家に置いてある生命保険の証券、最後に開いたのはいつだったか覚えていますか。

アメリカには、余命の短い人の生命保険を、本人がまだ生きているうちに買い取る商売があるそうです。

1億円の死亡保険金を受け取る権利を、6000万円で売る。

そんな話がネットで広がり、驚く声と一緒に、それって日本のリビング・ニーズ特約と同じでは、という声がたくさん並びました。

余命を告げられたあとの時間の使い方は、ネットでもよく話題にのぼります。

少し前には、亡くなった祖母が自分の最期の段取りを決めていった、という投稿にも大きな反響がありました。

お別れ会も、着せてほしい服も、本人が自分で決めていく。

それだけの時間とお金があるかどうかは、案外、入っている保険に〈生きているうちに受け取れる仕組み〉が付いているかで変わってくるもの。

今回は、生命保険の買取とは何か、日本のリビング・ニーズ特約と何が違うのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。

1億円の保険を6000万円で買う仕組み

命に値段をつけるのかと、最初は少しぎょっとしますよね。

ライフ・セトルメントと呼ばれるこの取引では、保険に入っている本人が、亡くなったときに死亡保険金を受け取る権利を、買い手に売ります。

買い手はその日から、本人の代わりに保険料を払い続け、本人が亡くなったときに保険金を受け取る側に回るんです。

売った本人は、生きているうちにまとまったお金を手にでき、それを治療費や生活費に回せる、という形。

ただ、1億円と6000万円の差は、まるごと買い手の儲けになるわけではありません。

本人が長く生きるほど、買い手が払う保険料はかさんでいきます。

裏を返せば、買い手は売った人が早く亡くなるほど得をする仕組みなんです。

居心地の悪さを感じるのは、ごく自然なことですよね。

ネットにも「本人にとっては残りの人生に使える資金を得る手段」「投資家にとっては他人の寿命を収益率に変換する金融商品」と書いた人がいました。

 

この取引がアメリカで広がったのは1980年代の終わりごろ、エイズが流行していた時期だったとされています。

若くして重い病気になり、医療費は大きくかかるのに、保険金は亡くなるまで受け取れないまま。

その間の治療費や生活費に困った人たちが、保険を売ってお金にしたのが、この商売の始まりでした。

いまでは、余命の短い人の保険を買う取引を「バイアティカル・セトルメント」、健康な高齢者が老後のお金のために保険を売る取引を「ライフ・セトルメント」と呼び分けることもあります。

 

州によっては、売る人を守るためのルールも整えられてきました。

メイン州やワシントン州などでは、保険をやめようとしている高齢の契約者に、売るという選択肢があることを保険会社から知らせるよう求める法律がつくられています。

売る側の手取りも、小さくはないようです。

日本でがん患者の保険の買取を始めたマネックスライフセトルメントは、自社の発表で、米国ライフセトルメント協会の調査として、2022年の買取金額の平均が保険を解約したときに戻るお金の約5倍だったと紹介しています。

買い取る側の会社が出している数字なので、そのつもりで読んでおくのがよさそうです。

日本の保険会社は最後の半年を先払いする

では、リビング・ニーズ特約と同じでは、という声は当たっているのでしょうか。

半分は当たっています。

リビング・ニーズ特約は、医師から余命6か月以内と判断されたときに、死亡保険金の一部または全部を生きているうちに受け取れる特約です。

国税庁の質疑応答に載っている例では、受け取れる額の上限は3,000万円で、特約の保険料はかからないとされています。

 

受け取ったお金は非課税ですが、使いきれずに残った分は、亡くなったときに相続税の対象になるそうです。

受け取った分だけ死亡保険金は減り、全部を受け取ると契約そのものが終わります。

特約を付けるための保険料はいりませんが、受け取るときには、前払いになる半年分の利息と、その間の保険料が差し引かれる仕組み。

半年後に払うはずだった保険金を、保険会社が前倒しで払ってくれる、という考え方です。

ネットでも「もし生命保険に入っていたらリビングニーズ特約つけておくと」と、この特約を教えている人もいます。

日本では、アメリカで第三者がやっている「先にお金を渡す」役目を、保険会社自身が引き受けてきました。

しかも、余命6か月以内という条件を決めたうえで、特約を付けるための保険料をとらずに。

だから、このやり方なら、誰かが他人の寿命で儲ける形にはなりません。

リビング・ニーズ特約が使えるまでの長い時間

ネットには「リビング・ニーズ特約は使えない程度の病状ってことなんかな」という声もありました。

リビング・ニーズ特約を使えるのは、余命6か月以内と判断されたときだけです。

がんと診断されて、治療を続けながら仕事を減らし、それでも医療費と生活費はかかっていく。

でも、そうした時期は、余命6か月と判断されるよりもずっと前から始まっています。

マネックスライフセトルメントも、自社の発表でこう書いていました。

「リビング・ニーズ特約は、病状がかなり進行してからでないと利用できず、必ずしも必要なタイミングで資金を得ることができないという問題もあります」

ほかにも、そもそも特約が付いていない契約や、やめても戻ってくるお金がない掛け捨ての保険では、生きているうちにお金にする道がかなり限られます。

 

生命保険の買取は、命を売る話に見えて、実は死亡保険金を〈いつ受け取るか〉を決める取引なんです。

日本の保険が特約で用意してきたのは、最後の半年の分だけ。

それより前の時期にお金にする道は、ずっと狭いままでした。

日本の保険買取は一度裁判で止まっていた

ネットには「このサービスは日本でもありますよ」という声も。

日本にも、たしかにあります。

ただ、始まったのはごく最近で、ここまでには長い足踏みがありました。

日本では2000年代に、生命保険の買取をめぐって裁判が起きたことがあります。

ある契約者が、保険の契約者の名義を買取会社に変えようとしたところ、保険会社が承諾しませんでした。

東京地裁、東京高裁と争われ、最高裁が上告を退けて、保険会社の判断が認められる形で終わっています。

保険会社が心配していたのは、保険が売り買いの対象になることで不正のおそれが増える点だったそうです。

 

