スマホを持ち上げると、画面がすっと開きます。

暗証番号を打った記憶は、もう何日も前かもしれません。

その「顔で開く」という仕組みをめぐって、9月18日、ひとつの記事がネットで広がりました。

容疑者のスマホのロックを解除するために、警察が令状を取って、強制的に顔認証や指紋認証をさせているという内容です。

そういう捜査のやり方が、一部で使われ始めているとのこと。

返信欄はすぐに割れました。

「これは違法行為でしょ。黙秘権守れよ」という声の隣に、「裁判所が令状で許可出してるからね」「黙秘権関係ないやろ」が並びます。

もうひとつ、どちらとも違う書き込みが混じっていました。

「逮捕された時には電源落としましょう」「視線合わせないと解除できないオプション入れたらええのに」。

自分の端末を心配している人たちです。

 

今回は、この話で実際に何が起きているのかと、法律がどこに線を引いているのかを、わかりやすく整理していきたいと思います。

そして最後は、今日のうちにできる設定の話です。

注射痕を調べるための令状が、スマホに使われるまで

もとになっているのは、朝日新聞の記事でした。

デジタル版が8月12日に出て、同じ取材の記事が9月18日にも配信されています。

見出しは「「強制的にスマホ顔認証」警察の捜査で新手法 「行きすぎ」懸念も」。

 

無料で読める範囲に書かれていたのは、こういう話です。

  • スマホのロックを解除するため、容疑者に令状を取って強制的に生体認証をさせる捜査手法が、警察の一部で使われ始めている
  • スマホ内のデータを遠隔で消去できる技術が発達していて、それに対応するための手法とみられる
  • 容疑者への暴行につながったケースもあり、専門家は安易な運用に警鐘を鳴らしている

ここで出てくる令状が「身体検査令状」でした。

裁判所が出すもので、記事によれば、薬物事件で体の注射痕を調べたり、傷痕を調べたりするのが一般的な使い方だとのこと。

体にあるものを見るための令状、というのが本来の姿ということになります。

それが、スマホを開けるためにも使われ始めていました。

 

この実態が見えたのは、大阪地裁であった刑事裁判の証言です。

違法スカウトグループ「ナチュラル」の関係者の家を、大阪府警の捜査員らが捜索したときのことでした。

その場で捜査対象者を殴ったなどとして、特別公務員暴行陵虐罪に問われた裁判です。

警察官などが職務の中で人に乱暴をしたときに問われる罪でした。

その被告人質問で、府警の元巡査部長が「顔認証でロックを解除するための身体検査令状を取得していた」と証言しています。

令状には「検査の条件」として、顔をスマホに近づけて静止させることが書かれていたそうです。

 

元裁判官の岡口基一さんも、18日の朝にこの記事を取り上げていました。

「黙秘権守れよ」と「黙秘権関係ない」のどちらが正しいのか

返信欄でいちばん多かったのが、この対立です。

では、条文はどちらを向いているのでしょうか。

 

黙秘権のもとになっているのは、憲法38条1項です。

条文はとても短い一文でした。

「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」

刑事訴訟法にも、同じ言葉が並んでいました。

198条2項は、取り調べの前に「自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない」と定めています。

裁判になってからの311条1項は「被告人は、終始沈黙し、又は個々の質問に対し、供述を拒むことができる」。

3本とも、繰り返し出てくるのは同じ言葉でした。

供述、供述、供述。

どの条文も守っているのは、口から出てくる言葉です。

 

つまり、パスコードや暗証番号は、この線の内側に入ります。

数字を口で言う行為は、供述そのものだからです。

弁護士の髙野傑さんも、6月の投稿で同じことを書いていました。

いっぽうで、顔はどうでしょうか。

顔は、自分が口にする言葉ではありません。

そこにある体の状態です。

 

弁護士法人若井綜合法律事務所の若井亮弁護士は、9月14日のコラムで、この違いをはっきり書いていました。

黙秘権が守っているのは、話さない自由です。

自分に関わるものを調べさせない自由までは、保障しません。

 

