「本当に幸せというのを僕の口から言えればいいなと思っていた」

結婚発表の翌日、千葉市で行われたサッカー日本代表の練習のあとで、久保建英はそう話したそうです。

前の日に俳優の福原遥との結婚を発表したばかりで、この日は左手の薬指に指輪をはめて練習に姿を見せています。

 

サッカーをふだん見ない人にとっては、「福原遥の結婚相手」として名前を覚えた選手かもしれません。

ところが経歴をたどると、10歳でスペインへ渡り、13歳で日本へ戻り、18歳でまたスペインへという行ったり来たりの連続。

しかもその曲がり角のほとんどに、本人の力ではどうにもならない決まりごとが関わっていました。

 

今回は、久保建英の経歴を、その決まりごととあわせてわかりやすく解説していきたいと思います。

結婚の翌日、指輪をはめて代表練習へ

久保建英と福原遥が結婚を発表したのは、2026年10月2日のことでした。

ふたりはそれぞれのSNSに連名で報告を載せていて、交際が報じられたことは一度もなかったと伝えられています。

まさに電撃の発表。

報告文には「共に助け合い、笑顔あふれる温かい家庭を築いていきたいと思っております」とつづられていました。

 

翌日は、ニュージーランド戦に向けた日本代表の練習日。

前日が完全オフで、そのオフ明けに姿を見せた久保建英の左手の薬指には、指輪が光っていたと報じられています。

結婚を代表の活動中に発表したことについては、「タイミング的にもいいかなと思って2人で考えて決めました」とのこと。

「こういった瞬間を日本代表で迎えられてすごい幸せです」という言葉も。

取材ではさらに、「これまでも家族のためにも頑張ってきましたけど、これからはまた違った家族のためにも頑張らないといけない」とも話していました。

馴れ初めを聞かれると「聞きたかったら事務所にお願いします」とかわしたそうで、このあたりの切り返しはいつもの久保建英らしいところ。

 

名前は知っていても、どんな選手なのかまではよく知らない、という人に向けて基本の情報を並べると、こうなります。

  • 生まれ:2001年6月4日、神奈川県川崎市
  • 年齢:25歳(福原遥の3つ年下)
  • 身長:173cm
  • 利き足:左
  • 所属:レアル・ソシエダ(スペイン北部の街サン・セバスティアンのクラブ)
  • 日本代表:攻撃の中心を担う選手のひとり

小柄な左利きで、細かいドリブルとパスで相手の守りをほどいていくのが持ち味とされる選手です。

 

家族の顔ぶれも、なかなかのもの。

父の久保建史は、息子がバルセロナの下部組織に入るまでの子育てを『おれ、バルサに入る!』という本にまとめて出しています。

弟の久保瑛史もサッカー選手で、レアル・ソシエダの下部組織でプレーしたあと、去年の夏、17歳でセレッソ大阪への加入が発表されました。

さらに、陸上の女子800mで日本記録を持つ久保凛は、父方のいとこにあたるそうです。

ここまで並ぶと、遺伝子を疑いたくなる気持ちもよくわかりますよね。

10歳のバルサ入りと未成年移籍の決まり

久保建英の名前が日本で知られるようになったのは、まだ小学生のころでした。

10歳でスペインの名門バルセロナの下部組織に入り、日本人としては初めてだと話題になったんです。

「日本のメッシ」と呼ばれることもありました。

ところが13歳のとき、久保建英は日本へ帰ってきています。

 

本人が何か問題を起こしたわけでもありません。

きっかけは、所属していたバルセロナが受けた処分でした。

国際サッカー連盟(FIFA)は2014年4月2日、18歳未満の選手の国際移籍をめぐる規則に違反したとして、バルセロナへの処分を発表しています。

次の夏と冬の移籍期間に、新しい選手を一切登録させないという重い内容で、罰金も科されました。

違反とされた未成年の選手たちのひとりが、久保建英。

その規則が、FIFAの「選手の地位と移籍に関する規則」の第19条です。

18歳未満の選手が国をまたいで移籍することを、原則として禁じています。

例外はごくわずかで、ざっくり言うとこんな内容。

  • 両親がサッカーとは関係のない理由で、その国へ引っ越してきた場合
  • EUの中での移籍で、本人が16歳から18歳までの場合
  • 国境から50km以内に住んでいて、移籍先も国境から50km以内にある場合

もともとは、才能のある子どもが大人の商売の道具にされないように作られた決まりで、狙いそのものはまっとうなものです。

 

ただ、そのとき網にかかったのは、すでにチームの一員として毎日練習していた子どもたちでした。

久保建英も、18歳になるまで公式戦には出られない立場に置かれたと伝えられています。

練習はできても、試合には出られない日々。

処分を受けたのはクラブなのに、試合の舞台を失ったのは子どもの側だったんですよね。

それでも久保建英は日本へ戻り、もう一度ボールを蹴る場所を見つけていきます。

18歳の誕生日から10日後のレアル移籍

日本へ戻った久保建英が入ったのは、FC東京の下部組織。

そこから先の歩みは、驚くほど速いものでした。

2016年11月5日、中学3年生だった久保建英は、FC東京U-23の一員としてJ3の試合に途中から出場し、15歳5か月1日でJリーグの最年少出場記録を塗り替えています。

それまでの記録は、森本貴幸が持っていた15歳10か月6日でした。

 

