安倍元首相銃撃の映画化|菅田将暉の起用に反対が集まる本当の理由

2026年9月2日の昼前、東スポWEBが1本の記事を出しました。
安倍晋三元首相が銃撃された事件が、映画になるらしいという内容です。
しかも山上徹也被告を演じるのは菅田将暉ではないか、と書かれていました。
その日のうちに、この話はネットのあちこちへ広がっていきます。
反対の言葉は、そうとうな数になりました。
ただ、集まった声をひとつずつ読んでいくと、見えてくるのは想像とは少し違う景色。
今回はこの騒ぎで何が起きているのかを、話題を今日はじめて知った人にも伝わる形でわかりやすく解説していきたいと思います。
事務所は期日までに答えていない
最初に、どこまでが決まった話なのかを確かめておきましょう。
報じたのは東スポWEBの1社で、配信されたのは2026年9月2日の昼前でした。
中身は、制作会社のディレクターの話として「秋にもクランクイン予定」と伝えるものです。
山上被告の役については「菅田将暉(33)が務めるとの情報をキャッチした」という書き方になっています。
情報をキャッチした、というのは、決まりましたという意味ではありません。
実際その記事には、菅田将暉の所属事務所へ問い合わせたけれど期日までに回答はなかった、とはっきり書かれています。
つまり本人の側は、この時点でまだ何も答えていません。
最近になって菅田将暉が髪を伸ばしているのは、この作品のためらしい、という話も出ています。
ただしそれも、映画関係者の言葉として紹介されているだけでした。
制作会社の名前も、監督の名前も、いつどこで公開するのかも、記事には出てきません。
決まっているように読めるのは見出しの力で、本文が持っている事実はここまで。
それでも反応がここまで大きくなったのは、読んだ人が「もしそうなったら」を先に想像したからだと思います。
そして、読んだ人の想像のほうが、記事よりずっと具体的でした。
念のため、何があった事件なのかも並べておきます。
2022年7月8日、奈良市で街頭演説をしていた安倍晋三元首相が、手製の銃で撃たれて亡くなりました。
現行犯で逮捕されたのが、当時41歳だった山上徹也被告です。
判決が出たあとも被告と書くのは、まだ裁判が続いているからでして、この記事でもその呼び方でそろえます。
母親が入信した宗教団体への恨みが動機だと語られたことから、事件のあとは団体と政治のつながりのほうへ話が広がっていきました。
つまりこの4年、事件は「事件」としてだけ語られてきたわけではありません。
今回の映画化の話が神経に触れるのも、そこと地続きだと思います。
反対が集まったのは作品の中身ではない
こういう話が流れたとき、いちばん最初に出てくるのは、たいてい不謹慎だという声です。
今回もそれはありました。
ただ、大きくうなずかれていたのは、不謹慎かどうかではなかったんです。
何度も引かれていたのは、テロリストに名前を与えるな、という言い方でした。
主役にするということは、その人の内側を描くことになる。
内側を描けば、どうしてそうしたのかという説明がついてしまいます。
説明がついてしまえば、次に同じことを考える人へ手渡す形になってしまう。
そういう順番で心配している人が、想像よりずっと多かったわけです。
なかでも冷静に整理していたのが、次の投稿でした。
不謹慎とかそういうのは別として、「テロリストに注目を集めてはいけない」は鉄則。
徹底的な無視をして話題にしないことが次のテロを防ぐ。— 旅するくろねこ。 (@TABINEKO_com) 2026年9月2日
不謹慎かどうかとは別の話だ、と最初にことわっているところ。
ここが、この騒ぎの温度をよく表しています。
気持ちの問題として嫌だと言っているのではなく、注目そのものが燃料になるという心配。
反対している人たちは、作品の出来を心配しているのではありませんでした。
もちろん、それだけではありません。
受けたら俳優としての人生に響く、と菅田将暉のほうを気にする声も目立ちました。
事件はまだ全容が分かっていないのだから、間違った理解が広がると困る、という指摘もあります。
製作会社はどこなのか、と行き先を探している人もかなりいました。
それぞれ向いている方向は違うのですが、共通しているものが1つ。
みんな、まだ1コマも存在しない映画に向かって言っています。
銃撃犯の名前を呼ばないと決めた首相
いま出てきた「名前を与えない」という考え方は、この騒ぎのために生まれたものではありません。
7年前に、国のトップがそれを宣言した例があります。
2019年3月15日、ニュージーランドのクライストチャーチで、2か所のモスクが銃で襲われました。
50人以上が亡くなった事件です。
その4日後の国会で、当時の首相だったジャシンダ・アーダーンは、こう言い切っています。
「私がかれの名前を口にするのを皆さんが聞くことは決してないだろう」
理由も、あわせて説明されています。
犯人の目的のひとつが悪名をとどろかせることだったので、その望みだけはかなえさせない、というものでした。
そのうえで国民には、命を奪った男の名前ではなく、命を失った人たちの名前を語ってほしい、と呼びかけたと報じられています。
つまりこれは、感情で名前を伏せたのではなく、次を防ぐための手として選ばれた沈黙。
今回のリプ欄でも、このときの演説を持ち出している人が何人もいました。