そう読むと、返信欄の言い合いは、どちらも半分ずつ当たっていたことになります。

「黙秘権守れよ」は、パスコードについてなら正しい指摘。

「黙秘権関係ないやろ」は、顔についてならその通りです。

同じスマホの中身の話をしているのに、開け方が違うだけで、話が別の場所へ行ってしまいます。

では顔は取り放題なのか

黙秘権の外にあるなら、警察は何をしてもいいのか。

そういうことではありません。

 

刑事訴訟法197条1項には、ただし書きがついています。

「強制の処分は、特別の定めのある場合でなければ、これをすることができない。」

嫌がる人に無理やり何かをするなら、その根拠になる条文が要る、という決まりでした。

では、その条文はどれなのでしょうか。

 

根拠として挙げられることがあるのが111条1項です。

差押えや捜索の令状を執行するときは「錠を外し、封を開き、その他必要な処分をすることができる」。

錠と封。

どちらも、金庫の鍵や封筒の糊を思い浮かべる言葉です。

 

もうひとつ、218条4項には、身体を拘束されている容疑者に対してできることが並んでいました。

指紋の採取、足型の採取、身長の測定、体重の測定、写真の撮影。

裸にしない限り、この5つに令状は要らないと書かれています。

 

指紋も足型も身長も体重も写真も、ひとつずつ名前が書いてありました。

ところが、顔でスマホを開ける行為の名前は、どの条文にも出てきません。

 

書いてあるのは「供述」で、「指紋」「足型」「身長」「体重」「写真」で、そして「錠」と「封」。

いま起きていることだけが、そのどれにも名前を持っていません。

朝日新聞の見出しに「行きすぎ」という言葉が入っていたのは、たぶんこのあたりと関係しています。

 

ちなみに、この手法は今日はじめて出てきたものではありません。

弁護士の髙野さんが同じ説明を書いていたのは、6月のことでした。

新しいのは手法ではなく、裁判の証言として表に出てきたことです。

まぶたをこじ開ける、という言葉が出てきた理由

「視線合わせないと解除できないオプション入れたらええのに」という書き込みがありました。

これ、実はもう入っています。

 

アップルの公式サイトには、Face IDの説明としてこう書かれていました。

「Face IDは、目が開いていて、意識してデバイスを見ているかを認識します。つまり、あなたの知らないうちに(寝ている間などに)、誰かがデバイスのロックを無断で解除することは困難です。」

寝ている人の顔にスマホを向けても、開きません。

目を閉じていれば、そのまま。

持ち主が起きていて、自分の意思で画面を見ていることを、端末が確かめる作りになっています。

 

この仕組みがあるから、大阪の裁判の話がああいう形になりました。

記事の本文は有料なので、確かめられるのは各社が立てた見出しまでです。

 

読売新聞オンラインの見出しは「警察官4人は男性の両まぶたを押し上げて携帯電話に近づけたか、検察側が初公判で指摘…顔認証システムでも解除できずに暴行」。

MBSニュースの見出しは「元警察官「男性が暴れスマホ当たった」 一方立ち会った警察官は「手のスナップをきかせスマホで殴打」と証言」。

産経新聞の見出しは「「スマホのロック解除のため」家宅捜索中に暴行、大阪府警の元巡査部長に有罪判決」。

判決について、読売新聞オンラインは「身体的な強い苦痛のみならず精神的にも大きな恐怖や屈辱感」という言葉を見出しに立てていました。

 

まぶたを押し上げる、という話がなぜ出てくるのでしょうか。

目が閉じていると開かないからです。

端末が「本人の意思」を確かめようとした結果、本人の意思を外からこじ開ける動きが生まれています。

そして裁判所は、そこで起きたことを暴行だと判断しました。

作った側は「顔は鍵の代わりではない」と書いている

こうした話が出てくると、生体認証そのものが危ないもののように見えてきます。

ところが、作っている側の説明を読むと、話はもう少し正確になりました。

 

アップルのセキュリティガイドには、こう書かれています。

「Optic ID、Face ID、およびTouch IDは、ユーザのパスコードまたはパスワードに取って代わるものではありません。代わりに、適度な使用範囲と時間の制約の中でデバイスへのアクセス方法を提供します。」

顔は、鍵そのものではありません。

鍵を毎回出さずに済ませるための近道として用意されています。

同じページには、強力なパスコードこそがデータの暗号化保護の基礎になる、という説明も添えられていました。

 

