子ども用ハーネスはかわいそう?飛び出しの統計が示す答え

2歳の息子さんを育てている女性が、子ども用ハーネスを使うのをやめました。
道具が壊れたわけでも、息子さんが急に聞き分けよくなったわけでもありません。
外出先で、すれ違った人からこう言われたからだそうです。
「犬じゃないんだから」
「かわいそう」
この女性の息子さんは、道路へ突然飛び出したり、人混みで手を振り払って走り出したりする子だと報じられています。
何度もヒヤリとして、次は事故になるかもしれない、と思うようになった末に選んだのがハーネスでした。
それが、通りすがりの一言でバッグの中へ戻ってしまったとのこと。
ハーネスの賛否は、話題になるたびに同じ言葉がくり返されてきました。
ペットみたいで見苦しい、親が目を離さなければいいだけ。
今回は、その言い分に警察庁の統計がどんな答えを出しているのかを見ていこうと思います。
バッグから出せなくなったハーネス
報道によると、この女性はいまもハーネスを持ち歩いているそうです。
ただ、バッグから出すことができないでいるとのこと。
使わないと決めたのではありません。
人の目が気になって、使えなくなってしまったというほうが近いのだと思います。
子どもが小さいころの外出を思い出すと、この感覚はよくわかる気がしますね。
ベビーカーを押していれば声をかけられ、抱っこしていれば抱き癖がつくと言われます。
自分の育児はいつもどこかで採点されている、という感覚が親になった瞬間からついてまわるものです。
だから道具ひとつへの一言が、育児そのものへの評価に翻訳されて刺さります。
報道でも、この女性が自分の子育てまで否定された気持ちになったと伝えられていました。
ハーネスを否定されたのではなく、母親としての判断そのものを否定されたということ。
この2つは、言った側にはたぶん区別がつきません。
けれど、言われた側にはまるで違う重さで届きます。
言った側は一言、言われた側は毎日の外出。
そもそも、この女性がハーネスを使い始めたのは、思いつきではありませんでした。
息子さんは活発な性格で、道路へ突然飛び出すことがあったと報じられています。
人混みでは、つないでいた手を振り払って走り出すこともあったそうです。
何度もヒヤリとする場面を経験したうえで、悩んだ末に選んだのがハーネスだったとのこと。
順番でいえば、危険が先にあって、道具はあとから来ています。
すれ違った人が見たのは、その順番の後ろ半分だけでした。
飛び出しは未就学児の事故で最多
では、その危険はどれくらいのものなのでしょうか。
警察庁の統計を見ると、輪郭がはっきりしてきます。
集計されたのは、2019年から2023年までの5年間の数字でした。
歩行中の交通事故で亡くなったり重傷を負ったりした未就学の子どもについて、原因の内訳が出ています。
いちばん多い原因は飛び出しで、187人と全体の36.4%を占めていました。
次に多かったのは、保護者が付き添わずに1人で歩いていたケースで、95人の18.5%となっています。
この飛び出しという言葉は、統計の上では特別な行動を指していません。
信号のない道をふいに渡ったり、駐車場で車の陰から出てきたりする場面のこと。
どれも、買い物や散歩の途中に普通に起きる場面です。
日常の道で起きているところが、この数字の怖さだと思います。
つまり、3件に1件以上が飛び出しから起きているというわけです。
この女性の息子さんがしていた行動は、まさにこの187人と同じ形をしています。
次は事故になるかもしれないという不安は、思い過ごしではありませんでした。
統計のいちばん大きな山の、その手前に立っていたことになります。
幼児の事故を法令違反の側から見た資料も、同じ方向を指していました。
ひとり歩きが35.1%、飛び出しが20.1%で、合わせると全体の半分を超えています。
子どもが大人の管理の外へ出た瞬間に、事故はまとまって起きているというわけです。
ここで、冒頭の言い分をもう一度見てみましょう。
「親が目を離さなければいい」
この言い分は、子どもが親の目の届く範囲から出ていかないことを前提にしています。
けれど飛び出しは、目を離した瞬間だけでなく、手をつないだ状態からでも起きるものでした。
手を振り払って走り出す、というのがまさにそれにあたります。
子どもは止まりたくないわけじゃない
ではなぜ、2歳の子どもは飛び出してしまうのでしょうか。
取材に答えていた臨床心理士の方の説明が、とても腑に落ちるものでした。
子どもは止まりたくないのではなく、急には止まれないのだそうです。
ここ、さらっと読み飛ばしてしまいそうになるところですね。
大人は、危ないと思った瞬間に足を止められます。
脳が指令を出して、体がそれに従うまでの時間が短いからです。
ところが2歳の子どもは、その回路がまだできあがっていません。