そのあと長いあいだ、日本でこの商売が広がることはありませんでした。

動きが出てきたのは、ここ2年ほどのことです。

2024年7月、マネックスグループの子会社のマネックスライフセトルメントが、がん患者の生命保険を買い取る「マネックスの保険買取」を始めました。

2025年4月に公表された1件目は、企業が加入していた保険金4,000万円の保険を、2,650万円で買い取ったものだったそうです。

2026年5月の2件目は個人の契約で、保険金200万円、やめても戻ってくるお金がゼロの保険を、130万円で買い取ったとのこと。

その後の保険料も、買い取った会社が持つそうです。

会社のサイトには、60歳の人がステージ4と診断された場合の目安として、保険金1,000万円の契約で、がんの種類によっておよそ400万〜900万円という数字が並んでいました。

ただ、条件はかなり絞られています。

  • 対象はがん患者の死亡保険だけで、医療保険やがん保険は対象外
  • 契約から2年以上たっていることが必要
  • 家族や、いまの保険金受取人の同意が必要
  • 医師の診断書をとる費用は、買い取れなかった場合も自己負担
  • 受け取ったお金は、一時所得として確定申告が要る場合が多い

がんが落ち着いたときには、その時点の解約返戻金を払って契約を買い戻せる場合がある、という仕組みもあるとのこと。

買い取ったお金は貸付金ではないので、あとで保険金が支払われないことになっても、返す必要はないそうです(申告にうそがあった場合などは別)。

そのかわり、買取が決まったあとは、定期的に近況を会社へ知らせることになっています。

 

そして、いちばん驚いたのはこの会社のサイトの注意書きでした。

「通常は、保険を解約せず、最後まで契約を継続した場合のほうが金銭的には有利になることが多くなります」

「現在加入中の保険契約で、今すぐに保険金を受け取れる仕組み(リビング・ニーズ特約や重度がん保険金前払特約など)が利用できないかご検討ください」

自分のサイトで、買い取る側がまず手元の特約を確かめるよう呼びかけていました。

証券を開いたら確かめる3つの欄

ここまで読んで、自分の保険はどうなっているのだろうと気になった人もいると思います。

確かめるのは、次の3つです。

  • リビング・ニーズ特約が付いているか
  • 指定代理請求人が決めてあるか
  • 保険料が苦しくなったときに、解約以外の道があるか

なかでも知っておきたいのが、2つ目の指定代理請求人。

リビング・ニーズ特約の保険金は、原則として本人が請求するものです。

ところが治療の事情で、本人には余命や病名が伝えられていないこともあります。

そんなときに、あらかじめ指定しておいた家族などが本人の代わりに請求できるのが、指定代理請求の仕組みです。

生命保険文化センターによると、指定代理請求人は契約の途中でも、被保険者の同意があれば指定や変更ができます。

ただ、誰を指定できるかは保険会社によって違うので、証券や契約のしおりで確かめておくと安心ですね。

代理で請求して保険金が支払われても、保険会社からそのことを本人に連絡することはないそうです。

指定した人には、どんなときに請求できるのかを前もって伝えておくよう、すすめられています。

 

そして3つ目は、保険料の支払いが苦しくなったときの話です。

すぐ解約するしかないと思い込んでいる人もいるかもしれません。

生命保険文化センターの説明では、保険料の払い込みをやめて保障を小さくして続ける「払済保険」に変えても、リビング・ニーズ特約は続くのが一般的だそうです(戻ってくるお金が少ない契約では、変更できないこともあります)。

逆に、解約してしまうと、この特約も一緒に消えてしまいます。

やめる前に、変える道がないかを保険会社に聞いてみる価値はありそうです。

保険の見直しを発信している人も、最初にやることとして、証券を1か所に集めることを挙げていました。

なお、僕は保険の専門家ではないので、特約の上限や細かい条件は、契約している保険会社に聞くのがいちばん確実です。

 

1億円が6000万円になる話は、遠い国の少しこわい話に聞こえたかもしれません。

でも、そこまで考える前の分かれ道は、手元の証券に一行の特約があるかどうかでした。

次の休みに、引き出しの証券を1枚だけ出して、リビング・ニーズ特約と指定代理請求人の欄を探してみてくださいね。

 

この記事で参考にした情報

  • リビング・ニーズ特約の仕組み:国税庁「リビング・ニーズ特約に基づく生前給付金」(質疑応答事例)、生命保険文化センター「リビング・ニーズ特約」「保険料の払込みが困難になったときは?」
  • 指定代理請求:生命保険文化センター「指定代理請求制度って、どんな制度なの?」
  • 日本の保険買取サービス:マネックスライフセトルメント「マネックスの保険買取」公式サイト(保険契約の買取とは/よくある質問/保険買取金額の目安/保険契約買取の手順)、同社のプレスリリース(2024年7月11日・2025年4月16日・2026年5月7日)
  • 日本で過去にあった裁判:福島雄一「生命保険買取契約と保険者の同意についての一考察」(福島大学『行政社会論集』第20巻第2号)
  • アメリカでの成り立ちと州の法律:Encyclopaedia Britannica「viatical settlement」、Life Insurance International(メイン州・ワシントン州の法律についての記事)