初対面の相手に、主人公がこう名乗ります。

「上から読んでも下から読んでも南田南」。

そこから、回文の言葉が続きます。

キツツキ、トマト、スイス、子猫、新聞紙。

ふつうなら、ここは笑って受け取るところ。

ところが2026年9月19日の午前に予告映像が公開されたあと、タイムラインに並んでいたのは「なんか違う」のほうでした。

 

10月19日から始まるドラマ「南田南弁護士は天才肌」は、世界的にヒットした韓国ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」の日本版です。

主演の芦田愛菜が演じるのは、自閉スペクトラム症の新人弁護士。

その予告を見た人たちから、目の焦点が合っている、声の抑揚がふつうすぎる、という声が次々に上がりました。

その違和感がどこから来ているのか、今回はひとつずつ調べていきたいと思います。

 

予告の自己紹介に並んだ「なんか違う」

公開されたのは、ポスタービジュアルと予告映像の2つです。

ポスターは、通勤する人々のあいだを歩く南と、その周りを囲むたくさんのクジラという構図でした。

そして予告映像のなかで、南が「上から読んでも下から読んでも南田南」と名乗ります。

この一場面が、そのまま議論の的になりました。

「今のところ健常者にしか見えない」という短い一行が流れ、「上から読んでも下から読んでも南田南、ハキハキしすぎじゃね?」と続く。

別の人は、もっと具体的に書いていました。

「まず声の抑揚が健常者すぎる。もう少し演出に力を入れて欲しいと私も思います。声のトーンが一定で早口が多いかなと…」

 

こう書いた人たちは、この作品を嫌っているわけではありません。

むしろ逆で、本家を何度も見て、あの回文の自己紹介を覚えているからこそ、気づいてしまいます

ネットの反応を感情で分けて表示しているYahoo!リアルタイム検索で見ると、9月19日の夜の時点ではポジティブが63%、ネガティブが37%と出ていました。

数のうえでは、楽しみにしている声のほうが多い

そのなかで、一部の人が引っかかった場所は、きれいに一箇所へ集まっていたんです。

 

違和感は三つとも同じ場所を指していた

指摘されているのは、だいたい次の三つでした。

  • 目の焦点が合っている
  • 声の抑揚がふつうすぎる、トーンが一定で早口
  • ハキハキしていて、感情がありすぎるように見える

もうお気づきかもしれません。

三つとも、見え方と聞こえ方の話です。

南がどう困っているかでも、周りとどうすれ違うかでもなく、画面から受け取れる表面の部分を指す声ばかりでした。

 

もちろん、これは責められることではありません。

公開されたのは予告の映像で、そこから判断できるのは見た目と声しかないからです。

ただ、ひとつだけ引っかかる点がありました。

「目の焦点が合っているから疑問に思う」と書いた人が、自分でこう補足していたんです。

「自閉症はみんな焦点合ってないと言いたいのではなく、少なくともウヨンウはそういうタイプの自閉症だから。」

この一行が、いま起きていることをそのまま言い当てています。

比べられているのは、ASDという診断そのものではありません。

ウ・ヨンウという、一人の登場人物のほうでした。

 

国の説明に目線も声も出てこない

自閉スペクトラム症については、国が出している「発達障害ナビポータル」というサイトに、精神医学の専門家が書いた解説ページがあります。

そこに置かれている定義の一文が、これです。

「自閉スペクトラム症は、人生早期から社会的コミュニケーション及び対人的相互反応において持続的な困難があり、行動、興味、又は活動の限定された反復的な様式が認められる神経発達症の一つです。」

 

読点が多いので、ひと息に読むと形が見えません。

一つは、人とやりとりすることの持続的な困難。

もう一つは、行動や興味が限られていて、同じことを繰り返す様式。

書いてあるのは、この二つだけ。

そしてこの定義の段落には、目線も、声の高さも、抑揚も、話す速さも、一度も出てきません。

数えてみると、400字ほどの説明のなかに、そうした語は1つもありませんでした。

つまり国の説明が名指ししているのは、本人が何に困っているかであって、外から見てどう見えるかではありません。

 

