撮影の最中に、監督がスタッフを押し倒して骨折させていたそうです。

大ヒット中のドラマ『VIVANT』の、撮影現場での話。

2026年9月16日の夕方にこの報道が流れると、ネットでまず並んだのは驚きの声ではありませんでした。

「パワハラじゃなくて傷害事件じゃないですか」

同じ形の言葉が、いくつも続いていたんです。

 

その引っかかりは、たぶん正しいところを突いています。

ただ、突いている場所は思っているのと少しちがっていて、調べていくと話の向きが変わりました。

現場でその監督につけられていた呼び名は、『ジャイさん』。

骨折とパワハラという二つの言葉のあいだに何があるのか、わかりやすく解説していきたいと思います。


押し倒された相手は助監督だった

いまの時点で確かめられることは、そう多くありません。

報じたのは週刊文春で、記事が公開されたのは9月16日の夕方でした。

監督を務める福澤克雄が撮影中にスタッフを押し倒し、骨折させていたことがわかった、という書き出しです。

福澤克雄は62歳。

1989年にTBSへ入社して、『3年B組金八先生』シリーズや『半沢直樹』の制作に携わり、2008年には映画『私は貝になりたい』でメガホンを取りました。

2024年に定年を迎えたあと、TBSと再雇用契約を結んだと報じられています。

190センチを超える大柄な体格から、『ドラえもん』のジャイアンにちなんで、現場では「ジャイさん」と呼ばれているとのこと

 

正直に書いておくと、無料で読める部分は途中で終わります。

記事は「そして、ついに事件は起こってしまったのだ――」というところで切れていて、その先は電子版と、17日発売の本誌に置かれていました。

つまり、いま出回っているのは記事の中身ではなく、見出しです

その有料記事の見出しには、助監督に全治1カ月の大怪我を、と書かれていました。

押し倒された相手は、現場で監督を支える助監督だそうです。

いつ、どの撮影のときだったのかは、無料で読める範囲には書かれていません。

 

TBSはこの取材に対して、こう答えています。

調査の結果、パワーハラスメントに該当する言動が認められ、厳正に人事上の措置を行いました。

気をつけたいのは、TBSが認めたのは「パワーハラスメントに該当する言動」までで、骨折そのものについては何も言っていない点です

骨折という言葉は、いまのところ週刊文春の報道の中にしか出てきません。


殴る蹴るだけ言い訳が用意されていない

さて、あの「それってパワハラで済む話なの」という感覚。

たしかにパワハラという言葉は、職場のちょっと強めの人間関係を指す言葉に聞こえます。

怒鳴られた、無視された、ひとりだけ仕事を外された。

そういう場面が先に浮かびますよね。

 

ところが、国が出しているパワハラの指針を開くと、印象がひっくり返ります。

厚生労働省の指針は、職場のパワーハラスメントを代表的な6つの型に分けていて、先頭に置かれているのが「身体的な攻撃」なんです

かっこ書きまで付いていて、そこには暴行・傷害と書いてあります。

つまり制度のほうは、殴る蹴るを別枠に追い出していません。

パワハラという大きな箱の、いちばん最初に入れています。

 

この指針が念入りなのは、6つの型それぞれに、該当すると考えられる例と、該当しないと考えられる例を並べているところです。

その「該当しない例」の顔ぶれが、型によってずいぶんちがいました。

  • 精神的な攻撃=再三注意しても改善されない人に、一定程度強く注意をすること
  • 過大な要求=育成のために、現状より少し高いレベルの業務を任せること
  • 過小な要求=能力に応じて、一定程度業務内容や業務量を軽減すること
  • 人間関係からの切り離し=新しく採用した人を短期間だけ別室で研修させること

どれも「指導のつもりだった」「育てるためだった」と言える道が、ちゃんと残してあります。

言葉や仕事の任せ方は受け取り方しだいで変わるものですから、そこに幅を持たせてあるわけです。

 

では、身体的な攻撃はというと、該当しない例がたったひとつしか書かれていません

誤ってぶつかること。

それだけです。

言い訳の通る道が、体に手を出した瞬間からふさがってしまう。

6つの型を並べて読むと、そこだけ扱いがまるでちがうことに気づきます。

パワハラという言葉が軽いのではなく、軽く聞こえる言葉の中に、いちばん重い枠がまぎれこんでいるだけ

そういう言い方のほうが近いかもしれません。


会社が決められるのは呼び名まで

では、指針の上でそこまではっきりしているのに、どうして事件にならないまま話が進んでいるのでしょうか。

誤解されやすいのは、会社の調査と警察の捜査が同じものに見えてしまうところ。

 

パワハラ防止法と呼ばれている法律の正式な名前は、労働施策総合推進法といいます。

その第30条の2が会社に命じているのは、相談に応じる体制を整えることと、起きたあとに適切に対応すること。

読んでいくとわかるのですが、パワハラをした人を罰する条文が、この法律にはありません。

会社が義務を果たしていないときでも、厚生労働大臣が勧告をして、従わなければ会社名を公表できるところまでになります。

罰金や懲役にあたる罰そのものが、この法律には置かれていないんです。

 

一方で、刑法の204条にはこう書いてあります。

人の身体を傷害した者は、十五年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。

拘禁刑というのは、2025年の6月から懲役と禁錮をひとつにまとめた呼び方になります。

こちらは罰の条文です。

 

