2025年1月28日の朝、埼玉県八潮市の中央一丁目交差点。

走っていたトラックが、突然口を開けた道路の穴へ落ちました。

運転していた74歳の男性は、事故の直後には会話ができる状態だったと報じられていましたが、救助は難航し、見つかったのは5月2日、下水道管の中に残された運転席の中からだったそうです。

その男性の娘さん3人が、下水道管を管理する埼玉県に、およそ1億2500万円の損害賠償を求めて訴えを起こしていました。

訴えは2026年7月28日付で、分かったのは3か月近くたってからのこと。

事故の翌日、ネットにはこんな投稿が広がっていました。

あのとき、多くの人が同じ速報を待っていたんですよね。

今回の提訴のニュースには、「提訴されるまで何もなかったの?」「むしろ今まで賠償の話なかったんだ?!ってビックリなんやが」と驚く声が並びました。

今回は、八潮陥没の1億2500万円訴訟で、県の責任を誰がどう決めることになるのかを、県の報告書と法律の決まりからわかりやすく解説していきたいと思います。

7月28日付で出されていた訴え

東京新聞によると、訴えを起こしたのは男性の娘さん3人で、さいたま地裁に出された訴状が求めているものは、大きく分けて2つ。

  • 下水道管が硫化水素による腐食などで、公共施設として通常持っているべき安全性を欠いていたこと
  • 救助が難航し、生死すら確認できない状態が続いたことによる、家族の精神的な苦しみ

訴状には、男性について「日々事故を起こさぬよう細心の注意を払って業務に従事していた」と書かれ、事故を「歴史的に見ても例をみない悲惨なもの」と表しているそうです。

 

事故から提訴までを、ネットでは短くこう振り返る人もいました。

県の大野元裕知事は「現在訴状の内容を精査しており、今後も適切に対応する」とコメントしています。

 

提訴まで賠償の話は無かったのか

「提訴されるまで何もなかったの?」と感じた人は、少なくありませんでした。

ニュースを引用した投稿には、「むしろ今までよく黙っとったなと思うよ」と書く人もいます。

事故から1年半がたって、娘さんたちは自分たちで裁判を起こすところまで来ていました。

 

ただ、提訴の前に県と遺族のあいだで話し合いがあったのかどうかは、報道からは分かりません。

分かっているのは、遺族への賠償とは別に、県が周りの住民や店への補償は始めていたこと。

共同通信の配信によると、県は現場から約200メートル以内に住む419世帯へ、単身世帯で5万円、家族が1人増えるごとに2万円を補償すると決め、飲食店などの事業者にも一律10万円を払うことにしていたそうです。

周りの家では、こんな被害も出ていました。

住民への補償は、工事や臭いで実際に出た損を埋めるためのお金です。

 

亡くなった人への賠償は、それとは前提が違います。

県の管理に欠陥があったのか、そのせいで命が失われたのか、という責任の判断が先に要るお金。

地方自治法の第96条は、県が「法律上その義務に属する損害賠償の額を定めること」も、話し合いでまとめる「和解」も、県議会の議決が要る事柄として挙げています。

県が自分から「払います」と言うにも、議会の手続きが要るんです。

では、県はその責任を認める材料を持っていたのでしょうか。

責任は決めないと書いた報告書

事故の原因を調べたのは、県が専門家を集めてつくった「原因究明委員会」です。

2026年2月19日にまとまった最終報告書は、陥没の原因を「埼玉県が管理する中川流域下水道の硫化水素によって腐食した下水道管に起因するものであると考えられる」と書いています。

硫化水素は下水から出るガスで、これが管のコンクリートを内側から傷めていたということ。

報告書は、県の点検の中身にまで踏み込んだもの。

  • 2022年2月の点検では、水に浮かべるカメラで管の中を撮影していた
  • 点検したのは約600メートルで、そのうち陥没した場所を含む推定52〜71メートルの区間は、水しぶきや光の足りなさで映像が不鮮明だった
  • それでもその区間を含む全体を、異常が少ない「ランクB」と評価していた
  • 撮れていた映像を見直すと、直ちに修繕が必要な「ランクA」と評価できたと考えられる

そのうえで報告書は、通常以上の注意を払って検討していれば「管内部の腐食・損傷のリスクの高まりを推測できた」としています。

ここまで読むと、県の責任はもうはっきりしているように見えますよね。

 

ところが同じ報告書には、県の側の言い分として読める文も並んでいました。

  • 陥没を「未然に予測することが可能であったとは言えない」
  • 流れを止められない大きな管に「適用可能な管路の補修技術はなかった」

そして報告書の最後のページには、この委員会が何のためのものかが書かれています。

「工学的見地から、埼玉県が実施した点検・調査等に関する検証を行い、事故の再発防止に向けた提言を行うものであり、事故発生の責任の所在を明らかにすることを目的とはしていない。」