同じページには、こんな一行もありました。

「自閉スペクトラム症の状態像は、年齢によって異なります。」

同じ人でも、年齢が変われば見え方が変わります。

それが、公的な資料が置いている前提でした。

 

そもそも、この名前の真ん中にある「スペクトラム」という言葉が、そこを言っています。

国立障害者リハビリテーションセンターの解説には、はっきり一行で書かれていました。

「スペクトラムとは『連続体』の意味」

長い線の上のどこかに、その人がいます。

「ここからがASD」という境目の絵ではなく、濃さの違う連なりとして名前が付けられている、というわけです。

 

みんなが当てていた物差しの正体

「ASDらしいかどうか」を判定するとき、私たちが当てていた物差しは、診断の説明ではありませんでした

パク・ウンビンが演じたウ・ヨンウという、たった一人の描き方です。

 

これは、私たちが不勉強だったという話でもありません。

そもそも手元に、ほかの物差しがありませんでした

自閉スペクトラム症の弁護士を主人公にした作品で、すぐ名前が挙がるものは、あの1本です。

1本しかなければ、2本目はそれと比べるしかありません

 

ネットには、その落とし穴をまっすぐ言葉にしていた人もいました。

「ウヨンウのような話し方じゃないから南田南は自閉症ではないというならば、もし日常生活でウヨンウとは違う自閉症の人から自分はそうだと伝えられたら、いやあなたはウヨンウっぽくない喋り方なので自閉症じゃないと思いますって言うんか?」

言い方は強めですが、指しているところは正確でしょう。

連続体という名前が付いているものに、代表選手を1人だけ立てて、そこからのズレで本物かどうかを決めてしまう。

それをドラマの中でやるぶんには、まだ批評です。

同じ物差しを現実の人に当てると、困りごとのほうが疑われます。

 

芦田愛菜が大切にしたいと言った一点

では、演じている側は何を考えていたのでしょうか。

リメイクが発表されたのは8月25日で、そのときに芦田愛菜のコメントが出ていました。

準備についての部分が、今回の話とぴったり重なります。

「自閉スペクトラム症に関する本を読んだり、監修の先生にお話を伺ったり、実際に発達障がいなどがある人たちのための学習塾に通ってさまざまな方とお会いしたりしながら、理解を深めていきました。その中で特に大切にしたいと思っているのは、『感情』の部分です。例えば、南の特性のひとつである反響言語にも、その言葉を口にする理由や思いがあるはずだと考えています。」

出典:TV LIFE web(2026年8月25日配信)

本を読み、監修の先生に聞き、実際に人に会いに行った。

そのうえで、大切にしたいのは「感情」の部分だと言っています

 

「めっちゃ感情あるように見えちゃう」「ハキハキしすぎじゃね?」。

批判が集まったのは、演じる側が発表の時点で狙いだと言っていた、まさにその場所でした。

 

反響言語というのは、相手が言った言葉をそのまま繰り返して言うことで、エコラリアとも呼ばれます。

国立特別支援教育総合研究所の解説にも、自閉症に見られることのある特徴として挙げられている言葉です。

それを芦田愛菜は、真似ているように見える動作としてではなく、その言葉を口にする理由として受け取りました

原作を好きだった理由についても、同じ向きのことを話しています。

「最初は『自閉スペクトラム症の弁護士・ヨンウ』として見ていたはずが、物語が進むにつれて、一人の人間として気づけば大好きになっていました。」

診断名から入って、一人の人間として終わります

その道筋を日本版でもやりたいと言っている人が、外から見た再現度を第一に置くとは考えにくいところです。

主題歌の紹介文にも、同じ姿勢が出ていました。

主人公に寄り添って書き下ろされた曲、という言い方です。

オープニング映像も、世界的に活躍するシシヤマザキが担当します。

作り手が並べているのは、南という一人をどう見せるかの話ばかりで、本家に何%似せたかの話ではないんです。

 

「また天才か」は8月から出ていた

この作品には、演技の見え方とは別の顔があります。

9月19日に始まったものではなく、8月の発表直後から出ていた声です。

 

