8月26日の朝、ヒマラヤの氷河とその下の岩盤がまとめて崩れました。

崩れた氷と岩は水と土砂に変わって、ネパールと中国の国境沿いの町や村を押し流しています。

ネパール当局が28日の夕方に出した数字は、亡くなった方が579人。

行方の分からない方は1924人です。

この濁流から生きて逃げた人のなかに、国境の税関で働いていた50歳の男性職員がいます。

ブルームバーグが29日、その証言を伝えています。

本人いわく、逃げ出すのに使えた時間はおよそ15秒。

この人はその15秒で、目の前の道ではなく山の斜面へ走っています。

いっぽう私たちが揺れを感じたときに教わってきたのは、その場から動かないことです。

教わってきた行動と、証言に残っている行動が、まるで逆を向いていました。

今回はその15秒に何が起きていたのかを追いかけながら、同じことが日本の谷や川でも起きるという話まで見ていきたいと思います。

生存者が語った15秒の中身を分解してみる

男性が最初に気づいたのは、目の前のキーボードが揺れ始めたことでした。

窓の外でも、空でもありません。

手元です。

そのとき体に届いていたのは、じつは風でした。

本人の言葉では「まるで竜巻が起きているような」「ヘリコプターが着陸するときに感じるような」強烈な風だったそうです。

その約10秒後に、揺れと轟音が続きます。

「辺りは水しぶきやほこり、土ぼこりが入り交じり、すさまじい音がしていた」。

わけが分からないまま外へ飛び出すと、数秒後、高さ1.5メートルほどの水の壁が迫ってくるのが見えました。

そしてこの人は、山に向かって一目散に走ります。

道でも建物でもなく、とにかく高いほうへ体を向けたわけです。

 

途中で転んで頭を打ち、木につかまって体を起こしながら、およそ1.5キロを登り続けたそうです。

「あの15秒の間に走り出せた人は助かった」と、この人は振り返っています。

こうして証言が読めるのは、ネパール側だからです。

同じ谷の中国側からは、生存者の話がひとつも出てきていません

あの15秒を語れる人は国境の向こうにも大勢いたはずで、そのわけは中国側の被害だけが出てこない件をまとめた記事のほうに書きました。

 

届いた順番を並べると、風、揺れと轟音、そして水。

水が見えたのは、外へ出たあとでした。

つまり水を確認してから逃げ場を探していたら、間に合っていません。

目で見えた時点では、もう選べる行動が残っていないのです。

私たちが災害の映像を見るとき、どうしても「水が来る場面」から想像してしまいます。

でも実際にその場にいる人にとって、水は結末のほうでした。

何が崩れて何が流れたのか、災害そのものの経緯はネパールの洪水が想像の100倍ヤバいので情報をまとめてみたのほうで詳しくまとめています。

ラスワとヌワコットの映像です。

茶色い水が家の高さを越えて動いていて、川の輪郭がどこにあったのかも分かりません。

揺れを感じた人が地震だと思うのは当たり前

山の上で氷河と岩盤が崩れたとき、その衝撃はマグニチュード5.2に相当する揺れとして観測されました。

ただし震源は地下ではありません。

地表で起きた崩落が、地面を揺らしただけです。

とはいえ、その場にいる人に区別はつきません。

手元が揺れれば、誰だって地震だと思います。

実際、税関にいた人たちも「最初は地震か、上の山から岩が崩れ落ちてきたのかと思った。それとも洪水なのか」と、その場で推測し合っていたそうです。

 