それでも試合後の本人の自己評価は「今日は20点か、15点」と、なかなかの辛口だったそうです。

その翌年には、16歳でFC東京とプロ契約を結びました。

そして2019年6月4日、久保建英は18歳の誕生日を迎えます。

バルセロナで公式戦の道をふさがれた、あの年齢の線を越えた日。

その10日後の6月14日、スペインのレアル・マドリードへの移籍が発表されました。

当時の報道でも、18歳になって海外移籍の制限がなくなったことで、強豪クラブによる争奪戦になっていたと伝えられています。

バルセロナの下部組織で育った選手が、宿敵とも呼ばれるレアル・マドリードへ。

レアル・マドリード側の発表どおり、最初に所属したのはトップチームではなく、若手が中心のカスティージャというチームです。

そして、レアル・マドリードには別の決まりごとが待っていました。

レアルで出番がなかった外国人枠の壁

スペインのリーグには、EU(ヨーロッパ連合)の国籍を持たない選手を、ひとつのチームに3人までしか登録できない決まりがあります。

いわゆる外国人枠で、日本人の久保建英もこの3人の中に入らないと、トップチームの公式戦には出られません。

 

本人は以前、スペインのラジオ局の取材でこう話していたと、サッカー情報サイトのQolyが伝えていました。

ここスペインでは外国人枠(EU圏外枠)が3つしかない。僕が加入した時、すでにそれは埋まっていた。ヴィニシウスがスペインの市民権を取得するのに時間がかかったことと、日本は二重国籍が認められていないことで少し不利になった。

出典:Qoly(2023年6月4日配信)

ヴィニシウスはレアル・マドリードのブラジル出身の選手で、当時その枠を使っていたひとりです。

外国籍の選手でも、スペインの国籍を取ればこの枠から外れて、席がひとつ空きます。

ところが日本では、自分の意思でほかの国の国籍を取ると日本の国籍を失うと、国籍法の第11条に書かれているんです。

日本代表の久保建英にとって、これは選べない方法でした。

 

そこで続いたのが、レアル・マドリードに籍を置いたまま、ほかのクラブへシーズンごとに貸し出される期限付き移籍。

  • 2019〜20年シーズン:マジョルカ
  • 2020〜21年シーズン前半:ビジャレアル
  • 2020〜21年シーズン後半:ヘタフェ
  • 2021〜22年シーズン:マジョルカ

シーズンが変わるたびに街もチームメイトも入れ替わる暮らしが、ソシエダへ移るまで続いた形です。

ネットでは、レアルが用意した席を自分から蹴ったという見方も出ていて、それに対してこんな説明をしている人もいました。

外国人枠の席は、本人の実力とは関係がありません。

空いているかどうか、それだけで決まってしまうんですよね。

2022年7月19日、レアル・ソシエダへの完全移籍が発表されて、久保建英はようやくひとつのクラブに腰を落ち着けました。

このときレアル・マドリードは、久保建英の保有権の半分を手元に残したと報じられています。

レアル・ソシエダとの契約は、延長を経て2029年6月までになりました。

貸し出されては移り、また貸し出されていた数年間を思うと、この長さには特別な重みがありそうです。

試合では外すと決まっている結婚指輪

結婚の翌日に指輪をはめていた久保建英ですが、ネットでは「試合でも指輪をしたままプレーするの?」という疑問も出ていました。

答えは、試合では外す決まり。

日本サッカー協会が出しているサッカー競技規則の第4条の一文がこちら。

すべての装身具(ネックレス、指輪、ブレスレット、イヤリング、皮革でできたバンド、ゴムでできたバンドなど)は禁止されており、外さなければならない。装身具をテープで覆うことは、認められない。

出典:日本サッカー協会「サッカー競技規則」第4条

選手本人や相手がけがをしないための決まりで、試合の前には審判が選手の用具を確かめます。

途中から交代で入る選手も、ピッチに入る前に同じように確かめられるそうです。

 

試合の途中で身につけているのが見つかったときも、審判から外すように指示されます。

結婚指輪だけを特別扱いする例外も、この条文にはありません。

薬指にテープを巻いて指輪を隠したままプレーする選手の姿を、思い浮かべた人もいるかもしれませんね。

そういう姿をお守りのように感じていた人には少しさびしい話ですが、いまの規則ではテープで覆うことも認められていないんです。

次のニュージーランド戦でピッチに立つときも、指輪は外してから。

ゴールのあとに薬指へキスをするおなじみのお祝いも、今回は指輪なしになりそうです。

 

振り返ると、久保建英の経歴は、決まりごとに何度も行き先を変えられてきた経歴。

13歳のときは未成年の移籍の決まりで日本へ戻り、18歳からは外国人枠の決まりでレアル・マドリードの試合に出られず、国籍の決まりがその抜け道もふさいでいました。

それでも、そのたびに次の場所を自分で選び直して、いまのクラブと日本代表までたどり着いています。

 

試合のたびに指輪を外すのは、そうした決まりごとのなかでは、いちばんやさしいものかもしれません。

今年のワールドカップでは、初戦のオランダ戦で左ひざを痛めて、続くチュニジア戦を欠場する悔しさも味わいました。

結婚後はじめての代表戦になるかもしれない10月5日のニュージーランド戦は、国立競技場での一戦です。

指輪を外してピッチへ向かうその背中を、お祝いの気持ちと一緒に見守りたいところですね。