1999年、田口淳之介は旧ジャニーズ事務所に入りました。

そこから並ぶ肩書きが、アイドル、ソロ歌手、そしてプロ雀士。

あいだには大麻取締法違反での逮捕と有罪判決もはさまっていて、ずいぶん密度の高い経歴です。

名前がSNSに出るたびに「この人、いま何してる人だっけ」が並ぶのも当然でしょう。

今回は、元KAT-TUNの田口淳之介がどんな道を通ってきたのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。

 


KAT-TUNのTは田口淳之介のT

田口淳之介は現在40歳。

旧ジャニーズ事務所に入ったのが1999年で、2001年に亀梨和也や赤西仁らとKAT-TUNを結成しました。

CDデビューは2006年の『Real Face』で、結成からそこまでには何年かの下積みがあります。

当時のKAT-TUNは6人組で、田口淳之介はそのうちの一人でした。

 

グループ名の『KAT-TUN』は、メンバーの頭文字をつないだものになっています。

亀梨のK、赤西のA、そして田口のT。

続く田中聖のT、上田竜也のU、中丸雄一のNで、ちょうど埋まる形です。

つまり、グループの名前そのものに、本人の一文字が組み込まれている形。

考えてみると、これはなかなか重い話です。

 

のちに赤西・田口・田中が抜けますが、グループ名は変わっていません。

いまは亀梨が「KA」、上田が「TTU」、中丸が「N」を受け持っているそうです。

抜けたあとも、その文字は看板に残り続けます。

名前だけが、そのまま置いていかれた形になりました。

 


2016年の脱退と2019年の逮捕

グループを離れる話が出たのが2015年11月のこと。

実際に脱退と事務所退所をしたのが2016年3月で、その年の11月にはシングル『HERO』でソロデビューしています。

ここまでは、アイドルがひとりで歩き出したという、よくある形でした。

 

大きく変わったのはその3年後です。

田口淳之介は2019年5月22日に大麻取締法違反の疑いで逮捕され、起訴されたのは翌6月、初公判が開かれたのは7月11日のことでした。

同じ年の10月21日、東京地裁で懲役6月、執行猶予2年の判決を言い渡されています。

判決のとき、裁判所は猶予をつけた理由も挙げていました。

2人が事実を認めて反省していること、入手先との関係を断ったこと、薬物依存の専門家から使用障がいに該当しないと診断されたこと。

報道ではそう伝えられています。

 

なお、このとき一緒に逮捕されたのは、当時交際していた元女優の小嶺麗奈です。

7月11日の初公判では、田口淳之介が「これからもいっしょに交際を続けていきたい」、小嶺麗奈が「交際を続けるなら、結婚したいと思っています」と述べました。

女性自身が2019年7月23日に配信した記事に、そう書かれています。

法廷でのプロポーズとして各社が大きく報じ、ネットでも反応が広がったそうです。

この場面は、いまでも引き合いに出されます。

そして判決の翌月には、もう歌の活動を再開していました。

その後の数年は、インディーズでシングルを出しながらの日々が続いたそうです。

 


執行猶予2年はいつ終わったのか

執行猶予という言葉は、ニュースでよく聞くのに、中身まで説明されることがあまりありません。

かんたんに言えば、刑は決まったけれど、その執行をいったん待ってもらえる仕組みです。

懲役6月と決まっても、刑務所へ入るのはいったん先送りになります。

決められた期間を事件を起こさずに過ごせるかどうかを、先に見てもらう形になるんです。

だから猶予のあいだも、外で暮らして働くことができます。

 

では、その期間中に新しく罪を犯したらどうなるのか。

猶予は取り消されて、待ってもらっていた刑をそのまま受けます。

猶予がついたからセーフ、という話ではありません。

待ってもらっているあいだ、その刑はずっと後ろに控えているわけですから。

 

いっぽうで、終わりの日は刑法の27条に書いてあります。

「刑の全部の執行猶予の言渡しを取り消されることなくその猶予の期間を経過したときは、刑の言渡しは、効力を失う」。

猶予の期間を何事もなく過ごしきれば、その刑を言い渡されたこと自体が、法律のうえでは効力を失う。

かなり大きな区切りなんです。

田口淳之介の判決は2019年10月21日で猶予の期間は2年、取り消しがあったという報道も見当たらないので、その2年はとっくに過ぎています。

 

ニュースで「執行猶予◯年」と見かけたときは、判決の日付にその年数を足してみてください。

足した先がもう過ぎているなら、その人は猶予の外にいます。

ところが、その終わりの日をニュースで見た記憶のある方は、たぶん一人もいないはずです。

逮捕の日には速報が流れ、判決の日には各社の記事が並びました。

けれど、猶予期間が明けた日に記事が出ることはありません。

その日には発表もなければ、写真を撮れる場面もないので、ニュースの側にも事情はあります。

記事にしようがない、というだけの話でしょう。

 