7年前の海の向こうの言葉が、いま日本のタイムラインで引っ張り出されています。
反対の声がただの拒否反応ではなかったと、ここからも分かるはずです。
ここで正直に書いておくと、この考え方は魔法ではありません。
名前を伏せても、事件そのものは残ります。
それでも、注目されたい人に注目を渡さないことは、誰かが決めれば今日からできる。
アーダーンがやったのは、そういう種類の宣言でした。
4年前に同じ事件の映画は出ている
ここでもうひとつ、押さえておきたい事実があります。
安倍元首相の銃撃事件を題材にした映画は、すでに公開されているんです。
足立正生監督の『REVOLUTION+1』という作品で、事件が起きた2022年のうちに世へ出ています。
しかも動きがとても早く、国葬の前日にあたる2022年9月26日の時点で、50分の未完成版が緊急上映されました。
完成版が公開されたのは、同じ年の12月24日です。
なぜそこまで急いだのか。
監督は、メディアが犯人像を広めてしまう前に作って出したかった、という趣旨のことを語っています。
ここが少しややこしいところでして、名前と像を勝手に決めさせないために作った、という理屈です。
名前を与えるなという今回の反対と、方向は逆に見えて、出発点は同じ場所にあります。
どちらも、この人物の像が世の中に固まっていく速さを気にしていました。
片方はそれを止めるために黙れと言い、もう片方は先回りして作った。
同じ事件をめぐって、その2つがすでに起きているというわけです。
今回の話が「はじめての映画化」ではないことは、知っておいて損はないところ。
ただ、4年前と今回とでは、届く範囲がまるで違います。
足立作品が緊急上映されたのは、東京のイベントスペースと、各地のミニシアターが中心でした。
そこへ人気俳優の名前が乗ると、話が届く相手の数はひと桁もふた桁も変わってきます。
反対の声がここまで大きくなっているのは、たぶんそこを見ているからでしょう。
上映を止めたのは法律ではなかった
そのとき何が起きたかを見ると、今回の話の行き先がだいぶ見えてきます。
2022年9月29日に『REVOLUTION+1』を上映する予定だった鹿児島市の映画館は、4日前の25日に中止を発表しました。
理由として説明されたのは、抗議が殺到したことです。
映画館だけでなく、入っている商業施設のほうにも抗議が届いたと報じられています。
そこで施設と話し合った結果、当日に何が起こるか分からない、お客さんの安全を第一に考えて中止にしよう、という判断になりました。
ここをよく見てください。
止まったのは、作ってはいけないという決まりがあったからではありません。
危ないから止まった。
これが、いまの日本で実在の事件が作品になるときの、いちばん現実的な姿です。
そして、その映画館以外では上映されました。
完成版も、年内にちゃんと公開されています。
つまり抗議で止められたのは1つの上映会だけで、作品そのものは世に出ていきました。
許可を出す窓口はどこにもなく、遺族に聞かなければいけないという手続きも見当たらないのが実情です。
昭恵さんは承知しているのか、という声もたくさん出ていました。
ただ、遺族の承知を確かめる場所が、そもそもどこにも用意されていません。
だから今回の騒ぎは、映画を作るなという話に見えて、実際には少し違うところで起きています。
名前を消したいのに、消すための方法だけが誰にも配られていないまま。
作品がいったん世に出てしまえば、気に入らないと感じた人に残る道は、抗議するか無視するかの2つしかありません。
どちらも作らせない力ではなく、出たあとで押し返す力です。
そして押し返すほうを選ぶと、その作品の名前を自分の口で言うことになります。
そこで残る手段が、声を集めることになる。
そして声を集めるには、消したいはずの名前を、みんなで打ち込んでいくしかありません。
裁判はまだ終わっていない
忘れられがちな事実が、もうひとつ。
この事件は、いまも法廷の中で動いています。
2026年1月21日、奈良地裁は山上被告に求刑どおりの無期懲役を言い渡しました。
田中伸一裁判長は「犯行は卑劣で極めて悪質」と述べたうえで、殺人の意思決定に生い立ちが大きく影響したとは言えない、と判断しています。
そして弁護側は2月4日、この判決を不服として大阪高裁へ控訴しました。
控訴審では、生い立ちが事件に与えた影響と、手製の銃の法律上の位置づけが、あらためて争点になる見通しだと報じられています。
どういう人物としてこの事件を語るのか。
その部分そのものが、いま裁判で争われている最中だということです。
その横で、秋にもクランクインという話。
役者に迷惑がかかるとか、絵が浮かばないとか、そういう話の前に、ここが引っかかります。
判決が固まらないうちに、ひとつの説明が先に映像になってしまう。
それは事件の見え方を、法廷より先に決めることになりかねません。
2022年7月8日に奈良で起きたことは、まだ終わっていないんです。
撮る側が言う「秋」と、事件を背負っている人たちにとっての「秋」は、たぶん同じ長さではないでしょう。
作ってはいけないという決まりは、たぶんどこにもありません。
ただ、控訴審が動いているあいだに撮り始めるというのは、やはり順番が違うと感じてしまいます。
そして名前を残したくない人ほど、その名前を打ち込むことになる。
そこが、この騒ぎのいちばんしんどいところですね。
