2026年9月26日ごろから、順天堂大学の附属病院、いわゆる順天堂病院で受けた診療について、Xに体験談が次々と投稿されています。

誤診された、救急で冷たい言葉をかけられた、出産のときの対応がつらかった。

読んでいるうちに、自分や家族が病院で言われたひと言を思い出してしまった人もいるのではないでしょうか。

これだけの話が、どうして今まで表に出てこなかったのか。

体験談への返信には「医療事故は殆どが泣き寝入り」「裁判は難しいと聞きました」という声も並びました。

今回は、この件の現在地とその理由、そして病院で嫌な目にあったときの相談先を、わかりやすく解説していきたいと思います。


体験談が引用のたびに増えていく

どの投稿が最初だったのかは、はっきりしません。

体験談が引用されて広がるたびに、「私もあの病院で」という投稿が重なっていきます。

Xのトレンド欄には、「順天堂大学病院産婦人科の否定的体験談が相次ぎ注目」という項目まで立ちました。

 

ただ、中身は産婦人科だけにとどまりません。

救急外来や家族の通院、入院中の説明と、話はあちこちの診療科へ広がっています。

順天堂大学の附属病院は、東京・お茶の水の順天堂医院のほかにも各地にあり、投稿によってどの病院の話なのかもまちまちです。

引用されて広まった投稿の中には、すでに削除されたものもありました。

 

一方で、この流れに戸惑う声も出ています。

「どの病院もあるよね」と書いたうえで、大きな病院には重い病気の人が集まるぶん、望まない結果も多くなる、と添える人もいました。

病院の側はどうかというと、9月29日の時点で、順天堂医院の公式サイトのお知らせ欄に、この件についての掲載は出ていません。

大手の報道もいまのところ見当たらず、流れているのは一人ひとりの体験談で、どれも外から確かめる手立てがない状態です。

この記事は、順天堂という病院が良いか悪いかを判定しません。

体験談への返信でくり返されていたのは、「泣き寝入り」という言葉でした。


医療裁判で訴えが通るのは2割前後

「医療事故は殆どが泣き寝入り」「医者同士で庇い合うから裁判は難しい」。

こうした声は、ただの思い込みなのでしょうか。

数字を見ると、そう言いたくなる気持ちには、ちゃんと裏づけがありました。

 

最高裁判所が毎年公表している統計によると、1年に新しく起こされる医療の裁判は、最近は600〜700件ほどです。

判決までいった医療の裁判のうち、訴えが一部でも認められた割合は、ここ10年ほど2割前後で推移しています。

同じ地方裁判所の民事裁判全体で見ると、この割合は8割台です。

民事裁判全体には相手が争わないまま終わるものも含まれるので、そのまま並べることはできません。

医療の裁判だけが、ぐっと低いんですよね。

 

医療の裁判では、医師にミスがあったことと、それが今の結果を招いたことの両方を、訴える側が示さなければなりません。

カルテも検査の記録も、ふだんは病院の中にあるものなので、患者の側はそこからして手探りになります。

判決の前に、話し合いの和解で終わる裁判も少なくないそうです。

それでも、判決の場まで進んだときに患者側が言い分を通すのは、かなり難しいと言わざるを得ません。

 

かかる時間もちがいます。

裁判が終わるまでの平均は、医療の裁判がおよそ2年で、ふつうの民事裁判の2倍を超える長さです。

その2年のあいだ、仕事や子育てをしながら、つらい記憶を何度も話し直す日が続きます。

「もういい」と手を引く人が出るのも、無理はありません。

 

数字とは別に、医療者の側もまた、裁判の重さに身構えているようです。

患者の側は勝てないと嘆き、医療者の側は訴訟が続けば医者がいなくなると嘆く。

裁判という場所に行き着いた時点で、どちらにとっても、もう信頼が壊れてしまっているんですよね。

そして、裁判に進むのは、医療をめぐる困りごとのごく一部にすぎません。

今回流れてきた体験談の多くは、そもそも裁判の話にすらなっていないものでした。


法律の「医療事故」は死亡と死産だけ

では、裁判にしなくても、国が調べてくれる仕組みはないのでしょうか。

2015年10月に始まった「医療事故調査制度」がそれにあたります。

病院で医療事故が起きたら、病院は原因を調べ、第三者の機関へ報告しなければならない、という決まりです。

 

報告を受けるのは、医療法にもとづいて国から指定を受けた「医療事故調査・支援センター」(日本医療安全調査機構)。

報告の前には遺族へ説明することも義務づけられていて、遺族の側からセンターへ調査を頼むこともできると、同じ法律に書かれているんです。

ところが、この「医療事故」という言葉には、医療法の中でかなり狭い定義がついています。

第6条の10の定義は、こうです。

当該病院等に勤務する医療従事者が提供した医療に起因し、又は起因すると疑われる死亡又は死産であつて、当該管理者が当該死亡又は死産を予期しなかつたもの

出典:医療法 第6条の10(e-Gov法令検索)

法律でいう医療事故は、亡くなった場合か、死産の場合だけ。

しかも「予期しなかった」かどうかを判断するのは、病院の管理者、つまり病院のトップです。

後遺症が残ったとしても、命が助かっていれば、この制度の対象にはなりません。

誤診で別の病院を探し回った、救急で冷たく追い返された、検査を途中で放り出された。

こうした体験は、どれだけつらくても、法律の「医療事故」には入りません。

 