走り出した体は、呼ばれても、叱られても、すぐには止まらないということ。
大人が思っている止まれは、子どもにとっては急ブレーキに近いものです。
ここを取り違えると、話がややこしくなります。
止まらない子を見ると、大人はどうしてもしつけの問題だと考えがちです。
言うことを聞かない子、親が甘やかしている、という筋書きが自然に立ち上がります。
けれど専門家の説明では、これはしつけの前の段階にある体の話でした。
そう考えると、ハーネスの役割も違って見えてきます。
言うことを聞かせる道具ではなく、止まれない体のブレーキを外から足すものだったわけです。
取材に答えた専門家は、ハーネスそのものについてもこう答えていました。
まったくかわいそうではなく、むしろ子どもの命を最優先に考えた正しい行動なのだそうです。
かわいそうと言った人が見ていたもの
ここまで並べてくると、ひとつ引っかかることが出てきます。
飛び出しは統計でいちばん多い原因で、2歳の体はまだ急に止まれません。
それなのに、すれ違った人はハーネスを見て「かわいそう」と言いました。
この人は、うそをついたわけでも、意地悪をしたかったわけでもないのだと思います。
取材に答えた専門家も、ハーネスが子どもを拘束しているように見えた可能性を挙げていました。
ハーネスが一般的でなかった時代に子育てをした人には、必要性が実感しにくいとも話しています。
そのうえで、あの一言が出てきた瞬間に何が起きていたのかを考えてみましょう。
あの人が見ていたのは、目の前のこの母子ではなかったのだと思います。
頭の中にいる、呼べば止まる子どもを見ていました。
呼べば止まる子なら、ひもは要りません。
手をつなぐだけで足りるし、それができない親は手を抜いているように見えます。
その子は、実際に歩いていた2歳の息子さんとは別の子どもでした。
頭の中の子どもは、いつでも呼べば止まります。
その子を基準にすると、ハーネスはどうしても過剰な道具に映るはずです。
けれど基準になった子どもは、この世のどこにもいませんでした。
ここが、この話のいちばん厄介なところです。
言葉のコストがいちばん低い人が、結果をいちばん重く引き受ける人の手を止めました。
すれ違いざまの一言には、責任が1グラムも発生しません。
すれ違った人は、その日のうちにこの母子のことを忘れたはずです。
もし息子さんが車道へ走り出しても、その場にはいません。
けれど言われた側は、それからずっとハーネスを出せずにいます。
取材に答えた専門家は、最後にこう話していました。
子どもの命を守るのは社会全体の役目で、この母親が1人でがんばらないといけないわけではない、と。
社会全体で守るという言葉のいちばん反対側にあったのが、あの通りすがりの一言でした。
今日から遊びでできる止まる練習
とはいえ、ハーネスを使うか使わないかだけの話でもありません。
取材に答えた専門家は、家庭でできる工夫もいくつか挙げていました。
どれも道具を買い足さずに、今日から始められるものばかりです。
ひとつ目は、出かける前に子どもの欲求を満たしておくこと。
運動不足や疲れ、眠気、空腹といった不満を先に解消しておくと、問題行動が起きにくくなります。
公園で先に走らせてから買い物へ行く、というだけでも違ってくるそうです。
買い物の前に公園へ寄るのは、遠回りに見えて実は近道だったりします。
ふたつ目が、遊びの中に止まる練習を入れておくこと。
電車ごっこや信号ごっこに、ストップとゴーを混ぜるやり方が挙げられていました。
急に止まれない体に、遊びの回数で止まり方を覚えさせていくという発想です。
できたら褒める、をくり返すうちに、危ない場面での反応が変わってくるといいます。
3つ目は、絵本やアニメを使って交通ルールを話題にすること。
ここでのコツが、なかなか面白いところでした。
教え込むのではなく、ちゃんと止まってるねと実況中継するように言葉にするのがいいそうです。
できていない場面ではなく、できている場面のほうに言葉をつけていきます。
そして最後に、気になったらすぐ相談していい、とも話されていました。
行動の度合いは考えなくてよくて、少しでも気になったら園の先生に聞いてみるのがいいそうです。
相談していい水準かどうかを、親が自分で判定しなくていいということ。
これは、ハーネスをめぐる話とも地続きになっているところですね。
ひとりで抱えている親ほど、外からの一言で判断が揺れてしまいます。
ハーネスをめぐる賛否は、これからも定期的にくり返されるのでしょう。
ただ、その議論の外側で、今日も誰かが手をつないで道を歩いています。
この母親がもう一度ハーネスを出せるかどうかは、たぶん道具の性能では決まらないでしょう。
すれ違う人が、何も言わずに通り過ぎるかどうか。
それだけのことでした。
今度ハーネスをつけた親子とすれ違ったら、僕は黙って道をあけようと思います。
