クラスで学級委員を決める投票をして、ひとりが2位の倍の票を集めたとします。

ふつうなら、その人で決まりだと思いますよね。

ところが東京大学の次の総長選びでは、票が半分だった人が選ばれました。

 

2026年9月28日、東大は次期総長の予定者に藤垣裕子教授を選んだと発表しています。

教職員による意向投票では、1位の染谷隆夫副学長が1107票、藤垣教授は553票でした。

翌日には、関芳弘文部科学相も「なぜそのような判断をしたのか、学内にしっかり説明する必要がある」と話したそうです。

ネットでは、多数決の否定ではないか、結局は女性枠なのか、という声が広がりました。

投票で負けた人が選ばれるなんて、そもそもアリなのでしょうか。

今回は東大の件を入り口に、国立大学のトップが決まる仕組みを、わかりやすく解説していきたいと思います。


1107票と553票で何が起きたのか

今回の総長選びは、春から時間をかけて進められてきました。

推薦で名前の挙がった候補を、会議が書類と面接で絞り込み、最後に残ったのが5人です。

候補ごとに所信表明の動画も用意され、そのうえで意向投票が行われたのが9月28日の午前でした。

投票できるのは、教授や准教授、部長級や課長級の職員たち。

このうち部長級と事務の課長級は、今回から投票に加わった顔ぶれです。

1回目で過半数を取った人がいなかったため、上位3人で2回目の投票が行われました。

 

その2回目で、染谷副学長が過半数の1107票、藤垣教授は553票で2位、3位の山本隆司理事・副学長は451票という結果です。

ところが同じ日の午後、総長を決めたのは「総長選考・監察会議」という別の会議でした。

協議は午後1時ごろから夜9時ごろまで続き、選ばれたのは2位の藤垣教授だったとのこと。

東大新聞によると、意向投票で1位ではない人が総長に選ばれたのは、総長を選挙で決める仕組みができて以降、初めてとみられるそうです。

女性が総長になるのも、東大では初めてになります。

 

会議が公表した理由は、文理融合や学内外のコミュニケーションを通じて「より開かれた大学に向けた変革を実現する十分な能力を持っている」というもの。

翌日の会見で、会議の国谷裕子議長は、批判がまったく無いとは思わないとしたうえで「大きな問題が生じるとも思いません」と話しています。

性別については、会議の中で議論の対象にならなかったとも説明していました。

藤垣教授本人は、この得票について「学内の4分の1に所信表明動画でのメッセージが届いていることに自信を持っています」と話しています。

これにはネットで、裏を返せば4分の3は選んでいないということでは、という反応も出ていました。

それでも、倍の票差がひっくり返ったのは事実です。

投票した2000人あまりの気持ちを思えば、モヤモヤが残るのも当然だと思います。


学長を選ぶ法律に投票は出てこない

では、投票で負けた人を選ぶのは、ルール違反にならないのでしょうか。

違反にはなりません。

国立大学のトップの選び方は、国立大学法人法という法律の第12条に書かれています。

中身は、学長は文部科学大臣が任命すること、その前に「学長選考・監察会議」が選考すること、の2つが柱です。

会議のメンバーは、大学の外から招いた委員と、学内の教員などの委員を、同じ人数ずつ集めて作る決まり。

東大では、この会議を「総長選考・監察会議」と呼んでいます。

しかもこの法律には、「投票」という言葉が一度も出てきません。

意向投票は、それぞれの大学が自分で決めて続けている聞き取りなんです。

 

それでも、東大にとっては重みのある聞き取りでした。

東大新聞によると、教授たちの選挙で総長を決める形は、大正時代の制度改革で始まったとのこと。

それが「選挙」から「意向投票」へ呼び名を変えたのは、国の法改正で会議の権限が強められたあとだそうです。

長いあいだ「選挙」と呼ばれてきたものは、呼び名とともに、会議が参考にする意見という扱いに変わっていきました。

東大自身も以前の報告書で、過半数が出るまで投票を繰り返すこの仕組みを、「総長のリーダーシップを支えるプロセス」として大事にしてきたと書いています。

今回は、まさにその仕組みどおりに過半数を取った人が出ていました。

それが選ばれなかったのですから、学内の人ほど重く受け止めているのも無理はありません。


投票によらず選べと書いたのは国

意向投票の結果に縛られずに選ぶように、とはっきり書いた文書があります。

文部科学省と内閣府、それに国立大学協会の3者がまとめた「国立大学法人ガバナンス・コード」です。

ガバナンス・コードというのは、国立大学の運営の仕方をまとめた指針のようなもの。

法律のような強制力はありませんが、守らない項目があればその理由を説明する約束になっています。

2024年の改訂版にある、学長の選び方の一文がこちら。

学長選考・監察会議は、(中略)意向投票によることなく、自らの権限と責任において慎重かつ必要な議論を尽くし、適正に選考を行い、基準、選考結果、選考過程及び選考理由を公表しなければならない。

出典:国立大学法人ガバナンス・コード(文部科学省・内閣府・国立大学協会、2024年7月1日改訂)補充原則3-3-1①

文部科学省自身が名を連ねた文書に、「意向投票によることなく」と書いてあるんです。

 