8月25日にリメイクが発表されると、すぐに「また天才か」という反応が並びました。

「発達障害のドラマで特別な才能がある設定もうやめようや…」という一行も流れています。

発達障害の研究と制度を専門にしていると名乗る人も、「『また天才か』は正しい指摘」と書いたうえで、当事者や保護者からそうした声が出ていることに触れていました。

 

この違和感には、公的な資料にも裏付けがあります。

国立障害者リハビリテーションセンターの「みなさんに、わかってほしいこと」というページには、こう置かれていました。

「発達障害は、知的な遅れを伴う場合から知的な遅れのない人まで広い範囲をふくんでいます。」

東大法学部を首席で卒業し、司法試験にもトップで合格した人物です。

南田南はその「広い範囲」のいちばん端にいる一人で、そこにいる人ばかりではありません。

天才の物語ばかりだと、そこにいない人の日常が置き去りになります

その心配は、もっともです。

 

ただ、この点についても、先回りして書いている人がいました。

「本家と変わらなければ『突出した才能を持った自閉症の人が事件をどんどん解決する話』ではないので、誤解しないでほしい。自閉症の大変さや社会で生活することの難しさもちゃんと描かれると思うので、少しでも興味があったら観てほしいです!」

原作のなかには、特別な才能を持たない自閉症の人が出てきて、その親が主人公に向けてつらさを吐露する場面もあった、という指摘も出ていました。

つまり、「また天才か」に原作自身が一度手を伸ばしていたことになります。

日本版がそこをどう扱うかは、10月19日からの話。

 

法律が障壁と呼んでいるものの中身

もう一つだけ、見ておきたい条文があります。

発達障害者支援法という法律が置いている、「発達障害者」の定義です。

「発達障害がある者であって発達障害及び社会的障壁により日常生活又は社会生活に制限を受けるもの」

読み飛ばしそうになりますが、本人の特性だけでは定義されていません

特性と、社会的障壁。

その二つが合わさって制限が起きている状態を、法律は「発達障害者」と呼んでいます。

 

では、その社会的障壁とは何か。

同じ条文の次の項に、中身が書いてありました。

「日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの」

事物、制度、慣行、そして観念。

最後の「観念」というのは、平たく言えば、人々が頭の中に持っているイメージのことです。

段差や手続きと並べて、思い込みそのものに障壁という名前。

 

そして同じ法律は、支援について「社会的障壁の除去に資することを旨として、行われなければならない」とも書いていました。

取り除く対象のなかに、私たちのイメージも入っています

この作りを知ってから予告をもう一度見ると、風景は少し変わるはずです。

 

「ASDならこう見えるはず」という一本の物差しは、自分では正しさのつもりで持っています。

でもそれは、同時に誰かを測る道具。

だから、この1か月をどう過ごすかで、10月19日の見え方はけっこう変わってきます。

「これがASDだ」ではなく「これは南田南という一人だ」と置いて画面を見る。

それだけで、目線や声の高さではなく、南が何に困っていて、周りがそれをどう扱うかに、自然と目が移っていくはずです。

 

物差しは、増えたほうがいい。

1本しかないうちは、2本目が出てきたときに、必ず「違う」と言うことになるので。

月曜の夜10時に、その2本目が来ます。

どんな南田南になっているのか、共に確かめたいところですね。

なお、僕は専門家ではないので、ご自身やご家族のことで気になることがあれば、お住まいの自治体の窓口や発達障害者支援センター、かかりつけの医療機関へご相談くださいね。

 

この記事で参考にした情報

  • 作品情報(放送日・キャスト・ポスターと予告の公開、主題歌、オープニング映像)=ドラマ公式サイトおよび公式アカウント、マイナビニュース
  • 芦田愛菜のコメント=2026年8月25日の発表時に各社が配信した記事
  • 自閉スペクトラム症の説明=発達障害ナビポータル「自閉スペクトラム症」(2024年5月2日)
  • スペクトラムの意味、発達障害の範囲=国立障害者リハビリテーションセンター 発達障害情報・支援センター「各障害の定義」「みなさんに、わかってほしいこと」
  • 反響言語(エコラリア)=発達障害教育推進センター「自閉症」
  • 条文=発達障害者支援法(平成16年法律第167号)第2条、第2条の2