出典:八潮市で発生した道路陥没事故に関する原因究明委員会 報告書 概要版(2026年2月19日)

委員会は、どこまで予測できたかを技術の目で確かめる役目でした。

この委員会には、責任を決める役目が最初から与えられていなかったんです。

 

事故の2か月後には、もうこんな声も出ていました。

多くの人が当然だと思っていたその「責任」を誰がどこまで負うのかは、報告書では決められていません。

最後にそれを決めるのは、裁判所の仕事です。

 

過失がなくても県が問われる仕組み

ネットには「素人に地下陥没の立証は、不可能」と心配する声もありました。

たしかに、地下の管の中で何が起きていたのかを、家族が自分で証明するのは無理な話です。

ただ、今回の訴えが使っているのは国家賠償法という法律で、少し仕組みが違います。

「道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。」

出典:国家賠償法 第2条第1項

「公の営造物」は道路や下水道のように国や自治体が管理する施設のことで、「瑕疵(かし)」は欠陥を指す言葉。

事故が起きた県道も、その下の下水道管も、管理しているのは埼玉県です。

 

すぐ前の第1条は、公務員が「故意又は過失によつて」損害を与えたときの決まりで、こちらには過失という言葉が入っています。

ところが第2条には、過失という言葉がどこにもありません。

 

1970年8月20日の最高裁判決は、この第2条の瑕疵を「営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい」、賠償の責任には「過失の存在を必要としない」と述べています。

高知県の国道で、落石を受けて人が亡くなった事故の裁判でした。

娘さんたちの訴状にある「通常持っているべき安全性」という言い方は、この判決の物差しと同じ言葉です。

 

最高裁はこのとき、一つ前の裁判が示したこんな判断も、正しいと認めています。

「上告人県としてその予算措置に困却するであろうことは推察できるが、それにより直ちに道路の管理の瑕疵によつて生じた損害に対する賠償責任を免れうるものと考えることはできない」

出典:最高裁判所第一小法廷 1970年8月20日判決(国土交通省の判例資料より)

お金が足りなかったことは、責任を逃れる理由にならない、というのが最高裁の考え方です。

 

古い下水道管を直すお金が足りないことは、ネットでも指摘されています。

一方で、同じ判決は、事故が「不可抗力ないし回避可能性のない場合」だったかどうかも見ていました。

今回の報告書にある「未然に予測することが可能であったとは言えない」「適用可能な管路の補修技術はなかった」は、まさにその〈避けられたかどうか〉に関わる記述です。

県が裁判でどう答えるのかは、まだ報じられていません。

勝ち負けを外から言える段階ではないものの、訴える側の材料も県の側の材料も、県の報告書の中にそろっています。

生死すら分からなかった3か月

訴えのもう一つの柱は、生死すら分からなかった日々の苦しみです。

その冬、ネットではこんな投稿がたくさんの人に読まれていました。

共同通信によると、訴状は、遺族が生死すら確認できない状況が続いたとして、「原告の精神的不安や心理的苦痛は甚大だ」と訴えているそうです。

祈るように待っていたのは、画面の向こうの人たちだけではありませんでした。

遺体が見つかったあと、家族は県警を通じてコメントを出していて、東京新聞がその全文を伝えています。

「落下した車内に取り残された父は、心の強い人だったので、恐怖や苦痛と戦って、力尽きるまで生きて帰りたいと思っていたはずです。」

「孫が生まれ愛情を注ぎ、ひ孫が生まれ更に沢山の愛情を注ぎ、これからの成長をとても楽しみにしていました。」

「今は父の為に、私たちが出来る事を精一杯やり、前に進んで行かなければならないと思っています。」

出典:男性運転手の家族のコメント(東京新聞デジタル掲載・一部抜粋)

このコメントが出た翌年の7月28日に、娘さんたちは県を訴えました。

 

ネットでは、救助の進め方への怒りもまだ消えていません。

「最初の引き上げに失敗しなければ、救えたかもしれないと思うとな…。」という声もありました。

訴状も、救助が難航したことを、家族を苦しめたものの一つとして挙げています。

1億2500万円という数字を「高い」と書く人も「安すぎる」と書く人もいますが、内訳は報道では明らかにされていません。

ただ、訴えの中には、待たされた日々の苦しみも含まれています。

 

男性が働いていた会社は、遺体が見つかったあと、こんなコメントを出していました。

20年以上その会社で働き、体が動くかぎり働きたいと話していた人だったそうです。

 

それでも、あの交差点で呼びかけに応えていた時間を思うと、どんな判決が出ても埋まらないものがあるのだと、胸が詰まります…。

亡くなられた男性のご冥福をお祈りいたします。