ツアー先にも牌を持って行っていた

いまの田口淳之介は、麻雀のプロです。

2022年3月に日本プロ麻雀協会のプロテストへ合格し、21期の前期生にあたります。

元アイドルの転身といえば話は早いのですが、本人の説明はもっと前から始まるんです。

音楽ナタリーが2022年8月9日に配信したインタビューで、麻雀との出会いをこう話しています。

「中学3年生のときにパソコンに麻雀ゲームがインストールされていて、なんだろうと思って遊んだのが最初でした」。

そこから井出洋介の東大式麻雀の本で勉強して家族麻雀を始め、初めて出した役満が純正の九蓮宝燈だったとのこと。

役満というのは麻雀でいちばん高い点数になる手で、九蓮宝燈はそのなかでもとりわけ出にくい形とされています。

 

大人になってからは雀荘へ通い、家には牌を自動で混ぜてくれる全自動卓まで買ったそうです。

同じインタビューには、こんな一行もあります。

「ツアー先にマットと牌を持って行ってやったりもしてましたね」。

アイドルとして全国をまわるあいだ、行く先々で卓を囲んでいたそうです。

文春オンラインが2023年8月10日に配信した記事では、KAT-TUNの活動中に雀荘へ通っていたことについて「全然バレませんね」と笑い、「案外帽子しっかり被ったりとかしてたら気づかれることはなかったです」と話していました。

 

対局の様子が配信される放送対局に出るようになった経緯も語られています。

サイバーエージェントの藤田晋と俳優の萩原聖人が始めた「ALL STAR League」という著名人のリーグに参加していて、自分でも放送対局をやってみたいと思い、SNSで声をかけたところ手が挙がったとのこと。

初めての放送対局で最初に上がったのが倍満、そこから「倍満の貴公子」という通り名が生まれたそうです。

倍満も、役満に次ぐような大きな手。

 

プロを目指した決め手も、本人が語っていました。

2021年に行われた「田口淳之介 炎の7番勝負」という企画で7戦中3勝、最後の対局ではMリーガー3人を相手に勝っています。

Mリーグというのはチーム対抗で戦うプロのリーグで、そこに出る選手がMリーガーです。

「それが自分の土俵をワンランク上げてやろうと思うきっかけになりましたね」と振り返っていました。

プロテストに向けては「とにかく過去問を何十回もやりましたね」だそうです。

 

プロになった時点での立ち位置も、本人が正直に話しています。

日本プロ麻雀協会のリーグ戦は雀王戦といって、A1を頂点に13のランクがあるそうです。

2022年の田口淳之介は、そのいちばん下のE3リーグにいました。

節ごとの成績で上位に入ればひとつ上がり、さらに上ならふたつ上がる仕組みだそうです。

「団体の一番ビリにいるところから這い上がっていくぞと思ってやっています」。

そして2026年8月23日、協会の公式アカウントが雀王戦E2リーグの結果を出しています。

第1節のトップ者のひとりとして名前が挙がり、しかも3連勝と添えられていました。

いちばん下のE3から始めて、いまはE2の卓についています。

応援する人の顔ぶれも、そこで変わりました。

インタビューでは「応援してくださっている方も違うので、Twitterも麻雀用のアカウントを別に作っています」と話しています。

歌のファンと麻雀のファンを、本人が分けて考えているということ。

それでも、もともとのファンが麻雀に興味を持って教室へ足を運んでくれることも増えたそうです。

 

目標も変わっていなくて、インタビューでは「Mリーガーになることです」と答えています。

プロとしての心構えを聞かれたときの言葉も、まっすぐでした。

「こういう雀士になりたい」と思われる対象に自分がなれるよう日々努力し、そのうえで勝負どころで勝つ。

そして歌も止まってはいません。

ソロデビューから曲を出し続けていて、舞台や配信ドラマにも顔を出しているそうです。

 


名前が出るたび驚かれる理由

いちばん新しい出来事は、2026年9月22日の報告でした。

自分のYouTubeチャンネルで結婚と第1子の誕生を発表し、お相手は年下の一般の女性、生まれたのは男の子だとのこと。

このときも、お祝いの言葉と並んで「え、あの人じゃないの?」という戸惑いがずいぶん出ていました。

2019年の法廷の場面のまま、時間が止まっていた人がいたということ。

ちなみに小嶺麗奈との交際解消は、2021年7月に週刊誌が報じています。

どちらからもきちんとした説明は出ていないので、何があったのかは外からは分かりません。

それでも、2021年の時点で表には出ていた話でした。

 

驚いているのは、いつもこちら側です。

逮捕も判決も法廷の言葉も、全部が大きく報じられました。

ところが猶予が明けた日も、E3からE2へ上がった日も、記事にはなりません。

だから世間の中の田口淳之介は2019年で止まったままで、名前を見るたびに「いまどうしてるの」から話が始まります。

本人の側では、麻雀も歌も、ずっと前から地続きで続いているだけなんです。

濃すぎる経歴に見えるのは、こちらが知らない年月が長かったから。

 

久しぶりに名前を見る相手なら、誰についても同じことが起こります。

その人が謝ったところまでは覚えているのに、そのあと何年働いてきたかは知りません。

思い出せる場面が強いほど、時計はそこで止まったまま。

次にこの人の名前が流れてきたら、覚えている出来事の記事ではなく、いちばん新しい記事から開いてみてくださいね。