顔認証は、他人にスマホを開けられないための仕組みとしては、いまも十分に強いままです。

落としたスマホを拾った誰かは、あなたの顔を持っていません。

弱くなるのは、持ち主が目の前にいて、しかも自由に動けないときだけでした。

 

そうなると、この件はやりすぎかどうかの話ではなくなります。

実際に線を引いていたのは、法律ではなく、自分がどちらの鍵をかけていたかです。

口で言う鍵なら黙秘権が届き、顔で開く鍵には届きません。

条文がそう決めたのではなく、そこまでしか書いていないからでした。

今日のうちに触れる設定

では、何ができるのでしょうか。

やれることは、思っているより地味です。

 

アップルのセキュリティガイドには、Face IDやTouch IDが使えず、パスコードの入力が必ず求められる場面が列挙されていました。

  • デバイスの電源を入れた直後、または再起動した直後
  • 48時間以上デバイスのロックを解除していない場合
  • いずれかの音量ボタンとスリープ/スリープ解除ボタンを2秒間同時に押したままにしてから「キャンセル」を押して、電源オフまたは緊急SOSを終了したとき
  • 生体認証に5回失敗したとき
  • デバイスがリモートのロックコマンドを受け取ったとき

返信欄にあった「逮捕された時には電源落としましょう」は、いちばん上の項目を指しています。

電源を入れ直した最初の1回は、顔でも指紋でも開きません。

 

3つめの項目は、覚えておくと役に立つはず。

音量ボタンとサイドボタンを2秒ほど同時に押し続けると、電源オフと緊急SOSの画面が出ます。

そこで「キャンセル」を押して抜けるだけで、次のロック解除にはパスコードが要る状態になりました。

画面を切ることも、通報することもなく、鍵の種類だけを戻せるわけです。

 

アンドロイドにも似た機能があります。

Google Pixelのヘルプによれば、ロックダウンをオンにすると、指紋によるロック解除や、信頼できる場所での自動解除を一時的にオフにできるとのこと。

その場かぎりで、鍵の種類を戻せる機能です。

機種によって置き場所が違うので、「ロックダウン」という言葉で端末の設定を検索してみてください。

 

いちばん強いのは、顔認証も指紋認証も使わず、長いパスコードだけにしてしまう方法です。

返信欄にも「パスワード12桁+顔認証切るのが令和の最適解」と書いている人がいました。

ただし毎日のことなので、そこまでやるかどうかは生活との相談。

自分が何を守りたいのかで決めれば、それでいいはずです。

名前が書かれていない場所

この件には、確かめられないままのことがいくつか残っています。

全国の警察がどのくらいこの手法を使っているのか。

身体検査令状で顔認証まで許されるという読み方が、この先も通るのかどうか。

弁護士の解説を読むかぎり、憲法38条をどこまで当てるかにも幅があって、答えはまだ出ていません。

 

ただ、ひとつだけ動かないことがあります。

法律には、指紋も足型も身長も体重も写真も、名前が書いてありました。

書かれていないのは、いま実際に起きている行為です。

 

名前が付いていない場所では、線がどこにあるのかを、誰も正確には言えません。

その線の内側に自分の生活を置いておきたいなら、今夜スマホを手に取って、電源ボタンと音量ボタンを2秒だけ一緒に押してみてくださいね。

この記事で参考にした情報

  • 朝日新聞「「強制的にスマホ顔認証」警察の捜査で新手法 「行きすぎ」懸念も」(2026年8月12日配信・同じ取材の記事が9月18日にも配信。無料で読める範囲)
  • 日本国憲法38条1項、刑事訴訟法111条1項・197条1項・198条2項・218条4項・311条1項の条文
  • 読売新聞オンライン・MBSニュース・産経新聞が、大阪府警の捜索時の暴行事件について立てた見出し
  • アップルの「Appleプラットフォームのセキュリティ」(Optic ID、Face ID、Touch ID、パスコード、パスワードの項目)と、Face IDについての案内
  • Google Pixelヘルプの画面ロックの設定(ロックダウンの項目)
  • 弁護士法人若井綜合法律事務所・若井亮弁護士のコラム(2026年9月14日)

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