この点は、医療者の側からも指摘されてきました。

言い方は強めですが、「死亡しないと関われない」という部分は、条文の定義とぴったり同じです。

今回の体験談が今まで表に出てこなかった理由は、ここにあります。

生きている人の「おかしい」は、医療事故の制度に入りません。

受け止める窓口は別の条文に置かれていますが、医療事故の制度とは名前も入口もちがうので、つながって見えないんです。

 

行き場の見えない記憶が何年も残り、体験談が引用で広がったのをきっかけに、ようやく言葉になって出てきた。

何年たってもトラウマで救急車を呼べない、と書く人がいたのも、受け止める場所が見えなかったからなのかもしれません。

では、死亡事故ではない「おかしい」は、どこへ持っていけばいいのでしょうか。


泣き寝入りの手前にある相談先

行き先は、ちゃんとあります。

あまり知られていないだけでして。

裁判の手前に、無料で使える窓口と、患者の権利として決まっている手続きが用意されているんです。

大きく分けると、次の3つ。

  • 都道府県や市区の相談窓口
  • カルテの開示
  • 別の病院で診てもらうときの段取り

 

都道府県と市区にある医療安全支援センター

1つ目は、医療安全支援センター。

これも医療法に書かれた窓口で、第6条の13で、都道府県や保健所のある市、東京の特別区が設けるよう努めなければならないとされています。

法律に書かれている仕事は、患者や家族からの苦情に対応し、相談に応じることです。

そして必要に応じて、患者の側にも病院の管理者にも助言します。

相談の中身を漏らしてはならない、という決まりも同じ条文にありました。

全国のセンターの一覧は、国の事業として運営されている「医療安全支援センター総合支援事業」のサイトにまとまっています。

設置の数は、2025年7月1日の時点で全国390か所。

2024年度に都道府県のセンターが受けた相談は56,262件で、そのうち苦情は13,887件でした。

名前は聞いたことがなくても、毎日たくさんの相談が寄せられている窓口なのです。

 

ただ、センターは、どちらが悪いかを白黒つけてくれる場所ではありません。

話を整理する手伝いや、ほかの窓口の案内、病院への連絡が中心になります。

それでも、ひとりで病院に言いに行くのが怖いときに、第三者が間に入ってくれる意味は小さくないはずです。

受診した病院に「患者相談窓口」や「医療相談室」といった名前の窓口があれば、先にそちらへ話してみるのもひとつの手。

 

お金の話まで進めたいときは、弁護士会の「医療ADR」という話し合いの場もあります。

東京の三つの弁護士会では2007年9月に開設されていて、医療事件にくわしい弁護士が間に入り、申立ての手数料は1万円(税別)です。

東京以外にも医療ADRを設けている弁護士会はあるので、お住まいの地域の弁護士会に問い合わせてみてください。

 

カルテは理由を言わずに見せてもらえる

2つ目は、カルテの開示です。

自分のカルテは、個人情報保護法第33条にもとづいて、本人が開示を請求できます。

厚生労働省の「診療情報の提供等に関する指針」には、こんな一文がありました。

「申立ての理由の記載を要求することは不適切である」

なぜ見たいのかを、病院に説明しなくていい、ということ。

 

亡くなった家族のカルテも、配偶者や子、父母などの遺族が提供を求めることができると、同じ指針に書かれています。

費用は病院が決めて請求できるので、窓口で確認してみてくださいね。

開示を断る場合、病院は原則として、その理由を文書で示す決まりです。

群馬大学病院のように、入院中の患者がその場でカルテを見られるようにした病院もあります。

カルテには、その日の診察で医師が何を見て、どう判断したかが書き残されているもの。

あとから別の医師に見てもらうときも、相談窓口で話すときも、記憶だけで話すより、ずっと伝わりやすくなるはずです。

 

別の病院で診てもらうときに持っていくもの

3つ目は、別の病院で診てもらうこと。

医療安全支援センターの集計には、「セカンドオピニオン」(別の医師の意見を聞くこと)という相談の分類がわざわざ設けられています。

次の病院で同じ検査をくり返さないために、持っていきたいのが紹介状と、それまでの検査のデータです。

紹介状(診療情報提供書)は、いまの主治医に「別の先生の意見も聞きたい」と伝えれば書いてもらえます。

「言いにくい」と感じるかもしれませんが、別の医師の意見を聞きたいと伝えるのは、患者として当たり前のこと。

 

そして、どの窓口に行くにしても、いちばん役に立つのは自分で残したメモです。

残しておきたいのは、次の4つ。

  • 受診した日付
  • 医師の名前
  • 言われた言葉
  • そのとき自分がどう感じたか

その日のうちに書いておくだけで、何年たっても話がぶれなくなります。

 

今回の体験談のひとつひとつが本当かどうかは、外からは分かりません。

それでも、命が助かった人の「おかしい」が、法律の「医療事故」という言葉の外に置かれてしまうことは、条文から言えます。

病院で「おかしい」と感じたら、その日のうちに日付と言われた言葉をメモして、お住まいの医療安全支援センターの番号をスマホに1行入れておいてくださいね。


この記事で参考にした情報

  • 医療法 第6条の10・第6条の11・第6条の13・第6条の17(e-Gov法令検索)
  • 個人情報保護法 第33条(e-Gov法令検索)
  • 厚生労働省「診療情報の提供等に関する指針」
  • 最高裁判所「医事関係訴訟に関する統計」(令和7年は速報値)
  • 医療安全支援センター総合支援事業「医療安全支援センター設置状況(令和7年7月1日現在)」「令和6年度の相談件数について」
  • 東京弁護士会・第一東京弁護士会・第二東京弁護士会「医療ADR」の案内
  • 順天堂大学医学部附属順天堂医院 公式サイト(2026年9月29日確認)