大学は、東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故以降、地域の皆様をはじめ、国内外の大学・研究機関等と連携しながら、福島の復興と地域課題の解決に向けた教育・研究に取り組んできました」

続けて、こうです。

「とりわけ、原子力災害や環境放射能に関する研究は、福島の経験を科学的に検証し、その成果を国内外に還元していくための重要な研究活動です」

 

ここが、今回の件のいちばん大事なところ。

福島大学には、環境放射能研究所という専門の研究所があります。

設置されたのは2013年7月で、原発事故を受けて作られた組織です。

国内外の研究機関と組んで調査を続けていて、大学院には環境放射能を学ぶ専攻まで置かれています。

つまり「放射能とか原子力」は、この大学にとって外から持ち込まれた話題ではありません。

事故のあと15年、ずっと引き受け続けてきた本業のほうなんです。

大学を選ぶとき、偏差値だけで行き先を決めた人ばかりではありません。

ここでしかできない研究があるから来た、という学生が必ずいます。

 

声明の言い方も、よく読むと控えめではありません。

「福島の経験を科学的に検証し、その成果を国内外に還元していく」と書いてあります。

起きてしまったことを、世界が使えるデータへ変えていく仕事だと言っているわけです。

やりたくてやったわけでもない役目を、大学が引き受けてきた15年でした。

研究というのは、成果が出るまでに何年もかかるもの。

15年という数字は、その場所から逃げなかった年数でもありました。

 

ここを知ると、問題の場面の見え方が変わります。

報道によれば、動画の中で放射能の研究を「福島ならでは」と語っていたのは、取材を受けた学生のほうだったとのこと。

自分の大学で学べることとして、学生が差し出した話です。

そこへ返ってきたのが「福島大には触らせたくない」でした。

 

しかも動画のタイトルには、「震災復興・放射線研究」という言葉が自分たちで入っていたと報じられています。

何を扱っている大学かは、看板の時点で書いてあったわけです。

踏んだのは学歴ではなく別の線

ここで、擁護側の言い分にも一度立ってみます。

ネットでは「あれは学歴の話であって、被災や原発事故の話はしていない」という指摘がかなり出ていました。

これは的外れな擁護ではありません。

本人たちの頭の中では、たぶん本当にいつもの学歴ネタだったのだろうと思います。

ただ、いじりというのは、殴った側の意図ではなく当たった場所で決まるもの。

学歴差別と被災者差別のどちらなのかを言い分ける作業には、正直あまり意味を感じません。

 

学歴いじりが芸として成立していたのは、いじる対象が「本人が受験で取った結果」だからです。

点数も、合否も、本人が受け取った紙の話。

笑われた側も「まあ事実だしな」と流せる余地が、そこにはありました。

今回は、その手つきのまま「原子力研究」へ触れています。

その瞬間、いじられたのは偏差値ではなく、この大学が15年かけて積んできた仕事のほうへ入れ替わりました。

 

踏んだ線は、学歴の線ではありません。

学歴の話をしていたつもりで、そこで働いている人の職能を「任せられない」と言ってしまった。

だから学長は、偏差値への反論をせずに「教育・研究活動」と「尊厳」の2語だけで返したのだと思います。

 

もうひとつ、引っかかるところ。

「触らせたくない」という言い方は、触らせるかどうかを決められる立場の人が使う言葉です。

実際には、決める立場でもなければ、止められる話でもありません。

その研究は現に進んでいて、成果を国内外へ還元していくと声明にも書かれています。

勝手に立った審査員席から、すでに働いている人へ不合格を出した格好。

 

学歴という物差しは、入り口のところまでしか測れません。

いじりが侮辱に変わる3つの線

ここからは、今回の件を離れて使える話をしていきます。

「いじり」と「侮辱」の線引きは、職場でも家庭でも学校でも、たいてい後から揉めるところ。

今回の炎上を分解すると、線は3本ありました。

 

まず1本目は、笑いの的が「本人が選んだもの」か「引き受けたもの」かです。

自分で選んだ髪型や趣味をいじられても、たいていは笑って済みます。

一方、出身地・家族・体質・引き受けた役目のように、本人が選んでいないものは笑いに耐えません。

福島大の原子力研究は、後者の側にありました。

 