同じひとつの出来事が、二つの線の上に同時に乗ることがあります。

会社の調査が決めるのは、うちの社員として問題があったかどうかという点です。

警察と検察が決めるのは、罪に当たるかどうか。

この二つは別々の場所を走っていて、会社の調査が終わっても、刑事の手続きは動きません

 

だから「厳正に人事上の措置を行いました」という回答は、嘘でも隠しでもないんです。

会社が担当している範囲については、たしかに答えを返しています。

ただ、事件そのものが片づいたという意味ではありません。

会社が決められるのは呼び名までで、その先は別の人の担当。

そして、そこはいまのところ誰も動かしていません。

そこが、あの宙ぶらりんな感じの正体だと思います。


この話は7月に一度出ていた

ネットには「なんか前にもこのニュースなかったっけ」「監督クビになってなかったの」という声も並んでいました。

この記憶は正しくて、この件が表に出たのは今日が最初ではありません。

 

最初に報じられたのは、2026年7月13日の夜。

週刊女性PRIMEが、福澤監督がパワハラの告発を受けて撮影現場から一時姿を消していた、と報じました。

その日のうちに、ニュースのトピックスにも並んでいます。

翌14日から15日にかけて、TBSが各社の取材に応じて、パワーハラスメントに該当する言動が認められたことを認めました。

そして7月26日、『VIVANT』第2シーズンの放送が予定どおり始まっています。

パワハラがあったこと自体は、2か月前にもう明らかになっていました。

処分も、7月の時点ですでに終わっています

今日出てきたのは新しい事実というより、その中身です。

 

改めて並べると、順番が逆さまなんですよね

ふつうなら、何があったかが先に伝わって、それからどう処分されたかが出てきます。

この件は、処分は終わりましたという報告が先に世の中へ出て、そのあとで、何があったのかが少しずつ出てくる形。

だから読む側は、同じ出来事を何度も初めて知ることになります。


現場を離れた1か月に説明が2つある

引っかかるところが、もうひとつ。

福澤監督が現場を離れていた期間について、説明が二つ流れています。

 

TBSが7月にオリコンの取材へ答えたのは、この言い方でした。

適正に調査を進めるため、一時、撮影現場を離れていたことは事実です。

出典:オリコンニュース(2026年7月15日配信)

調査のために離れていた、という説明です。

一方、スポニチアネックスが同じころに伝えた関係者の話は、こうなっていました。

2、3月ごろに1カ月ほどの謹慎処分を受けたようです、その後現場に復帰した、という内容です。

 

調査のために離れていたのか、処分として休んでいたのか

外から見れば同じ1か月でも、意味はまるでちがいます。

そして、どちらが正しいのかを確かめる手立ては、こちら側にはありません。

 

TBSはこのとき、もうひとつ答えを避けています。

ハラスメントの申告や相談があったのかを聞かれて、調査に至った経緯については回答を差し控えさせていただきます、と返していました。

何があったかも、どうして分かったかも言わないまま、措置は終わりましたという部分だけが世の中に出ていく。

 

そのうえで9月16日に返ってきた回答も、7月とほとんど同じ一文でしかありません。

パワーハラスメントに該当する言動が認められ、厳正に人事上の措置を行いました。

いまになって骨折という言葉が出てきても、返ってくる文は動いていません

会社としては、もう答え終わっているということなんでしょう。


労災も被害届も会社は出してくれない

これは、ドラマの現場にかぎった話ではありません。

職場で誰かにケガをさせられたとき、そこから走りだす線は、実は3本あります。

 

ひとつ目が、会社の調査。

就業規則にもとづいて、その人をどう扱うかを決める手続きで、今回のTBSの措置がこれにあたります。

ふたつ目が、労災。

仕事中のケガについて、治療費や休んだあいだの補償を受けるための手続きです。

みっつ目が、刑事の手続き。

警察に届け出て、罪に当たるかどうかを調べてもらう道になります。

 

知っておきたいのは、この3本が連動していないという点です。

会社の相談窓口に話をして調査が始まっても、それで労災の請求が出るわけではありませんし、警察に話が行くわけでもありません。

会社がやってくれるのは、この1本目だけです。

残りの2本は、動かす人がいなければ止まったままになります。

 

労災は、会社が認めるものではなく、労働基準監督署が判断するものです。

会社が手続きに協力してくれないときでも、働いていた本人が自分で請求できる仕組みになっています。

傷害罪のほうも、被害を受けた人が訴え出ないと扱えない罪ではありません

ただ、実際に手続きを始めるかどうかは、被害を受けた人が決められます。

 

そして、会社の窓口が唯一の相談先でもありません。

都道府県の労働委員会は、正社員だけでなくアルバイトや契約社員、派遣社員の相談も受け付けているとのこと。

会社の中の窓口には持っていきにくいというとき、外側にも話を聞いてくれる場所があるわけです。

ここは、覚えておいて損のないところだと思います。

 

ケガをしたら、その日のうちに病院で診断書をもらっておく。

どの線を選ぶにしても、あとから話せる範囲を決めるのは、日付の入った紙が1枚あるかどうかです。

 

ドラマは面白いですし、10月からの再開も楽しみにしています。

ただ、画面のこちら側から見えているのは、いつも出来事につけられた呼び名だけ。

その呼び名をつけたのは会社で、会社が見ているのは会社の中なんですよね。

名前が決まったから全部終わり、というわけではないところに、まだ手のつけられていない部分が残っています。

もし自分の職場で同じことが起きたら、呼び名より先に体のほうを記録しておきたいところですね。