2026年10月22日のプロ野球ドラフト会議で、横浜高校の織田翔希投手が巨人から1位で強行指名されました。

わずか1週間前に、自分の口で「アメリカの地で挑戦することを決めました」と宣言したばかりの投手です。

ドラフト会議の会場は「えーっ」とどよめき、ネットにも「ずるくない?」「本人の希望を無視しないで」という声が一気に並びました。

メジャー志望を公にした高校生を、なぜ巨人は指名できたのか。

実は2012年の大谷翔平のときも、メジャー宣言のあとに強行指名、というまったく同じ順番でした。

今回は、巨人が指名できた本当の理由と、この先どう決まっていくのかについてわかりやすく解説していきたいと思います。

アメリカ宣言の1週間後に巨人が強行指名

織田投手は、甲子園を沸かせてきた横浜高校のエース右腕です。

下級生のころから甲子園に続けて出場し、今年の夏の甲子園では大会最速の球速を記録しています。

9月にプロ野球志望届を出し、10月中旬には日本の全球団と面談して、その席でアメリカへの思いを伝えていたとのこと。

そのうえで10月15日に横浜高校で会見を開き、日本のプロ野球(NPB)を経ずにアメリカで挑戦すると表明しました。

最後まで迷った理由として本人が挙げたのは、高校日本代表として国際大会を戦った経験で、そこで「さらに上を目指してプレーしたい」と刺激を受けたといいます。

日本を経ずにすぐ渡る理由については、若いうちから英語に触れて、メジャーに上がったときに自分の言葉で意思を伝えられるようにしたい、と説明していました。

「小さい頃はNPBさんにもすごく夢を持ってました」と話したうえで、「本当にNPBを通った方がメリットのほうが多いことがあるかもしれませんが」とまで口にしていて、迷い抜いた末の決断だったのでしょう。

母親からは「自分のやりたい道に進んでほしい」と背中を押されたそうです。

進む先はメジャー球団とのマイナー契約(メジャーの下にあるチームでプレーする契約)だけでなく、アメリカの大学も考えているとのこと。

 

そしてドラフト当日、巨人が単独で1位指名しました。

指名の瞬間、織田投手はチームメートと待機していた会見場で、表情を変えずに中継の画面を見つめ続けていたと伝えられています。

その後に出演したTBSの中継では、「アメリカに挑戦する気持ちは崩れません」と言い切りました。

横浜高校の村田浩明監督も、本人と話したうえで「意思は全く変わらない」と明かしています。

ネットでは、指名された瞬間の顔つきから本心を読み取ろうとする声もたくさん出ていましたね。

ただ、表情を読むまでもなく、中継での「崩れません」の一言がもう答えになっています。

 

日米共通の1枚だったプロ志望届

ここで多くの人が引っかかるのが、アメリカへ行くと言っている人を、どうして指名できるのかという点ですよね。

ネットにも「なんでアメリカ行くつもりなのに指名されるの待ってるの?」という声がありました。

プロ野球志望届というのは、高校生や大学生が「プロに進みたい」と、自分の所属する連盟へ前もって届け出る書類のことです。

日本高等学校野球連盟(高野連)の規定では、高校の野球部員がプロの球団と交渉したり入団テストを受けたりする前に、この志望届を出さなければいけません。

そしてこの規定は、プロ野球団について「国内だけではなく、外国のプロ野球団をも含む」と書いています。

メジャーの球団と話をするにも、日本の球団と話をするにも、出す紙は同じなんです。

しかも、志望届を出した高校生は、その年のドラフトで指名を受けられる名簿にも入ります。

 

規定では、ドラフトの2週間前までに出していない部員は指名を受けられず、今年の締め切りは10月8日でした。

その日のニュースでも、提出した高校生のひとりとして織田投手の名前が挙がっているんです。

会見でアメリカ行きを表明したのは、その1週間後のこと。

 