この件は、会議が勝手に投票をひっくり返した話に見えます。

実際には、国がすすめてきた「投票に縛られない選び方」が、東大でも形になった出来事でした。

1位が選ばれなかった理由を仕組みの側から言えば、会議が投票を判断材料のひとつとして扱い、自分たちの基準で選んだから。

そう聞くと、今回の文科相の注文は、ちぐはぐに見えるかもしれません。

 

それに、東大だけの話でもなくて。

京都大学ではこの6月、教職員の意向調査で3位だった立川康人副学長が次の総長に選ばれ、10月1日に就任します。

得票率はおよそ21%で、京大の職員組合は「冒とくと評さざるをえない」とまで書いた抗議声明を出しました。

東大新聞が伝えた学生記者の話では、京大の会見で選考会議の議長が数問に答えただけで席を立ち、3位の人をあえて選んだ理由の説明はなかったそうです。

近年は千葉大学や新潟大学でも、1位ではない候補が学長に選ばれたと東大新聞は伝えていました。

長崎大学のように、意向投票そのものをやめてしまった大学も。

投票の1位がそのまま選ばれない場面は、これからも各地で出てくると考えておいたほうがよさそうです。


同じ一文に理由の公表も書いてある

ただ、ガバナンス・コードのあの一文は、そこで終わっていません。

「意向投票によることなく」のすぐあとに、「基準、選考結果、選考過程及び選考理由を公表しなければならない」と続いているんです。

法律の側も、同じ組み立て。

法律の細かい決まりを定めた施行規則は、学長を選んだら「当該者を選考した理由」と「選考の過程」を公表するよう定めています。

コードはさらに、人事の話であることを考えつつも「できるかぎり具体的な内容の公表に努めるべき」としていました。

 

つまり国のルールは、投票に縛られなくていい代わりに、理由をきちんと説明しなさい、という2つで1組なんです。

そして、最後に学長を任命するのは文部科学大臣その人なんですよね。

文科相の言葉も、任命する立場から理由の説明を求めたものとして読めます。

実際、関文科相は「選考理由と選考過程をしっかり説明していくことなどが、選考会議が確実に説明責任を果たしていくことにつながると思う」とも話していたそうです。

東大は、選考結果と一緒に理由と過程をまとめた文書を公表済み。

その前半には、近年ガバナンス上の課題が相次いで表に出ていることが書かれていて、大学への信頼を取り戻す力を重く見たことは読み取れます。

東大では今年1月にも、医学部をめぐる収賄事件で総長が謝罪会見を開いていました。

藤垣教授の長所も、ていねいに並んでいます。

科学技術を社会に伝えるコミュニケーション力、文理融合、学内外の対話、国際経験、といった具合です。

一方で、倍の票を集めた候補よりなぜ優先したのか、という比べ方の説明は見当たりません。

選考過程の欄も、日程と票数と「意向投票の結果を総合的に考慮して」という一文まで。

しかも東大が去年の暮れに決めた「求められる総長像」には、「組織構成員の幅広い支持を受け」という項目が入っていました。

1107票と553票の差を、この項目でどう受け止めたのか。

いちばん知りたいところだけが、ぽっかり空いたまま。

 

東大は同じころ選考のやり方も見直したばかりで、その資料には「情報提供及び説明責任の強化」という言葉が何度も出てきます。

候補者の所信表明を動画で配るようにしたのも、投票する人が「十分な情報を得て責任ある投票を行えるようにするため」でした。

投票する側には判断材料を渡したのに、その投票をどう読んだかは、まだ返ってきていないんです。

東大の総長選考・監察会議は、これまでの会議の議事録も原則として公開してきたとのこと。

28日の長い話し合いがどこまで書き残されるのかも、見ておきたいところ。

 

そして説明が足りないとき、いちばん困るのは選ばれた本人かもしれません。

ネットには、あいまいな説明のままでは初の女性総長が「女子枠総長」と呼ばれてしまう、と心配する声もありました。

理由が語られない空白は、たいてい憶測で埋まっていきます。


地元の国立大学でも確かめられる3つの紙

ネットでは、税金が入っている国立大学なのだから国民にも納得のいく説明を、という声もありました。

実はその説明の材料は、もともと誰でも読める形で出すことになっています。

東大にかぎらず、どの国立大学でも次の3つは表に出す決まりです。

  • 求める学長像(選ぶときの基準)
  • 選考の結果と、選んだ理由
  • 選考の過程

ガバナンス・コードに沿って運営しているかどうかの報告書も、各大学が自分のサイトに載せています。

母校や地元の国立大学の名前に「学長選考」と足して検索すると、たいていこの3つにたどり着けるはずです。

意向投票を続けているのか、やめたのか、その大学の姿勢も、そこに表れているもの。

 

東大の藤垣教授は、文部科学大臣の任命を経て2027年4月に第32代総長に就く予定です。

国谷議長は会見で、選考プロセスの透明化と選考理由の明確化で理解を得たい、という考えを示していました。

選び方そのものは、国が決めたルールのとおり。

問われているのは、誰を選んだかよりも、1107票と553票の差をどう考えて選んだのか、その説明です。

その説明を東大がどんな言葉で出してくるのか、しばらく見守りたいところですね。