2本目は、その場にいない人まで巻き込むかどうか

目の前の1人へ向けた言葉でも、属性ごと殴ると、同じ属性の全員に当たります。

今回なら、カメラの前の学生だけでなく、研究室の教職員や卒業生、その研究を待っている地域まで射程に入りました。

学長声明の主語が「学生及び教職員」だったのは、そのためでしょう。

 

3本目は、断れる立場の差があるかどうか

キャンパスでカメラを向ける側と、通りがかりで向けられた学生では、その場を降りられる自由がまったく違います。

なお報道によれば、大学は撮影の申請について「申請はありませんでした」と答えたとのこと。

出演者は予備校に所属していると報じられていて、そこも効いています。

受験を教える側の人が、これから受ける側と同じ土俵で言い合っているように見えないからです。

 

この3本のうち1本でも越えていたら、それはもう、いじりと呼べる形ではありません。

逆に言えば、3本とも越えていない笑いは、案外そう簡単には燃えないものです。

この3本のいいところは、いじりの線を、相手の気持ちを察さずに引けること

その場で数えられる条件だけで判定できるからです。

もし自分がいじられる側に回ったときも、この3本は使えます。

笑って受け流すか、ここは違うと言うかを、その場の空気ではなく線で決められるからです。

「意図はなかった」が燃える理由

最後に、今回いちばん実用的だった部分へ行きます。

炎上そのものより、そのあとの4日間のほうが、正直こわいところがありました。

報道でわかっている流れを並べてみます。

  • 8月28日、問題の動画を公開
  • 8月31日、批判を受けて非公開に
  • 同日夜、注釈のテロップを付けて再公開
  • 9月1日、福島大学が学長名で声明
  • 同日、出演者が謝罪を投稿し、動画を削除

注目したいのは、8月31日夜の再公開です。

付けられた注釈には、震災や原発事故の被害、福島大学の研究や学びを揶揄する意図は一切ない、という趣旨が書かれていたと報じられています。

中身は変えずに、注意書きだけを増やした形。

そして翌日、出演者が投稿した謝罪文がこちらです。

読んでみると、謝っていない文章ではありません。

「学生の皆様の志に対する配慮が決定的に不足していた」と、はっきり書いてあります。

動画を削除することも、今後は同じことを起こさないことも、そこに並んでいました。

それでも女性誌の記事では「最低な謝罪文」という言葉が見出しに使われています。

謝罪文のほうが、もう一度ニュースになってしまった形です。

 

ここが、直感と逆になるところ。

謝罪文の良し悪しを見分ける物差しは、たぶん3つで足ります。

  • 相手が失ったものが書いてあるか
  • 次にどうするかまで書いてあるか
  • 意図の弁明が先頭に来ていないか

今回の文章は、1つ目と2つ目を満たしていました。

外れたのは3つ目だけ。

書き出しが「私たちの言葉足らずな表現により意図とは異なる形で多くの方に伝わってしまい」で、そのすぐ後にも「揶揄・差別する意図によるものではありません」と続きます。

意図の話が、2回とも先に置かれていました。

 

意図の説明は、読む側には「中身は間違っていなかった」という主張に届きます。

悪いのは伝わり方でした、という形になる。

すると、受け取った側が過剰に読んだせいだと言われた気持ちになります。

そこから先の行は、もう頭に入りません。

だから、配慮が足りなかったという肝心の一行まで届かなかった。

 

この物差しは、自分が謝る側に回ったときにも使えます。

言いたくなるのは、たいてい「そんなつもりじゃなかった」のほう。

けれど、その一言を先に置いてしまうと、あとに続く何行も読まれなくなる。

これは謝罪の技術というより、順番の問題だと思います。

 

学歴の話で笑うこと自体が全部だめだとは、僕は思いません。

ただ今回いじられたのは偏差値ではなく、15年かけて積み上げられてきた仕事のほうでした。

言葉足らずでした、で片づく話ではないと感じてしまいます。

軽い気持ちで触った話の向こうに誰かの15年があること、忘れずにいたいところですね。