ネットにも、こんな声が出ていました。

「津波の場合は地震が起こるので、少しは身構えることが出来そうだけど、今回の洪水は多分いきなりだったと思う」

これが今回のいちばん厄介なところを言い当てています。

私たちにとって揺れは「これから何かが来る」の合図です。

地震が来て、それから津波を警戒する。

ところが今回の揺れは合図ではなく、災害そのものが動き出した音でした。

しかも、教わってきた行動が逆を向いています。

地震の正解は、その場で頭を守って揺れが収まるまで動かないこと。

土石流や鉄砲水の正解は、その場から離れること。

ふたつの正解は、真逆でした。

訓練どおりに机の下へ入った人ほど、その10秒を使い切ってしまう。

山あいや谷の底にいるときだけは、揺れたあとに外の音を聞くという一手を挟む。

それが、地震と崩落を分ける唯一の手がかりになります。

日本のSNSで「ネパールの洪水」として広まった防犯カメラの映像は、じつは国境の反対側にある中国側の吉隆口岸で撮られたものです。

水はネパールへ入る前に、まずここを通っています。

最初の合図はいつも音のほうから届く

この「音が先に来る」という順番は、ネパールだけの話ではありません。

国土交通省や気象庁が土砂災害の前兆としてあげているものを並べてみると、驚くほど今回と重なります。

山鳴りや地鳴りがする。

斜面から小石がぱらぱらと落ちてくる。

立木が裂ける音や、石どうしがぶつかる音が聞こえる。

雨が降り続いているのに、川の水位が急に下がる。

川の水が濁って、流木が混じり始める。

腐った土のようなにおいがする。

これらに共通しているのは、どれも見に行かなくても分かる合図だということです。

雨のたびに「川を見に行った人が戻ってこない」というニュースが流れます。

あれは不注意というより、目で確認しないと判断できないと思い込んでいるからなのでしょう。

今回の15秒が教えてくれるのは、その逆でした。

音とにおいと水位。

この3つで動ける人は、水が見える前に動き始められます。

とくに雨なのに水が減るという現象は、上流のどこかで川がせき止められているサインなので、覚えておいて損はありません。

そしてもうひとつ、日本で見落とされがちなのが夜の時間帯です。

土砂災害は夜から明け方にかけて起きることが多いのに、暗くなると目で拾える情報がほぼゼロになります

つまり夜の谷では、音とにおいだけが残された合図ということ。

寝る前に窓を少し開けて音を通しておくだけでも、気づける確率は変わってくる。

15秒では判断できないから15秒前に決めておく

判断をするには、情報と時間の両方が要ります。

15秒には、そのどちらもありません

だから、その場でどうするかを考えるという設計そのものが成り立たないのです。

 

ネットでいちばん多く見かけたのも、じつはこの引っかかりでした。

「多くの人が川沿いを走って濁流に追いかけられる形になっていました。どうして高いところに逃げないのか不思議に思いながら見てました」

流されたのは市場と住宅と工事現場、つまり川に沿って並んでいた場所ばかりです。

では、なぜ川沿いを走ってしまうのでしょうか。

人は逃げるとき、まず道を走ります。

そして谷の道は、川に沿って通っているのです。

逃げようとして道を選んだ瞬間、水と同じ線の上に乗ってしまう

不思議でも不注意でもなく、道のかたちがそうさせています。

 

そしてもうひとつ、私たち自身に返ってくる指摘も出ていました。

周りを見回して「みんなはどうするのかな」と確かめてから動く癖。

迷ったらまずスマホで調べようとする癖。

どちらも普段は安全側に働く習慣ですが、15秒の前ではそのまま時間切れになります。

証言の男性がやったのは、その道を外れて斜面へ入ることでした。

横へ逃げるのではなく、上へ逃げる。

東日本大震災のあとに「とにかく高いところへ」がくり返し語られてきたのと、まったく同じ話になります。

 

着いた時点で決めておくことは、そんなに多くありません。

逃げる方向は、川や沢に対して直角に、高いほうへ

建物の中にいるなら、外へ出るより上の階へ

土石流は水だけでなく岩と流木を連れてくるので、1階は最初に潰れる場所です。

キャンプ場や河原の駐車場では、車を停めた時点で高いほうを一度見上げておく

もう少し前の段階でできることもあって、日本には土砂災害警戒区域という指定があります。

自治体のハザードマップを開けば、自宅も職場も、よく行くキャンプ場も色分けされて出てきました。

指定されている場所にいるときだけ、上の判断を先に済ませておく。

すべての場所で身構えるのは現実的ではないので、絞ったほうが続きます。

同じ濁流のなかで、残った建物と流された建物が分かれました。

何が明暗を分けたのかは、現地の調査が入るまで分かりません。

ただ、周りが平らになったあとにぽつんと残っている姿を見ると、立っている場所と足元の作りは無関係ではなさそうだと感じます。

日本の谷にも同じ仕組みの湖ができる

今回の災害には、まだ終わっていない部分があります。

崩れた氷と岩が川をせき止めて、上流に新しい湖ができました。

28日にはチベット側でその湖から水があふれ、新たな洪水への警戒が呼びかけられています。

読売新聞によると、この中国側でも5人が亡くなり、500人を超える人の行方が分かっていません。

読売新聞は28日、崩れたのがおよそ2キロにわたる氷河や岩だった可能性を伝えました。

そのなかで専門家は、温暖化による洪水の実例が現れてしまったのかもしれないと話しています。

つまりこれは、遠い国の特殊な地形の話では終わりません。

 

2011年の紀伊半島大水害では、奈良県と和歌山県の山で深層崩壊が起き、崩れた土砂が川をふさいで天然のダムがいくつもできました。

国土交通省はこれを河道閉塞と呼んで、決壊したときに水が届く範囲を計算し、緊急情報として自治体へ知らせる仕組みを作っています。

このときはふさがれた川の下流で、住民の避難が数か月続いた場所もありました

雨がやんで空が晴れても、上流に湖が残っているかぎり危険は続いたまま。

日本の土砂ダムがどれくらい危ないのかは、土砂ダムの決壊がなぜ怖いのかをまとめた記事のほうでも触れています。

 

そして今回の数字についても、はっきり書いておきます。

亡くなった方の数は、これからかなり増えます

理由は2つあります。

ひとつは、映像を見れば分かるとおり、水が通ったのが山道ではなく町だったこと。

市場も、宿も、国境の検問所も、人がいる場所ばかりが流れています。

もうひとつは数字のほうで、行方の分からない方が1900人を超えているのに対して、救助された方の数がまるで追いついていません。

せき止め湖の危険で捜索そのものが中断する日もあり、まだ数えに行けていない場所が残っている状態です。

 

15秒のあいだに正しく判断するのは、誰にもできません。

できるのは、その場所に着いた時点で逃げる方向を決めておくことだけです。

次に沢沿いのキャンプ場や河原の駐車場へ車を停めるとき、降りたその足で高いほうがどっちかを一度だけ見上げてみてくださいね。