それなら、アメリカに決めた時点で届けを取り下げればよかったのでは、と思いますよね。

ところが、いまの高野連の規定を読むかぎり、出した志望届を取り下げる手続きも、「メジャー希望」と書き添える欄も見当たりませんでした。

取り下げる手続きが見当たらない以上、宣言をしても、名簿の上の名前は消えずに残ります。

「ドラフト会議のルール変えたほうがいい」という声が出るのも、無理もない話です。

ただ、変えるとしたら、ドラフトより前に出すこの志望届の欄なのかもしれません。

13年前に提案されたメジャー希望欄

2012年の大谷翔平も、こんな流れをたどっています。

花巻東高校の3年生だった大谷も、夏のあとに志望届を出し、ドラフトの直前に会見を開いてメジャー挑戦を表明していました。

そのとき日本ハム以外の球団は大谷の意思を尊重して指名を見送り、日本ハムだけが、志望届を出した以上は指名の対象だとして1位で指名しています。

結局、大谷は4度の交渉の末に日本ハムへの入団を決めました。

翌年、元巨人チーフスカウトの中村和久は週刊ベースボールのコラムで、高校生の大谷には「NPBドラフトを辞退する手立てがなかった」と書いています。

そのうえで、メジャー挑戦を表明した時点で志望届を撤回する書類か、志望届に「メジャー希望欄」を設けてはどうかと提案していました。

同じコラムによれば、社会人の選手については、ドラフトのおよそ1か月前に「プロ入り拒否選手」の名簿が12球団へ示される仕組みがあるとのこと。

高校生には、それにあたる紙がありませんでした。

それからずいぶんたったいまも、志望届に「メジャー希望」と書く欄は見当たりません。

 

巨人が1位の枠を使った理由

では、巨人はなぜ、断られるかもしれない相手に1位の枠を使ったのでしょうか。

ドラフトの1位はどの球団も1人しか選べない枠で、断られれば、その年のいちばんの指名がまるごと空振りに終わります。

巨人ファンを名乗るアカウントからも、こんな声が出ていました。

指名のあと、巨人の水野雄仁編成本部長は「本当に日本のプロ野球ファンの方々にお見せしたいなという気持ちです」と説明しています。

「非常に迷いましたが、最終的にこういう決断になりました」とも話していて、そのうえで「我々はもう誠意を尽くして行くだけです」と語りました。

 

皮肉なことに、大谷のときに前例を作った日本ハムは、今回のドラフト前日のスカウト会議で、織田投手の指名を見送る考えを示していたと報じられています。

しかも今年は1位を事前に公表しない球団が多く、巨人の指名は会場をどよめかせるほどの不意打ちでした。

本人はすべての球団に面談で気持ちを伝え、会見でも公にしたのに、指名は予告なしにやってきた。

ずるいと感じる人が多いのも、この順番を見ればうなずけます。

 

ただし、巨人が決まりを破ったわけではありません。

志望届を出した選手は、どの球団でも指名できます。

巨人が選んだのは、大谷のときの日本ハムと同じ道でした。

入団を断ったらどうなるのか

では、ここから先はどう決まっていくのでしょうか。

まず、ドラフトで指名されても、選手に入団する義務はありません。

巨人の水野編成本部長も「とりあえず交渉権を得たというところで、これからゆっくり、織田くんも考えていただいて」と話していて、すぐに答えを迫る構えではないようです。

日本野球機構の新人選手選択会議規約では、球団が指名した選手と翌年3月末までに契約できなければ、交渉する権利を失うと決められています。

織田投手はいま秋の関東大会を戦っている最中で、大会が終わりしだい、メジャー球団との面談に入る予定です。

メジャー球団と海外のアマチュア選手との契約は、来年1月15日に解禁されると報じられています。

25歳未満はマイナー契約からのスタートですが、契約金は球団ごとの枠の中から払われ、日本の新人の上限(1億円と出来高5000万円)を上回る額になることもあるそうです。

アメリカを選んだからといって、日本へ戻る道が閉ざされるわけでもありません。

日本のプロ野球を経ずに海外の球団と契約した選手を、帰国後しばらくドラフトの対象から外す取り決め、いわゆる「田澤ルール」は2020年に撤廃されました。

去年の1月には、桐朋高校の森井翔太郎がドラフトを経ずにアスレチックスとマイナー契約を結んでいます。

高校からまっすぐアメリカへ渡る道にも、前例ができはじめているんですよね。

若い選手が日本の球団を選ばなくなるのでは、と心配する声もありました。

決まりの中の指名だとしても、会見での宣言が名簿のどこにも反映されないのは、やはり引っかかります。

それでも、巨人かアメリカかを最後に決めるのは、織田投手本人ですね。